ありのまま、という言葉が
好きではないと 先日ここで書きました
ありのまま、の自分を責め
そのままではいけない、と
いう無意識が
私にはまだ
あるからだと自覚しています
(無意識の自覚(笑))
どうしても
ありのまま と
諦め が セットになってしまいます
”諦める”という言葉がまた
自分を苦しめます
”負け犬”という言葉が浮かんできます
しかし
改めて調べてハッとしました
「喧嘩に負け、しっぽを巻いて逃げる犬。
敗残者のたとえ」
と、あったのですが
『ちゃんと戦ったのだな』ということに
気付かされました
戦わずして逃げたわけではない、
ということです
「ありのまま」という言葉を
「あるがまま」
=「挑戦もしない」「諦めの境地」
というような解釈を
勝手にしていたようです
私の「ありのまま」が
何なのか
実は
まだハッキリとは分かりません
(それを探し続けるのが人生なのかもと
最近思ってはいますが)
自己理解を深めてはいるけれど
まだまだなのだと思い知らされる言葉
「ありのまま」という言葉が
好きではないということは
私がまだ
自己理解の旅の途中である証拠に
過ぎないのかもしれませんね
諦観(ていかん)
という言葉が好きです
本質をはっきり見極めること。
また、あきらめ悟るの意でも用いられる。
仏教用語でもあり
物事の因果の道理を見た上で執着を捨てる
ともありました
家を出る時に
ジャムとアルムの
「ふたつ」のまぁるい頭🐈🐈を
撫でること
私の毎日の習慣です
身体に染み込んでいます
先日
実家から自宅へ帰る時に
いつもの
そのリズムに乗って
実家猫くぅちゃんと
その隣にあった大きめの頭と
「ふたつ」のまぁるい頭を
ついつい身体が動いて
撫でていました
2つ目の大きめの頭は
母でした
私に撫でられて
母が「ニャン」と言ったので
父も揃って大爆笑でした
すぐに父が
「お父さんも撫でて」と
ふざけた感じで
軽く頭を差し出してきたので
撫でてみました
愛おしい3つの頭達だと
思えた自分がいました
父は癌の治療中です
頑張ってる自分を
娘に褒めてもらった気分になったのかも
しれません
(今日はご飯作って
実家へ差し入れしてきました)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
アルムんも
絶賛換毛中
季節の変わり目ケア中
ジャム姐たんのような
ヘアカットは不要で
ブラッシングのみで
早いもので4月で10歳になる、
アルムんですが
変わらず
甘えん坊しゃん
寝る時は
ママの枕に並べたクッションで寝るし
基本的に
いつも
母にくっついている息子です
猫吸いも
ママは
やり放題だし
(嫌がらずさせてくれます)
抱っこも
ほぼ
ママがしたい時にし放題だし
(ママが忙しい時にもせがまれるけど笑)
マッサージや
ブラッシングも
大好きなアルムんと
スキンシップ取り放題な日々です