自己犠牲と呪い言葉 | ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

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日々の徒然、感じたこと、何でもない話、生きること、よもやま話。

養老孟司さんの話。
呪い言葉とはなにか。




何かしらの占いやヒーリング等のセッションにに行ってその先で、呪いの言葉を伝えられてそれに苦しんだりしてる人もいて、ピコ二コラに来てくれた人もいるよ。

わたしは、人に対しては共感と祝福というのが本当に大事だと思うし、もしもこちらから見て良くない状況に見えたとしても、その人の進むべき道をつぶさないように最大限、言葉には配慮するべきなんじゃないだろうかと常に考える。

最低限は言葉に注意する。
本当は心の中で思うことも口に出すことも同じじゃなければいけないんだと思うけど。


〇〇な状態ですね。このままじゃ。。。とかさ、〇〇した方がいいというアドバイスにしたって、そうじゃないとどうにかなってしまうんじゃないかと不安を示唆するような伝え方をしたら選択肢が必然と決まってしまうんだから配慮が必要だよね。『どうしたいのか』それはあくまで本人が決めることであってその他が口出しすることじゃないのだよね。


先日、とあるセラピストの方が、「人を恨んでばかりいると精神病になる。」「怖いお話」など、アドバイスのように話されていて、そんな短絡的な話を。。。と、本当にがっかりした。


怖いか怖くないかはこちらが判断することだよね😞

様々な事情と個々の背景を省いて、「〇〇していると〇〇になる」など、簡単に結びつけるの良くないのではだろうかと感じた。



人はそんなに簡単じゃない。

ある種の人たちは愛とか良きもの為に自分の欲求を犠牲にしたり、人にもその犠牲を強いるからいけない。
なんせ自主的な選択でなければいけない。