東大に文理両方で合格した男が綴る、受験の戦略 -2ページ目

東大に文理両方で合格した男が綴る、受験の戦略

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ここ3年でいうと、

2021年が一番高くて、2022年が一番低くて、今年2023年は真ん中を行く感じですね。

共通テストとセンター試験を比較してみた。

「共通テストってどうなんですか?」と聞かれるので、簡単に。

①「大差ないっす」(受験から離れている人向け)

子供が受験するとか、予備校で働いているとかではない限りは「センターと同じ」と思ってて良いでしょう。

大学入試改革だの、日本の教育を変えるだの、美辞麗句が散々飛び交ったけど、蓋を開けてみればほぼ同じ。

記述試験も導入されなかったし、英語の民間試験も導入されなかったし。変わったことと言えば、数学ⅠAの時間が10分伸びて、英語のリーディングとリスニングの配点が50%ずつに変更になった、というくらい。

「共通テストになったから、日本の行く末が安泰だ!日本の教育が大きく変わるぞ!」みたいな大改革ではないです。全然。

例えば、江戸時代の寺子屋教育から、明治時代の義務教育への変化なんてのは、とんでもなく大変革だったわけですけど、そういうのと比べちゃうと、まっっっったく変わってないです。

 

②「大体同じですかねぇ。細かいところは違うけど」(小さいお子さんがいる人向け)

お子さんが小さくて、将来的に受験するという方には、「大雑把には同じだけど、細かくは違いますよ」くらい。

共通テスト自体が、まだ変革中で細かい微調整をしている段階なので、「共通テストはこういうのだ」みたいな固定された価値観を持つには早いかなぁという印象。

でも、国公立大学の1次試験を兼ねているとか、私立大学に「共通テスト利用入試」の枠が設けられているとか、そういう大きな考え方やシステムではセンター試験と同じ

ただ、大きな方向性として、とにかく処理速度が求められる傾向が強いです。英文の分量もすごい増えているし、国語の文章量も増えている。数学の計算量も増えてるし、数学の文章量も増えている。

「え?数学の文章量」と思った方もいるかもしれませんが、共通テストの数学は、なが~~い文章の穴埋めをしている感じ。いわゆる誘導問題ってやつなんですが、ようするに作問者が作った流れに乗っかって、ある結論を出していくという問題。

それが、ただの文章だったり、図や表だったり、太郎君と花子さんの会話だったりするんだけど、とにかく文章がある。

センター時代も誘導でしたけど、それが強烈になってます。

ということで、お子さんにはスピード訓練をさせておくと有利かも!?

 

③「全然違うぞ!気をつけろ!」(受験生や業界人と話すとき)

受験生、受験生の親、業界の人と話すときは「センター試験と全く違いますよ」という話になる。要するに、共通テストをいざ受けるという人にとっては、まるで別の試験に思うかもしれません。要するに、センターと何が違うかと言えば、ハードは据え置きで、ソフトを変えただけという感じ。

例えば、問題文の長さや分量、計算量が増えたから、センター試験よりも速読とか、素早い計算スピードが求められるようになりました。ということは、訓練法が変わってくるので、センター時代と同じようにしていてはダメ。

日本史なんかも、年号と人の名前と事件の名前を無意味に覚えているだけでは、全然太刀打ちできなくなっていて、初見の資料(史料)を見て、どのような歴史的考察が導けるのか、自分で考えなければならなくなりました。

日本史は、暗記要素はまだまだ強いものの、完全な暗記テストと評する人はいないと思います。

あとは、得点帯。

共通テストになって、高得点が取りづらくなってます。

平均点自体はそれほど変わってないんですが、成績分布はあきらかに散らばらなくなった印象。

センター時代は東大受験生は総合9割くらいとるものだったんですが、共通テストになってからは、9割以上とる生徒はかなり減って、大体40~50点くらい下がったところにいる印象です。

ここだけの話、(多分)開成高校の文系で9割超えた人はたった5人だけっぽい。

※だから、お近くの受験生に「俺はセンターで9割だったぞ」みたいなマウントを取るのは、やめてあげてください。

ということで、センターと共通テストの比較は、解像度によって評価が変わる印象です。

 

対策できないぞ、どうするんだ!?

ちなみに、共通テストになって最大の変化は「対策がしづらくなった」です。

文章題が多くなったとか、資料が多くなったとか、色々あるのですが、私が一番問題だと思っているのは、

共通テストだけが突然変わってしまって、現場の教員や教材が全く追いついていないこと。

先ほども書いたとおり、共通テストとセンター試験は対策するとなると全く異なることをやらなければなりません。

しかし、共通テストは蓋を開けてみるまでどんな問題が出題されるか全くわからないままスタートしました。

もう3回目の共通テストが終わりましたが、まだまだ作問者が悩みながら作っている印象で、来年も傾向が大きく変わる可能性が十分ある。

ということは、現場では共通テスト対策ができません。教科書とか問題集など教材もセンター時代のままだし、当然教える人も同じ。教える人が優秀で柔軟でも、教材がないと教えるのは非常に難しいです。

現場で教えていると、現場だけ置いてけぼりになって、試験だけ突然変更させられたという印象。それで、現場ではアップアップしている、というのが今の状況かなと。

 

ちなみに、共通テストは「思考力」を測るというコンセプトらしいのですが、分量が増えすぎて考えるヒマを与えられず、ひたすら情報処理をさせられるという、自己矛盾を孕んだ試験です。乙。

個人的には、そんなに事務処理の正確さと速度が優秀な人を育てて、何がしたいのかあまりよくわかりませんが。

 

税金は余りまくっているらしい

ここ数年、発信活動をしなさ過ぎているから、ミニコラムみたいな感じで、きままに発信でもしてみようかと。

はてもさても、税金が高い。

独立したとき、お金のフローが最も大事なのでシミュレーションをしたことがあるが、税金が高すぎた。税制が複雑すぎて、想定してなかった税金の督促もくるし、もちろん安くない。保険料も高い。

社会福祉を受けるための税金と社会保障費を払いすぎて死ぬかと思うくらい。いや、本当に死んでいる人がいると思う。

 

では、税金は何に使われているかというと、適切に使われていることもあるだろうが、タックスイーターを食わせるために使われている金額が相当多い。

 

そもそも日本の税金は用途が不明です。

突然ですが、1つ新しい単語を覚えてください。「行政評価報告書」

これは、地方自治体が税金を使用用途を国民に報告するための文書です。グーグル先生で皆さんの住んでいる市区町村の名前と合わせて行政評価報告書と検索して見て下さい。

クソわかりづらい、収支報告書が出てくることでしょう笑

 

そして、そのわかりづらい報告書を頑張って読み解いていくと、自分たちの税金が使われている用途がすこ~しだけ分かります。

別に、いくつもしらべたわけではないけど、5%とか10%とかしか税金の用途が分かりません。つまり、9割以上は何に使われているか分からない。

ひどいところだと、そもそも行政評価報告書そのものを出していない市区町村もあります。

 

国民のほとんどが、税金を払う義務は果たしているけど、その税金が何に使われているか分からない、と言う状態。

これ、まずいっしょ。

予算がついたら使わなきゃいけない。

勉強すると、どうやら役所というのは、予算が与えられると何とかしてその予算を使わなければならないらしい。

「そんなにお金を与えられても困ります。予算を削ってください。」という良心は通用しないという。

 

予算が与えられると、その予算を使うために用途を考えます。去年まで使っていた用途は、ほとんどそのまま使われるでしょう。

余った分は、仕方ないから何か大義を見つけて、適当に使う。

例えば、最近SDGsっていうのが大事だっていう風潮があるから、SDGs関連の団体に何かイベントでもやってもらおうか、となって予算を投じているなんてことが起きるかもしれません(←これは、あくまで私の頭の中の陰謀論です。でも当たってたりして)

楽しい妄想をしてみよう

突然ですが、もしあなたの月収が10万円増えたら、何に使いますか?

ほしかったアレを買ってもよし。調子の悪くなった家電を買い替えてもよし!

ちょっと旅行に行っても良いし、何カ月か貯めたら海外にだっていけちゃう☆

堅実なあなたは貯金に回しても良いでしょう。パートナー候補と1年も貯めれば、結婚式も挙げられます。子供を産むとお金がかかるっていうしなぁ、なんて悩みも解消されて、幸せな家庭が築けるかもしれません。

今、無理して働いている会社を辞めて、転職するための活動資金に出来るかもしれません。いや、そもそも10万円多くもらえれば、日々の苦しい仕事が耐えられるかもしれません。
最近流行っているNISAに積み立てて、老後に備えても良いでしょう。

 

世の中、お金で解決できないこともたくさんあります。

しかし、お金があれば、解決できる悩みはたくさんあります!

そして、お金があればかなえられる夢もたくさんあるはずです。

 

その夢や希望を阻んでいるのが、税金だとしたらどうでしょう。

先に述べたように、税金は多くとられてるけど、何に使われているか分からない。国民の目を厳しくして、必要なことしか使わないようにしたら、税金はかなり安くなる、という試算もあるようです。

 

ガチで、必要最低限の税金になれば、月収10万円増えることも夢ではありません。

 

6月までは税金を払うために働いている。

給料から天引きされている税金や保険料は10万円もないかもしれませんが、消費税、酒税、たばこ税、自動車税など税金はあらゆる場面でとられています。

国民負担率という、そのまんまの名前の指標があります。収入に対してどのくらい税金などを取られているかというものですが、なんと約50%。(40%代後半)

 

簡単に言えば、私たちが働いていている収入の半分は税金で持っていかれていると考えてください。

 

もうすぐ年明けですね。

お正月が来てお祝いモード。気分もウキウキ、新たな年も頑張ろう♪

と考えているところに、悲報。

残念ながら、6月までは無給です。

あなたのお給料は全部税金を払うために使われます。7月からは、全額あなたの手元にのこるので、それまで我慢してください。

という恐ろしい世界に住んでいるようなものです。(考えようによっては)

そういえば増税するそうですね

岸田総理曰く、防衛費を増額するために、増税が必要だそう。

いやいや、税金が余りまくっているでしょう。無駄に使っている分を使わないの?

 

そもそも、限られた税収の中で、効率よく国家運営できるようにお金の使い道を考えるのが、政治家のお仕事でしょう。

何万歩か譲って、仮に増税しなきゃ防衛費が払えないというのが真実だとしたら、それってあなたが無能っていう証拠ですよ。

経営者は売り上げを伸ばすのに、毎日悩んで苦労して、精神を削ってるというのに、総理は「増税します」の一言ですか。まあうらやましい。しかも、極めつけは「防衛費は国民の責任」ですって。

うちの会社の売り上げが伸びないのは、お客さんの責任っていう経営者がどこにいるんだっていうのか。

 

はっ、すみません。

乱れたところをお見せしてすみません。

 

気持ちが落ち着かないので、今日はこれくらいに。。。

まず、謝罪

タイトルに釣られてこの記事を見に来た人へ、残念でした。そんな夢のような年間計画はありません。

困って困って、藁にもすがる気持ちになればなるほど、安易なものに飛びつきたくなります。

そんな、あなたへの牽制球として、この記事を書きます。

 

すがりたい気持ちは大いに分かります。しかしすがった相手が悪い人なら、大金をむしり取られるでしょう。

「世の中ウマい話はない」。

お金に関しては自制する人が多いですが、こと教育になるとこの自制心はタガが外れてしまいがち。

何としても、あの大学に受かりたいとか、子供を良い学校に入れたい、となると自制心が働かなくなります。

「これさえやれば」「〇〇日で偏差値△△アップ」など、教育現場には「ウマイ話」がたくさん転がっていますが、

そういうことではどうにもならず、結局努力しないと報われないからこそ、学歴には一定の価値があるのです。

「お前の考えは甘い」とか「すぐに結果を求めるな」と、耳の痛いアドバイスしてくれる人こそ、あなたのことに親身になっているかもしれません。

 

「この通りに勉強すれば、東大に合格します。」という計画や戦略も、たくさん横行していますが、これも同じ。

その方法で受かった人がいるかもしれないけれど、それが誰にでも通用するかどうかは別の話ですし、別の年度でも通用するわけではない。

1つの成功事例から学ぶことは多いけど、マルパクリしてもダメ。

パクるのは方法ではなくて、精神。

なぜその計画や戦略を立てたのか、その計画を遂行しているときにはどのようなことを考えていたのか。その人の頭の中を学び取るなら大いに結構ですが、使っていた問題集とか参考書を聞き出して、それを同じようにやっても、同じ効果は得られません。

 

青チャートを3周すれば、偏差値70取れる

さあ、もう騙されてませんね。

青チャートを3周しても、偏差値が70を超えるかどうかなんてわかりません。超えるかもしれないし、超えないかもしれない。

人によって違います。

もちろん、「青チャート」の部分は「プラチカ」でも「鉄壁」でも、なんでもOK。「〇〇塾」とか「△△予備校」を入れても良いです。

 

さて、ここで大切なことを言いましょう。

「何を使うかよりも、どう使うかの方が100倍大事」

そうです。モノは同じでも、人によって使い方が違う。だから結果に差が生まれます。

同じ教材で、同じ授業を受けていても差が生まれます。つまり、成績の差は個体差から生まれるのです。

その個体差のことを、「才能」と言うことがありますが、いくら才能の差があっても努力によって埋めることはできます。

こと、大学受験レベルの勉強ならば、ほとんどの差を努力で埋められるでしょう。

 

世の中には、「青チャートをやれば」式のアドバイスをする人が後を絶ちません。

これは、なぜかというと「相手も自分と同じように青チャートを使っているはずだ」という固定観念があるからです。

集団授業の先生をやっていると分からないのですが、個別指導や家庭教師をしていると、生徒の学習状況を細かく見るようになります。すると、どうやら生徒は自分のように上手に問題集を使っていないということが分かってきます。

使い方が下手ならば、量を増やしても、成績は伸びません。あえてキツい言い方をしますが、「無駄なものは、増やしても無駄」です。

 

東大生は勉強ができない

もう1つあります。

実は、東大生でも「自分なんて、大して勉強ができない」と思っている人が大半です。

生まれてからずっと、学年トップの成績をとって東大に行く人なんてほとんどいませんし、得意科目があれば不得意科目があるわけで、「自分は〇〇の教科はできない」と心の底から思っていることが多いです。もちろん、東大以外を出身の人も同じように思っていることがあると思います。

だからこそ、目の前にいる勉強が苦手な子にたいしても「やればできる」と思ってしまいます。

自分も大して勉強ができないんだから、目の前の子もできるようになるだろう、と悪気なく、純粋に思ってしまうのです。

でも、やはり先生と生徒では、明らかな差があります。やはり、先生になった自分は、効率の良い問題集の使い方をしているし、ポイントを押さえた勉強をしていたのです。

ここでやっと「ああ、自分は出来る側の人間だったんだな」と知ることになります。

しかし、これに気づくには、個別対応の指導経験がそれなりに必要です。しかも、ちゃんと生徒の勉強状況をヒアリングしたり、悩み相談をするような、親身になる指導をしたことがないと、気づかないでしょう。

 

今の教育業界は、個別指導の先生は格下で、集団授業で大人数を抱える先生が格上という序列がありますから、中々こういうことは顕在化しないと思います。

 

何を使うかより、どう使うかが大事。質の伴った量を

教育現場では、勉強量を絶対視する風潮がありますが、量だけが大事なら、めちゃくちゃ喋るオバちゃんが一番おしゃべりがうまいことになります。が実際はそうではありません。むしろ、しゃべる量が多い人の方が、結局何を言いたいか分からない、ということがあります。

確かに、成績が悪い子の傾向として、圧倒的に勉強量が少ないのは確かだと思います。

しかし、その子が勉強をしたくない原因が、勉強の仕方が分からないとか、どうせやっても成績が上がると思えないということも、往々にしてあります。

 

大切なことなので、もう一度言います。

「何を使うかよりも、どう使うかが100倍大事」

 

量だけに注目する勉強ではなく、質と量が伴った勉強に移行しましょう。

ラジオの恋愛相談って、偽善っぽくないか?

「さて、次のお葉書です。ラジオネーム『恋するうさぎ』さん。

初めまして。私は中学3年生の女子なのですが、同じクラスの男子を好きになってしまいました。

彼はとても人気者で、他にもたくさんの女子が彼のことを好きみたいで告白しています。

でも、彼は全て断っていて誰とも付き合っていないようです。

私も告白したほうが良いでしょうか?

なるほどー、恋の悩みって辛いですよね。

でも、これは告白すべきなんじゃないかな。告白しないと、あなたの気持ちは彼には伝わらないし、もしかしたら誰かと付き合っちゃうかもしれませんよ。

不安だと思うけど、告白しないままだと絶対後悔すると思います。応援しているので、頑張ってくださいね。」

 

こういう恋愛相談。子供の頃から違和感でした。

冷静に考えて、このハガキの内容だけで告白すべきかどうかなんて、判断できるわけがない。

彼は、受験を控えているから誰とも付き合わないと決めているかもしれないし、投稿者が知らないだけで、遠距離恋愛をしている彼女がいるのかもしれない。

だとしたら告白したところで失敗するわけだから、告白を勧めないほうが良い気が。ハガキの内容だけで、よく判断できたなって思いませんか?

気持ちを伝えるとか、勇気を出すとか、思いを届ければ大丈夫とか。キレイな言葉を並べていれば、その場は収まるけれど、根本的な解決にはなっていなと思ってしまう。こんな私は、ひねくれてる?

 

受験相談もしかり

では例題2。

生徒「先生すみません。この前の模試で偏差値が50しかなかったんですが、何を勉強したら良いですか?」

先生「それなら、△△っていう問題集を3周やれば良いと思うよ。これをやれば、60くらいまでは上がる!頑張れ。」

生徒「ありがとうございます。頑張ります!」

 

これ、ラジオと同じです。

なぜ偏差値の数字だけで、その子の勉強プランが立てられるの?

僕には不可能ですが、でも世間ではこういうアドバイスをする先生がたくさんいるらしい。おそらく超能力者か、適当な人なのだろう。

 

分からなければ、もっとわかりやすい例を。

患者「体調が悪いです。どの薬を飲んだらよいですか?」

こんな質問をされて、果たして飲むべき薬が特定できるだろうか?いや無理でしょう。だって、その患者さんの症状が全く分からないからです。

咳が出るときと、鼻水が出るときでは、飲む薬が違います。だから、症状を聞かなければなりません。

 

勉強も同じで、単に偏差値が50と言われたところで、何が不振の原因かなんてわかりません。状況を詳しくヒアリングしなければいけないのですが、残念ながら受験指導の世界では、ヒアリングがあまり行われていないよう。

 

改善しようとしたら、カウンセリングに時間がかかるもの

僕は不定期で年間何人か、勉強の方針のアドバイスをすることがありますが、初対面の人であれば、平均で1時間程度は話を聞きます。時間給頂いてやるから、1時間くらいで切り上げますが、本当はもっと聞きたいくらい。

聴く内容は人それぞれで、正直いうとアドリブ対応。

まずは、その人のこれまで受けてきた指導の経験をヒアリング。公立の小中高と進んだのか、海外の学校を出たのかで全然違いますからね。

学校名や、通ってきた塾、クラス内順位や学年順位、得意科目や不得意科目。

他には、ある程度の性格を診ます。こちらの質問に対して、答えるときの喋る分量、しゃべり始めるまでの時間、内容が整理されているか、妥当かなどなど。この辺りは、経験値に基づいて直感的に行う作業なので、中々難しい。

もちろん、悩んでいるポイントも聞きます。そして、その悩みに対して、どうすれば解決できると思っているかも聞くことが多いですね。

こんな感じで、ありとあらゆることを聞いていき、その人が躓いているポイントを突き止めようとすると、1時間くらいはかかってしまうということです。

 

この1時間、僕は質問しっぱなし。相手の答えが投げたボールと違ったとしても表情を変えないし、勉強に対するスタンスが甘いなと思っても、そういうことを指摘しない。ただ相手の状況を聞き取るのに徹します。

こちらが何か反応すると、相手が正確な情報を返してくれなくなるので、とにかく聞き役。

多くの人が、言い出したくなって、相手の話を遮って喋り始めるけど、カウンセリングにおいてはご法度。用心用心。

 

数字で騙される人と、騙す人

偏差値っていうのは、最終的に計算された値であって、プロセスは全部すっ飛ばされている。

プロセスっていうのは、間違えた場所と正解の場所の区別とか、その失点原因/得点原因が何なのかとか、どの分野が得点を取れなかったのか/取れたのか、などなど。

僕からしてみると、そういうところにこそ宝が眠っているけど、世間の人は判定ばかり気にする。

その生徒が、どういう勉強をすべきかなんて、偏差値だけでは絶対に分からないはず。さっきも言ったけど、「体調が悪いけど、薬くれ」みたいなもので、そいつのどこが悪いのか、全くわからない。

 

ようするに生徒も先生も、成績を上げるためのポイントが分かってない。もう少し正確に言うならば、成績が上がるまでに必要な要素が細かく見えていない。こういう2人が相談会をやったところで、大したものは生まれないでしょう。

 

偏差値みたいな分かりやすい数字っていうのは、もろ刃の剣。

例えば、A判定ってみると、その模試において、まあまあな成績を取ったということは分かるけど、それ以上でもそれ以下でもない。別にA判定を取ったから合格が約束されたわけでもなければ、E判定だから不合格というわけではない。

あくまで過去の統計ではそうだった、というだけの話。

 

個人的には、判定に異常にこだわる人は信用していない。

別に、どこかの赤の他人がそうであっても、何とも思わないけど、受験の相談を持ち掛けられたときに、保護者に「うちの子、E判定だったんです。もう絶望です。どうすれば良いですか?」なんて聞かれた時には、真面目に答える気がなくなっちゃう。仕事だからちゃんと答えるけど、こういう人はいくら言い聞かせても変わらないから、それきりの関係になることが多いかなぁ。

僕としては、ちゃんと生徒のことをヒアリングして分析して、細かく綿密な指示を出したいと思っているけど、世間にはそういうのを求めてなくて、「とりあえず目先で何をすれば良いかだけ教えてくれ」というひとがたくさんいる。

 

要するに、分かりやすいことにだけ飛びついて、面倒なことは避けということですね。

ハッキリ言うと、こういう人は数字に騙されやすいと思う。そして、そういう人をだまそうとして数字を使う人がたくさんいる。

 

ちなみに、E判定から合格を勝ち取りたいのなら、普通の人と同じことをしてはダメです。何をすればよいかは分からないけど、普通の人がやることが間違いだということだけは分かります。なぜなら、普通の人と同じことをすると、普通の人と同じような推移を辿るから。普通の人とは違う成果を出したいなら、手段(勉強プラン)も違うべきです。

 

とあれこれ書いたけど、なんでこんなことを書いたかというと、ストレス発散。

忙しくてTwitterも更新してないし、日々の仕事の謀殺されているけど、たまに書き仕事をすると楽しいから、本当は書きたい。

このブログも、放置しっぱなしの割に、見に来てくれる人がいるから、もう少し書こうかなと、ふと思ったところ。

Twitterやると、やなリプがたくさんついて怖いから、あんまりやる気にならないんだよなぁ。アメブロなら、あんまりコメントつける人がいないから、

こっちを主戦場にしようかな、とかなんとか思って、とりあえず久しぶりに更新。
 

 

 

生徒からの質問と、その返答です。

 

Q、毎日の勉強の姿勢について、取り組む指針はありますか?

A、「目的を持った選択と集中」が、戦略の基本中の基本です!

会社組織なんかでは、部署に分けて営業部とか広報部みたいに、同じ仕事を集中しておこなうように人材を分けますよね。
そして、その営業部のなかでも、役割を与えられて、それぞれの人がある程度同じ仕事に従事して、集中して取り組みます。

さらに、一人ひとりのビジネスマンにおいても、複数の仕事を同時並行することはありますが、「成果を出すまで、この仕事」というように、きちんと一つの仕事を終わらせるまでは、あまり浮気をしないで取り組むことが良いとされています。
このように、どの分野に集中するかを常に判断しつづけるのが、戦略の基本です。

勉強においても、やはり目標と目的が大事です。
例えば、今日は「英語だけやる日!」と決めて取り組むのも良いと思いますが、それより大事なのは「どのような成果を出したいか」です。

「英語の文法を全部総ざらい」みたいなプロジェクトを立ち上げてしまうと、それなりに時間がかかるので1日中、英語ばかりの日ができるかもしれませんが、
「単語帳1冊の中で、忘れている単語だけ覚え直し」みたいなプロジェクトなら、数時間で終わりますよね。
数時間で一つ成果をだしたら、次は「古文常識を全部覚えよう」と10時間のプロジェクトが始まるかもしれません。

こんな風に、目的と目標を決めて、確実に一つずつ撃破していくのが、戦略の基本です。

これを基本路線として考えた上で、「英語ばかりやると生産性が下がるから、あえて別の科目に移行しよう」などの現場のイレギュラーに逐一対応していくことも、必要と言えば必要になります。


悪い戦略としては、「今日は英語を3時間やろう」など、量によって投資する力を決定することですね。
こうすると、生産性が下がります。
初めから「3時間」と決めると、元々予定していた作業を、3時間に引き延ばして行うようになるので、
3時間やること自体が目的になってしまい、何を目標にしているかが不明確になるからです。

それよりも、「3時間分の猶予を取るけれど、できれば2時間で済ませたい」などと考えて、なるべく早く終わらせるようにする方が、生産性が高まりますね。

つまり、「目的、目標を持って、その成果を出すために全力を尽くす。成果をだしたら、次の目標へ」
というのが1つのサイクルになっていて、これを高速で回転させていく
ようなイメージです。

 

よく「毎日バランスよく、全ての科目を勉強した方がよいですか?」と聞かれることがありますが、答えはNO。

その人によって、伸ばすべき科目と放置すべき科目があるので、バランスよく勉強する必要はありません。

バランスは、「保つ」ものではなくて、「とる」ものだと思ってください。

バランスよく保って、均等に力を分散させるのではなく、バランスをとるために、(短期には)ある1点に集中して取り組むのがよいでしょう。

 

1日に5サイクル回したら、結果としてそのサイクルが全て別の教科だったから、今日は5教科取り組んだ、ということはあり得ますけど、何となく力を5教科に分散させた人とは、月とスッポン。まるで得られる成果が違います。

力を分散させて、均等に進めなさいなんて指導するのは、教育現場だけじゃないでしょうか?

持ちうる力を1点に注いで、一つ一つの勉強内容を高精度に身につけていくのが大切です!

安倍晋三元総理大臣が亡くなった。心よりご冥福をお祈り申し上げる。

 

暗殺だった。

暗殺なんて、今の日本で起こるはずがない。ルパン三世かゴルゴ13の世界の話でしょ・・・と5年ほど前まで思っていた。

歴史の勉強をしていると、歴史は歴史じゃないし、現在も歴史の一部だと思うようになった。

 

いわゆる学校教育で教科書で歴史を勉強していると、歴史なんて過去のことでしょ、と思うようになる。

縄文時代の生活なんて、今からは想像できないし、ドラえもんの映画と同じで作り話のように思えてくる。

しかし、歴史は歴史じゃなかった。

古代には携帯電話もないし、電車も走ってないけど、人間はいた。

人間が作ってきた文明の先っちょに、私たちは生きているんだ、というのが段々分かってきた。

 

暗殺は卑怯だ。

人間、生きていれば誰しも、殺したいほど憎い人が一人や二人いるだろう。

でも、憎い気持ちを必死に押し殺して、我慢して、何とか心の中で折り合いをつけて生きている。

いくら気に入らない相手でも、殺してはいけない。

どんなに殴られても殴り返してはいけない。理由はどうあれ、暴力を手段に用いることを認めない。

これが法治国家の大前提だ。

 

「暴力を許してはいけない。暴力は民主主義の否定だ。」

そんな声が多く聞こえてくる。

その通り。

暴力を肯定することは、民主主義を否定することに通ずると思う。

 

選挙は内戦の代替手段だそうだ。

選挙がない時代、日本はもちろん、世界中で殺し合いによって、誰が政権を握るかを決めていた。

〇〇戦争とか、〇〇の乱なんかは、多くが政権争いの延長上で起きた殺し合いだ。

殺し合いに勝った人が政権を握り、負けた人は・・・(略)

そこへ、日本にも民主主義の仕組みが届いた。

投票箱に入れられた紙に書かれた数が多い人に、政権を預ける、というルールだ。

日本には明治時代のはじめに導入されたが、まだ馴染みがなかった時代だし、ちょっと前まで江戸時代だったしで、始めの選挙では暴力が横行した。

死人も出たし、けが人もたくさん。品川弥次郎が選挙干渉をしてやっと政府側が政権を握れたという始末。

政府側が暴力を許容して選挙を行うんだから、本末転倒だ。

 

ただ、日本が大規模な暴力を用いたのははじめだけだった。

すぐに暴力を伴わない、公平な選挙ができるようになった。

民主主義は完璧なシステムではないし、問題点もたくさんある。(そもそも衆愚政治だし)

それでも、暴力によって誰も傷つかないところは、誰がどう見ても良い点だ。

 

今でも、とある大国では投票箱にすべての紙が投げ込まれた後にも、集計中に不正があるそうだ。

「いや、むしろ、公平に集計されることの方が、まだまだ珍しいんだ!」なんて言う人もいる。

選挙は、公平に集計する人が集計しないと機能しない。

 

民主主義っていうのは、システムにすぎない。そして、そのシステムを運用するのは、人間なのだ。

暴力を使おうとする人が出てくれば、暗殺だって起きる。

集計をちょろまかそうとする人がいれば、不正が起きる。

民主主義は、その国の人の努力によって担保されるんだなぁと、つくづく思う。

 

戦前の日本では、憲政の常道という慣習があった。

いくつかルールがあるが、その一つが「暗殺による政権交代を認めない」だ。

与党の総理大臣が暗殺されて政権交代が起こってしまったら、「気に食わない総理大臣は殺せばよい」となってしまい、暗殺を助長してしまう。

しかし、犬養首相が515事件で殺されたときは違った。

暗殺した人をかばう言論が多く登場したのだ。

その4年後には226事件。そして日本は敗戦への道を一歩ずつたどる。

民主主義は、かくも脆い。

 

安倍元総理には、色々な思いがある。

政治に関心をもって初めて応援した総理だった。

特に、第2次政権の初期には、大きな夢を見させてもらった。このままいけば、日本が本当に強くて豊かな国になるんじゃないかと思った。

でも、たった一瞬の出来事で死に至ってしまう。

壮絶な人生だったことと思う。普通の人なら投げ出してしまいそうな誹謗中傷もたくさん受けて、それでもユーモアを忘れずに明るく前向きに生きてらっしゃったと察する。

これからは、少しお休みください。

TAWASHIさんの動画チャンネルで、新動画がアップされた。

 

結論としては、今年もTAWASHIさんを担当するという内容なのだが、今回はちょっとだけ小言を言わせていただいた。

TAWASHIさんが東大に合格したいのは分かる。そして、多くの人がTAWASHIさんに合格したいと思ってもらっているのもわかる。しかし、ご自身の動画チャンネルだからか、多くのコメントは「応援しています」や、「頑張ってください」など、温かいコメントであふれている。

アンチコメントもあるが、愛情あふれるアンチコメントは、残念ながら少ないように思える。

 

私も、本音で言うとチャレンジしてほしいし、合格するまで応援する気持ちに変わりはない。

 

多くの塾や予備校が、生徒を合格させるために存在している。敬天塾ももちろんその側面はある。しかし、私は敬天塾を「合格させるための塾」にしたくない。

「生徒を応援する」のと、「生徒を合格させる」は違う。大学の合格は最大のサポートなのかもしれないが、人生からして見れば一部だ。敬天塾は、生徒としてかかわった若者の人生を応援する塾でありたい。

まだ小さくて何もできない塾なので、そんなサポート体制はない。その前に、私に能力が足りなすぎる。「お前に何ができる」と言われたって、反論はできない。でも理想を掲げながら、着実に前に進みたい。

 

正直言えばTAWASHIさんのように「何もない」人間からすると、東大合格にすがる気持ちは分かる。そして、日本はなんだかんだ言って、頑張る人を応援する人が多い。

しかし、東大合格というのは、頑張っているだけで応援されるようでは甘い。受験する人は皆頑張っている。合格する努力ができるかどうかだ。

私も、TAWASHIさんを通して、いかに東大合格が難しいことなのか、よく教えてもらった。TAWASHIさんに2度もつらい思いをさせてしまったことは心から申し訳なく思うし、失った時間は返ってこない。

 

東大合格は甘くないことをよく教えてもらったからこそ、そして、TAWASHIファンの一人であるからこそ、今回はどうしても言わざるを得なかった。

「今年も頑張りましょう」ということは簡単だが、それはちょっと違うのではないかと思ったのだ。

 

実は、この動画の撮影直前まで、違う内容を撮る予定だった。

しかし、直前で私が内容の変更を申し出て、「TAWASHIさんを応援するファンを代表して、一言いいたい」と主張して、あの動画になった。

動画として残ることもあるため、下品な言葉はつかえない。とはいっても、結構カットされていたので、もしかしたら言葉をもう少し荒げていたのかもしれないが、撮影中は「ガチ」で話した。

 

動画中、私はTAWASHIさんに覚悟を問うた。

覚悟を言葉で表現するのは難しい。そして、言葉だけでは何とでも言える。

先生をやっていて学んだのは、良くも悪くも、生徒の言葉は100%信じない、ということだ。

だから、私が動画中で覚悟を問うたことは、TAWASHIさんにとって酷だったと思う。どうやったって、自分が東大に合格する覚悟を持っていることを、短時間で動画で表現できるはずはない。

しかし、問わざるを得ない、というのが正直な気持ちだった。

だから、少なくとも、ガチの撮影中にくらいは、私が酷な質問を投げかけたあとに、即答で「覚悟がある」と返してくれた時には、嬉しかった。

同時に、自分も覚悟を決めなければならないと、覚悟した。

 

敬天塾みたいな、胡散臭い塾なんてやめろとか、大手予備校に行くべきだというような、敬天塾に対するアンチコメントもあるのは知っているし、そりゃ私も「もし大手さんに通っていれば、受かったのかなぁ」と思うこともある。

しかし、それでも選んでくれたことはうれしいし、だからこそ期待に応えられるよう、今年は私もギアチェンジをしようと思う。

 

さて、TAWASHIさんは、普通の受験生ではない。

顔を出し、落ちる姿を晒し、模試を受けては結果を発表している。生活費はそれほどたくさんかからないとは言っても、ある程度は収入を得ながら受験勉強をしなければならないし、年齢も普通の受験生の倍近い。決して天才的な、勉強への能力があるわけでもないと思う。受験本番でのメンタルが強い方ではなさそうだ。

 

敬天塾には、中学受験で名だたる中学に合格し、お金や環境などを全面的に保護者の方に支援してもらっている受験生が問い合わせに来る。お金の心配がなく、暑さ、寒さや空腹、温かいベッドの心配もない。アンチコメントにおびえることもない。

 

これを比べると、TAWASHIさんは不利な状況の中、よくやっているなぁと思う。弱音を吐くこともなく、貧乏でも毎日勉強を続けている。

「本当に勉強をしているのか」などコメントがつくこともあるが、本当にやっている。例えば、直前期には、毎日数学の東大過去問の添削依頼が様々な科目合わせて5枚10枚送られてくる。

「毎日数学をしろ」というコメントもあるが、TAWASHIさんは毎日数学をしても、あれくらいの成績だ。毎年伸びてはいるが、東大文系受験者の中で、リードを勝ち取れるほどの力はまだない。

このような状況の中、孤軍奮闘しているのがTAWASHIという男だ。

 

TAWASHIさんも、一人の人間だ。

悩み、苦しみ、一生懸命に生きている。

このような苦しい状況でも、前を向いて頑張ろうと思っている。その姿は、貴いと思う。だから応援しているし、合格することで希望を持つ人がたくさんいるだろう。

TAWASHIさんを応援しようとしている方は、ぜひ引き続き動画のアップを楽しみにして、TAWASHIさんの人生を追いかけてほしい。そして、温かいコメントなどで、力になってあげてほしいと切に思う。

 

以下、蛇足。

なお、「敬天塾のイメージが下がった」とか「宣伝に使っている」とかというコメントを頂戴する。

あまり経営に話は書きたくないのだが、誤解されても困るので、今回限りは書いておく。

まず敬天塾のイメージについてだが、別にイメージ向上のためにTAWASHIさんを応援しているわけではないので、イメージが下がろうが構わないと思っている。仮にイメージが下がったことで何か不都合があるのならば、TAWASHIさんと関係のないところで上げれば良い。

もっと突っ込んだことを書くならば、イメージが良い方が問合せがたくさん来るのは分かってはいるものの、うちは問合せがたくさん来ても、受け入れる体制がないため、パンクしてしまうだけだ。だから、生徒がたくさん来ても、困るという事情もある。

 

「宣伝に使っている」という指摘に関しては、心では否定するものの、結果として宣伝になってしまっているので、明確には否定できない。別に宣伝に使いたいわけではないが、TAWASHIさんを応援するためには、自分が動画に出たほうが動画のネタにもなるし、何より「動画に出てくれませんか?」と言われるので出ている。

動画やSNSでも、「敬天塾をお願いします」などのセリフは言ったことがないはずだ。TAWASHIさんを応援してくれ、としか言っていないと思う。

たまに質問をもらうので、なぜ私がTAWASHIさんを応援しているのか、説明することもあるが、それくらいだ。

ただし、うちの経理・財務担当はやはり宣伝に使いたいという気持ちもあるようで、毎回どれくらいTAWASHIさんを宣伝に使うか、私とケンカになる笑。結局は過度にならず、TAWASHIさんがOKな部分までという結論になるが、うちとしても生徒が集まらないことには生きていけないので、「TAWASHIを宣伝に使うな」という批判も、多少は大目に見てほしいと思う。