日頃、朝日新聞デジタルを読んでいます。適度なボリュームのコラムや連載は、いろんな世代の人たちと共有するのにも向いていて、便利に使ってもいます。

さて、最近読んだとあるコラムの中に、朝日歌壇に寄せられた短歌が紹介されていて、久しぶりに短歌っていいなぁ、と心が動いたのです。

 《テレワーク出来ない人が支えてる文明社会の根っこの部分》 藤山増昭


わかりやすい言葉のなかに、読み手を突き刺す刃のような鋭さも感じます。


私はいわゆる「サラダ記念日」どハマり世代でして、高校生の頃に一度、短歌作りに夢中になったことがありました。家庭教師を始めてからも、様々な年齢の生徒さんと短歌作りを楽しんできました。

この何年かは、1枚の写真からインスピレーションを得て短歌や俳句を作るのを時々やっています。


上の一首のような、コロナ禍ならではの気づきや思いを、記憶に残せたら。

いまは郵送で課題をやり取りしている生徒さんへの次の課題として、いくつかのタイムリーなコラムを読んでのアウトプットとともに「いまならではの気持ちを短歌に出来ないか」と問いかけています。


私自身も、いくつか浮かんだので…

保存できるメモに書いています。思いついたら順次追加していくつもりです。日付も記録。これは大事かも。


この世から歌が消え去ることはない

正解はただひとつではない


シャッターの降りた地下街

いつもより早いテンポの足音響く


「無観客」「ネット配信」慣れてきた今こそ生の音恋しくて


あの頃に戻って欲しいものもあり

戻らなくてもよいものもある


以上7月1日


くちなしの香りが消えて紫陽花も枯れた今日からなつのはじまり


以上7月2日