熊本の叔母から父がもう長くない、意識があるのもここ数日かもしれないと連絡があり、急遽長男だけを連れて熊本に帰ってた。
父はここ数年病気だらけだった。
解体業を営んでいて、若い頃からバリバリはたらいてたからか、粉塵など影響で肺のいくらかを切除。
そして脳出血があり、そこから後遺症で半身不随や喋る事に障害が出て、ボーッとする時間が増えたらしい。
そして今は胃がんの末期。
だけど看護師さんいわく、脳出血の影響なのか、痴呆も少し入っており「総合的に見て老衰です」との事。
ガンだけでも余命5ヶ月。でも叔母が先生から聞いた話によると総合的に判断して余命一ヶ月らしい。
食べ物を飲み込む力もほぼ無く、ぶっとかった体も指もやせ細り、骨と皮だけと言っても過言じゃない。
父は61歳になったばかり。
それで老衰。
本来ならガンも手術できる年齢だと思う。だけど体力的に抗がん剤すら無理との事だった。
4年ぶりに会った父。
痴呆なんてないんじゃないか?ぐらい意識も話も普通だった。
ただ、声は全然出すことができず、口の動きでこっちが理解するしかなかった。
それでも聞いてくるのは俺や嫁や子供たちや弟達や母親の事ばかりで、自分の事なんてほぼ語らない。
そして5歳の孫を見て微笑んで手を握ってた。
息子も「おじいちゃん!大好きだよ!早く元気になって野球見に来てね!」と、物怖じせずハキハキと自分の意志で言ってくれた事に、父も俺も嬉しかった。
ラーメンでん食って帰りなっせ
頑張れよ
と最後はいつも通り、俺を励ましてくれた。
上京してからはいつも美味しいものを食べさせてくれて、そしていつも分かれ間際に「頑張れよ!俺はいつでん応援しとっけん!精一杯やんなっせ!」って言ってくれてた父。
流動食ですら食べれず、声も出ず、手を軽く差し伸べるのがやっとな状態なのに、それでも俺を励ましてくれる。
俺にとってそんな人はこの世でただ一人、父だけだ。
若い頃は暴走族やったりでツッパっていて、二十歳で俺を身籠った時は母を捨ててヤクザになりに東京に修行に行ったらしいけど、母型の祖父がどうにか見つけ出して無理やり熊本に連れ帰ったらしい。
でも自由にやってたのはそこまでで、俺や弟達からは「怖いけど働き者で頼もしい父」と言うイメージしかない。
色んな所に連れて行ってもらった。美味しいものも沢山食べさせてくれた。
酔っぱらいながら幸せそうに俺達を見る目が好き。
俺にとって命をはってでも俺を守ってくれる存在は一人だけ。
それが父。
母も俺ら兄弟を守ってくれるだろうけど、息子の俺達からすると母親は「俺が守る」と思ってるしね。
俺も子供達がいるからこそ、父の愛情のデカさがわかる。
動けなくなっても子供の心配をするその気持ちが痛いほどわかる。
親父の子でよかった。
本来ならもっと生きて孫たちの成長を見てほしいけど、意識もなく苦しむだけで生きるぐらいなら、出来るだけ苦しまずに逝ってほしいと願うばかり。
「お前の歌ば聞きよっと、涙ん出るねー」といつもスナックで幸せそうに涙ぐんでた親父。
サッカーや空手の試合をいつも遠巻きに見に来てた親父。
人の運転で唯一ぐっすり寝れる存在が親父。
ずっと死ぬまで俺を応援してくれる親父。
そんな親父の安らかな最後を願うしかない俺。
はぁ。何一つ親父にしてやれんだった。しかも最後は苦しまないで欲しいとは言え、死を願うとか。なんなん俺は。まじで……。
最高の父。
最後に、ここ最近は喪に服す意味でSMSやブログの投稿を控えていますが、そのせいで逆に心配をおかけしてしまった事をお詫び申し上げます。
ですが今はまだ、祖母や近田心平や愛犬が亡くなってしまった事を自分の中で出来るだけ長く感じていたい。父があとどれだけ生きてくれるかわかりせんが、父の事を考え続けていたい。
ただそれだけ。
俺や嫁や子供達はいたって元気です。