フェイクモデリングと芸術、そして量子派 | 開成ボーイのmadなdays

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(以下本文)

モデリング。
対象となる世界を数学的規則で表現し、可能な限り対象に近いものを組み立てる事で、対象世界を支配する法則を解明しようと試みる作業を言います。

この場合、モデリングは、計算的・アカデミックな観点から、あくまでも現実に近づくこと…現実の模倣・再現を目指します。

無論、それはそれで非常に有用なのですが、ふと考えました。

何故、そのモデルの支配法則を現実に近づけなければならないのか?

そこで、より広義なモデリングとして、
何らかの世界を数学的規則で記述したもの」と定義します。

この場合、この世界は現実世界である必要は必ずしもありません。
従って、従来型のモデルの他に、虚構世界をベースとするモデル、
すなわちフェイクモデルが生まれる事になります。

ここで、何が生まれるか考えます。

従来型のモデリングは、芸術で言うところの写実主義に対応します。
そうすると、フェイクモデルは、他のあらゆる芸術…まだ未発見の芸術も含め、数学的にモデル化可能であるもの全てに対応しうる。

ここで、既存の芸術に対応物がないフェイクモデルから、対応芸術を生み出せば、フェイクモデルの法則に従う世界を対象にした、文字通りのサイエンス・フィクションなど、様々な可能性が生み出せる…

美しい数式という表現がありますが、その美しさは芸術と学術との行き来が可能になってこそ真価を発揮し、このコンピューターの時代であれば、それは可能なのではないか。

そんな気がします。

ところで、こう考えた場合、芸術に不確定性を導入する…制作者ですら何が現れるか不確定、という、量子派芸術ですら、「フェイクモデルベースの芸術の一つ」に回収されてしまう…

俺はまだまだちっぽけな宇宙にいるな、と考え込んでしまいました。

少なくとも、俺はまだ自分にしかできない付加価値というものを持っていない。

最近何回か自分の考えたアイディアがあっさり真似されたのを見て、本当にそう痛感しているんです。

何か、突き抜けたものがないと、多分俺みたいな癖のある人間は生きていけない…。

パスカルが言うような、考える葦の持つ、全宇宙を包み込むだけの知性…せめてこれだけでも欲しいものです。

今日はこの辺で。
では、また、 see u! ;)

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