誕生日に、生まれて来たことを素直に喜べない。と書いたけど。
それは今までずっと抱えて来た思いです。
今までずっとそんな事を考えるなんて… と否定してきた思いです。
まして誕生日になんて、間違っても口に出来ないで来ました。
無理矢理に生まれたことに感謝、してみたりもしてました。

そんな事をしてるから自分がどんどん歪むんでしょう。
どんどん自分を嫌いになるのでしょう。
歪んでる自分は、美しくないから。
そしてどんどん“自分”が見えなくなっていくのでしょう。

生まれたことを喜べないこと(=自分)をおかしいと思う判断基準は外の、一般的な感覚。
自分の感覚こそが正解なら、それとは違う基準に自分を合わせることは不正解ということ。
とても苦しいでしょう。
テストでバツがついたら、凹むものね。

まだまだ、外の基準に自分を合わせようとしてしまう。
“普通の”感覚にならなきゃいけないと思ってしまう。
そんな自分のクセを改めて感じた誕生日。


生きることを喜びだと思えないことをそのままに認めてしまったら、ずーっとザワザワしていた心の波が穏やかになりました。
何かを決めるとき、何かを思うとき、心のどこかがザワザワと騒がしくなったら外の感覚に自分を押し込めていないか もう少し心の声に耳を傾ける必要があるのだろうと思います。