地獄に落ちないために私たちのできること | てぃふぉーじのある日常〜footballを添えて

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Tifosiのメンバーがサッカーについて勝手気ままにつらつら語るブログ。活動紹介やイベント告知もちょいちょいあります。

天国か地獄か。


残留争いや入れ替え戦、昇格プレーオフでしばしば、このような表現が使われます。少し言いすぎ感は否めませんが、降格、それは地獄に落ちることを意味します。それも一度落ちると、長い間苦しみに責め苛まれる無間地獄です。



先日、京都の東山松原にある六道珍皇寺を拝観しました。六道珍皇寺は平安時代、小野篁(おののたかむら)があの世に通ったと伝わる『冥界通いの井戸』で有名なお寺です。本堂にある、小野篁が閻魔大王のもとに通う様子を描いた掛け軸を眺めながら、ご住職から地獄について教えていただいたので、かなり強引ではありますが、久しぶりに仏教とJリーグを照らし合わせてみました。



※注)最近入った人はわからないと思いますが、tifosiには寺社仏閣をこよなく愛する矢部さん(通称:仏の矢部)というとても清らかな心を持った人がいます。別に変な勧誘とか洗脳とかしないので安心して続きを見てね。







仏教徒は死ねば、次の世界に行きます。あの世には天国・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界があり、何所へ行くかは十回の裁判によって決まります。初七日・二七日・三七日と続き七七日までに七回の裁判を受け、さらに再審として百か日・一周忌・三周忌、計十回の裁判で結審となり行く先が決まるそうです。

 

これをJリーグに置き換えてみます。シーズンが終われば、また次のシーズンへ行きます。優勝するチームがあれば降格するチームもあります。上位躍進を果たすチームがあれば、補強もむなしく下位に低迷するチームもあります。3月から12月まで長い長いリーグ戦を戦い、さらにチャンピオンシップや昇格プレーオフ、入れ替え戦を経て来シーズンのカテゴリーが決まります。

 


初七日の裁判を受け、二七日に向かう途中、三途の川が流れています。川の渡り方は三つあり、生前比較的いいことをしてきた人は橋を、少し悪いことをしてきた人は浅瀬を、かなり悪いことをしてきた人は深みを渡らされることになります。

 

 JリーグでいうとGWの連戦あたりでしょうか。シーズン前に補強に成功したチームやキャンプでしっかり仕上げてきたチームは上位に、一方、長年指揮を執った監督を変えたり、ベテランと契約せず若返りを図ったチームは前年までの積み重ねがなくなり、未だ戦術が定まらず下位に、ということはよくあります。

 


地獄といえば閻魔大王です。ウソをついた者の舌を引っこ抜くことで有名な閻魔大王は五七日の裁判官です。

 

 ここでは真夏の熱戦が終わったあたりだとします。この時期になると下位に沈むチームは一つの大きな選択に迫られます。監督を続投するか、更迭するか、です。これまでやってきたチームの戦い方を信じて現監督と心中するか。それとも悪い流れを断ち切り、新監督に賭けてみるのか。ここで現実と向き合い、自らのチームに正直にならないと地獄はもうすぐそこです。降格したら舌の代わりに選手を引っこ抜かれます。



閻魔大王を初め、十回の裁判官が裁くのは、戒律を守り、仏教徒として生きてきたかということです。

 守るべき戒律は以下です。

・物の命を殺すことなかれ

・男女の道を乱すことなかれ

・酔いしれて勤めを怠ることなかれ

・怒りによりて自分を取り乱すことなかれ…etc.

 これができれば地獄に堕ちる事はないのですが、全てを守るのは容易ではありません。

 お釈迦様もその事を知っておられ、私たちが戒律を守れない原因は、むさぼり・怒り・愚かさであり、自分の身と口と心により生じるのであって、自ら懺悔せよと言われています。つまり、戒律を守れなかったことの原因は、自分自身にあって、外のものや他人のせいにしてはならないのであり、戒律を守ろうと努力し、守れなければ反省懺悔するということを繰り返していくのが仏教徒のたしなみであるということです。



 降格しないためにやらなければならないことはなんでしょうか。

選手の補強や、キャンプでの身体作り、コンディション調整、戦術の浸透、対戦相手の分析などなど、これ以外にもたくさん考えられます。

 

 これも仏教の教えと同じで、全てをきちんと実行することは難しいでしょう。しかし、プロとして、常に勝つためにプレーし、負けても他人のせいにせず、原因を分析するなど、しっかり反省して次の試合に勝利するための努力をすれば、必ず報われるはずです。





散々うんちくを語って、いよいよここからが本題なのですが、では、我々サポーターはチームを地獄に落とさないために何ができるでしょうか。



 一つ目はチームにお金を落とすことです。


三途の川ではお金を渡せば、渡し舟で渡してもらえるといいます。これを冥銭といい、遺族は、故人が三途の川を無事に渡れるようにと祈りの気持ちを込め、棺桶の中へ六文銭を一緒に入れます。


チームが無事にシーズンを終えるために必要なものもお金です。献身的に守備をしつつ1シーズン10点以上取れるFWや運動量豊富で攻撃も守備もできるボランチを補強できれば残留はぐっと近づきます。人件費を捻出するためにも、我々サポーターはまず、ユニフォームなどのグッズ一式と年パスを買いましょう。

 

二つ目はチームを応援することです。


仏教では、故人に良い所へ行ってほしいと願い、残された者が故人を偲び、讃え、裁判官によい影響を与えるために裁判の前日に逮夜(たいや)という法要を行います。

私たちも愛するチームに一つでも上の順位に行ってほしいと思っているはずです。少しでもチームの力になりたい、いい影響を与えたいと思うのであれば、チームをリスペクトし、勝利を願いましょう。選手を批判したり、負けた試合をグダグダ言っても仕方ありません。そして、スタジアムに行きましょう。スタジアムに行って声を出して、手を叩いて選手を応援しましょう。ピッチと観客席、距離はありますが、遠いと言われる日産スタジアムだってあの世と比べたらかなりの近距離です。必死になって応援すればするほど私たちの想いは選手に届き、いい影響が与えられるはずです。





チームにお金を落とすことと、応援すること、どちらも当たり前のことなのですが、仏教のように古くから言われてきた先人の教えのようなものを絡めると、なんとなく説得力ある気がしませんか?これは、宗教のもつ普遍性によるものだと言われています。人は心のどこかでいつまでも変わらない確かなものを求めているのですね。



日程も発表され、気が付けば開幕まであと40日を切りました。ユニフォーム着て、年パスぶら下げた姿でお会いしましょう。私も4月から大分に戻るのでついに年パス買います。

それでは、さようなら!