久しぶりのブログが訃報。
インスタには投稿したけれど。
ブログのタイトル通り、フランの最後までをちゃんと残しておこうと思いました。
1回目の月命日が過ぎても、悲しみは増すばかりで。どうしたらいいのかわからないこの悲しみ、怒り、虚しさをこのブログに残しておこうと。
以下はフランが旅立って1週間後にインスタに投稿したものです。
「8月1日早朝、フランが旅立ちました。
ポッキーへの応援にもお返事出来ておらず、すみません。
ポッキーの件でショックを受けた翌週、フランに異変が起こりました。今まで痴呆症と思っていた症状は脳腫瘍でした。いつもと違う様子にフランを抱いて走り回った3日間。動けなくなるまで、あっという間でした。無麻酔でのMRIで、脳幹に腫瘍が判明したのが7月26日。半狂乱の私の様子に、その夜主が来てくれた。
1人でこの小さな命を守る重圧に負けそうだった。
フランがいなくなる恐怖しかなかった。
社会人である以上、仕事にも行った。でも、私が不在の時には絶対に逝かないという自信がありました。
それからの5日間。この後起こるであろう状況の対処法を調べて、落ち着きを取り戻し可能な限りフランの側にいた。意識のないであろうフランと手を繋いでお昼寝したり、昔話をしたり。家族みんなで一緒に寝た。
それは本当に穏やかで、フランの意識が無くても良いからこの時間が続けと願うほど幸せな時間でした。ただ夜になると呼吸が速くなったり、おさまったりが続く。昼間は落ち着いて寝ていた。
30日、嘔吐が始まり吐き気止めを打ってもらう。
その後はまた穏やかな時間が訪れた。日曜の夜、主は仙台へ。夏休みまで頑張って欲しい気持ちともう頑張らなくて良いよという気持ちが交差する。
主が居なくなり、日付けが変わり3時頃。また呼吸が速くなる。30分経ってもおさまらない。なんとなく、あぁ逝っちゃうのかなと思い主に電話。
だんだんと心臓が弱っていくのが分かった。
痙攣のような動きも何度かあり、本当にさよならなんだと思った。でも、そこには感謝の気持ちしかなくて恐怖なんて微塵もなかった。
ただただありがとうの気持ちを伝えました。
最後の姿や頑張ってる姿はここにのせるつもりもないし、写真もない。私の脳裏に焼き付いている。皆様には可愛い可愛いフランの姿だけを覚えていてほしいのです。
この怒涛の9日間でフランは私を飼い主にしてくれた。
苦しむ姿から目を逸らす事なく、最期まで見届けた。
はっきり言って、私はまだまだよれよれで突然泣いてしまう。だけど、
今なら自信を持って、私は犬と一緒に暮らしていると言える。フランと私の揺るぎない絆がそうさせてくれたと思う。ただ一つ足りないものは、病気に関する知識なのかなと思う。
フラン、ありがとう。これからもずっと大好き。」