自分にも相手にも「タイミング」がある。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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先日、友人と話していたこと。

(というか、ここ最近、

色々な人とこの話になるんだけど)

 

出会いには「タイミング」がある、ということ。

 

自分が誰かの一言に心が動くタイミング、

「やってみたい」と思うタイミング。

「変わりたい」と思うタイミング。

「もうこれは手放そう」と思うタイミング。

「こっちの道じゃない」と思うタイミング。

 

いつもと同じ言葉を色々な人から言われていて。

いつもはスルーしていたのに、引っかかる。

 

そういう「タイミング」ってあると思うのです。

 

 

だから同じように、

相手も自分の一言に心が動くタイミングがあって当然。

そしてそれは自分がコントロールできることでは絶対にない。

そこを間違えてしまうと、

「どうして私がここまでアドバイスしてあげてるのに、

この人は変わってくれないんだろう」

って勘違いをしていまう

(こういうこと、「教師」→「生徒」であるあるだと思う)。

その反対で、

自分の一言で誰かが変わってくれた時

(実際には、その人の力で変わっただけなんだけど)、

「私のおかげなのに感謝してくれない」

なんて思ってしまったりね

(これも「教師」→「生徒」のあるあるだと思う)。

 

たまたま、「タイミング」が合っただけ。

そうやって考えると、色々と楽になる部分、あると思います

(だからといって、私は自分が誰かの一言の「タイミング」で変われた時は、

自分と同じだけ相手に感謝する気持ちを忘れたくないな、とも思います。

相手が自分に「何か」を伝えてくれた、その気持ちは、

たとえ「タイミング」であっても、その人との関係性において生まれたものだと思うから)。



 

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