私の実家のある日田市大山町の秋祭りは、前夜祭的に神社の境内で「よど相撲(宮相撲)」があり、翌日昼間、お神輿の巡行をしていました。私は、小学生の頃は相撲が強く、「よど相撲」で3人抜きや5人抜きでお花(懸賞金)を荒稼ぎしていました。だから、今も故郷の秋祭りには深い思い出があります。

 

日田から大分市下郡に移り住んで20年。はじめて地元の秋祭りをゆっくり知る機会がありました。

 

 

よそから来た者にとって、引っ越し先のお祭りは「なにかやっているな!」でしかありません。しかし、長く住み続けた地元の方々にとっては、「幼いころから関わり続ける伝統行事」です。

 

 

下郡でも前夜祭は「よど」と呼ぶそうです。

 


 

下郡地区のお祭りは「霜凝(しもごおり)神社」の神事です。私は、「よど」の神輿の巡行と神社入りの見物に誘われました。巡行の途中に、地元の名士の家々で神輿の練りまわしを披露し、休憩(腹ごしらえと一杯頂戴する)を行う風習になっております。下郡を代表する名士(関家)から招待を受けました。コロナ禍で4年ぶりに神輿が自宅に来るということでした。

 

 

 

7時過ぎ、50人を超える白装束の方々がやってきて、庭でお囃子や神輿の練りまわし、獅子舞などを披露してくれました。

 

 

 

 

 

↑ご先祖様の遺影と一緒に神輿をむかえる家族

 

 

へ~~、こんな祭りだったんだ!と感動しました。都市化したとはいえ、田んぼばかりだった頃の伝統がしっかり引き継がれています。特に、フィナーレの神社に神輿を奉納する演出はおもしろく、(無理のない程度に)迫力もあり、なるほど見る価値のあるお祭りでした。

 

日田時代、30代のころ、祖父がお宮の総代をやっており、「もっと祭りを派手に盛り上げたらどうか?」と提案し、実際にやったことがあります。その時、祖父から言われた一言は今でも脳裏に焼き付いています。

 

「哲也、祭りは腹8分目でやらんといかん。やり足らんから続く!」

 

その言葉のとおり、私たちの仕掛けた「盛り上げ」は、数年しか続かず、元の形に戻りました。

 

下郡の秋まつりにも同じことを感じました。

 

「やり過ぎない」

 

これこそ、先人たちの長く続けるための知恵だと感じます。持続可能な社会に向けて「腹八分」は応用範囲の広い賢い戦略だと思います。

 

 

 

さて、お招き頂いた家の「腹ごしらえ」は、当社のからあげやお惣菜でした。

 

 

 

たくさんあったからあげが、本当に一瞬で食べつくされました。口々に「ポッポだ!うまっ!」の喜ぶ声を聞きました。関家の方から「この方がポッポおじさんです!」と紹介していただきました。歓声が上がりました。

 

大分市下郡に住み着いて20年。ようやく、ココが「地元」になりました。