母がその友達Sさんと最寄りの駅で待ち合わせた時間は、朝6時半だった。
待ち合わせ場所に現れたSさんが開口一番、母にこう言ったそうだ。
「メール、読んだ?」
そう、Sさんはパスポートがそんなに大事なものだと思わず、母に「パスポート、家に忘れてきちゃったんだけど、コピーを持ってるから大丈夫よね?」とメールしていたのだ。だが、不運は重なる。Sさんは、母の携帯ではなく、パソコンのアドレスにメールを送ってしまったのだ。早起きして駅に向かった母は、当然のことながらパソコンのメールは見なかった。Sさんが母にメールをしたのが、5時20分。ここで、もし仮にメールではなく、母に電話していてくれたなら、それこそその時点で取りに戻っていれば、余裕で飛行機には間に合ったのだ。
Sさんは待ち合わせた駅よりずっと田舎に住んでおり、約小1時間戻らなくてはならない。つまり、パスポートを家に取りに戻りに行く時間を入れると、どう考えても2時間以上かかるのだ。そして、待ち合わせをした駅から成田空港まではやはり1時間半以上かかる。
飛行機の出発は10時20分。集合は2時間前の8時20分。その集合時間には到底間に合わないのは、母もわかりきっていた。だからといって、パスポートがないと旅行へは絶対に行けないのは事実。Sさんはとにもかくにも、家にパスポートを取りに戻った。
私も母からの電話を受けて、すぐネットで一体何時の電車で乗っていけば、何時に成田空港に一番早く着くのかを調べた。車なら行けるかと思って、タクシーで成田まで来るという方法も調べた。でも、どうやってもどれに乗っても、Sさんが飛行機に間に合うことは無理だった。
この旅行を申し込んだ旅行会社だって、10時にならないとオープンしない。母はSさんとどうしようかと電話したり、合間に私と空港への行き方をどうするかで話したりしながら、一人成田空港へと向かった。
その内、母の携帯の電池がなくなりつつあったので、とりあえずSさんに
1.パスポートを持って成田空港へとりあえず来てみること
2.10時になったら、旅行会社へ電話して、事情を話して、次の便を手配してもらうこと
3.だめだったら、明日1日遅れで杭州へ来るように
と決めて、一人飛行機に乗る事を決めた。とはいえ、母ははっきり言って行きたくもない場所だったので、私に電話してきてこうこぼした。
母「ねぇ、ここまでケチがついた旅行だけど、行った方がいいのかなぁ。もうやめちゃおうかしら?なんだか飛行機が落ちそうで怖いわ」
私「大丈夫!ママは普段から運がいいんだから、向こうでカジノでもあったら何か賭けてみなよ。きっと大当たりするわよ」
母は、その言葉に少しは元気づけられたのか、一人飛行機に乗って出発した。
現地に着いて、早速メールが入った。
「行きの飛行機、なんと乗客私を入れてたった5人!赤字よねー、あれじゃ。おまけに、このツアー、私しかお客さんがいないんだってー。びっくりよー。早くSさんに来てもらいたいわ。一人じゃつまらなくて」
そう、いきなり母は一人でガイドさん付き、運転手付きの大名旅行となってしまったのだった。
で、問題のSさんがその後どうなったかというと・・・
結論から申し上げると・・
旅行へ行けなかった
事情はこうだ。
成田空港へ着いたSさんは、旅行会社へ電話して事情を話し、次の便を取ってもらうようお願いした。しかし、その金額を聞いてぶっ飛ぶ!
21万円也
申し込んだツアー代は6万5千円でした
しかも、成田ー杭州行きは1日1本しかなく、それ以外は北京乗り換えになるとまで言われてしまった。
生まれて初めての海外。それなのに、異国の地で乗り換えなくてはいけない!それも、英語圏ではなく全く言葉のわからない中国で!
Sさんはそれでも、成田空港の本屋さんで「中国会話」という本を買い、にわかに乗り換えのために勉強を始めたそうだ。けれど、やっぱり、やっぱり、できない。それでなくても、初めての海外旅行で、友達である私の母に頼って過ごそうと思っていたSさんなのだ。仕方ないので、旅行会社に、せめて明日の便でいいから直行便をとお願いしたらしい。が、この日たった5人しか乗っていなかった便が、翌日満席!
とことんついていないSさんである。
結局、泣く泣くSさんは旅行自体をあきらめた。母にもその日の夕方に旅行会社を通して、その旨が伝えられた。
母は2泊3日、若いガイドさんとマンツーマンで観光をして、お土産屋さん巡りをしたそうだ。しかも、奮発しようと頼んだ旅行だったので、食事はどこも中華のフルコース。それも当然の事ながら来られなくなったSさんの分も一緒に2人前出てくる。母は胃潰瘍のため、ファミレスの1人前も食べられない状態だったので、前菜のスープを飲み干すのが精いっぱい。何とももったいない食事となってしまった。(ガイドさんと運転手さんに「食べて下さい」と勧めたそうだが、バレるとクビになるので、と断られたそうだ)
かくして、不本意ながらの一人旅となった母だったが、ホテルのランクも良かったらしく、上機嫌で帰って来た。とはいえ、
2度と一人旅は行きたくないわ、つまらなくて
とぼやいてはいたが。