この記事は1つ前の分からのつづきです。


夫は、優しい人である。私に対しても誰に対しても。
でもその優しさが今回はネックだった。

どうにもこうにも義父を説得できないのだ。
私は名古屋へ行く夫を見送りながら、毎回とても歯がゆい気持ちでいた。

そして、忘れもしない2月9日・日曜日。前日から名古屋に行っていた夫から電話がかかってきた。

「父さん、やっぱり出てこないって・・・」

ここで私はぶち切れた。

今までは確かにお義父さんの気持ちを尊重してきた。
でも、今は近所の人にも迷惑をかけ、その間に入っている民生委員さん達にも迷惑をかけている。
なのに、お義父さんをこのままそこにいさせていいと思うの?

これ以上他人様に迷惑をかけないためにも、今度と言う今度はこちらへ来ることを了承させるって約束で名古屋へ向かったんだよね?その準備のために、今週に入ってからも何度もお義父さんに電話を入れては、こちらへ来る準備をしておいてほしい、って頼んでいたよね?

もういい!

あなたが説得できないなら、私が行きます。
これから名古屋へ向かうから、お義父さんにもそう伝えて!

そう言って電話を切った私は、すぐさま名古屋へと向かった。新幹線に乗ったのが、2時過ぎ。主人の実家へ着いたのが5時過ぎだった。

主人から途中携帯へ電話があり、「父さん、覚悟決めたみたいだ」と言っていたが、「・・みたい、じゃ困るんだけど」と心の中でつぶやきながら、新幹線からローカル線へと乗り継いでいった。

実際、実家でお義父さんと顔を合わせたら「わざわざ遠いところを悪かったな」と観念したように言っていた。

「じゃぁ、決まりですね、お義父さん。恨むなら、私を恨んでください。もう、これ以上お義父さんの意思を尊重してられなくなったんです。」と私が言うと、義父は「じゃぁ、支度するわ」と短く言って、荷物を詰めだした。

新幹線の席を確保するため、先に私はとんぼ返りで名古屋駅へと向かった。実家滞在時間、たったの32分であった。

夜8時台の新幹線に、義父、夫、私の3人で乗り込み、埼玉へと向かったのだった。

あれほどこちらへ来ると約束していた義父だったのに、冷蔵庫の中は食材だらけだったと言う。私が行かなかったら、絶対にこちらへ来ることはなかったと思う。

こうして、義父の言葉を借りれば、「拉致されて来たかのように」埼玉へと義父はやってきたのだった。