語録18 | パーサによるトマスの福音書

パーサによるトマスの福音書

Closing the Circle: Pursah's Gospel of Thomas and a Course in Miracles

「神の使者」、「不死というあなたの現実」で再生された、トマスの福音書について書かれた「Closing the Circle」の和訳です。

野口博和さんから以前頂いてた、和訳をアップしています。

 語録18
信者はJに言った。「わたしたちの終わりがどうなるのか教えて下さい。」
彼は答えた。「それでは、あなたがたは終わりを探すために始まりを見つけたのか? 始まりがあるところに終わりがあるからである。始まりに立つ者は幸いである。その者は終わりを知り、死を味わうことがないだろう」
The followers said to J, “Tell us how our end will be.”
He said, “Have you discovered the beginning, then, so that you are seeking the end? For where the beginning is, the end will be. Fortunate is the one who stands at the beginning: That one will know the end and will not taste death. ”

この言葉は、私たちが他のトマスの言葉(語録2106)やヨハネの黙示録などで馴染みのある、アルファとオメガへの言及と関連している。コースの観点から思い浮かぶのは、贖罪を受け入れるとは、私たちがエゴを選んだ瞬間に戻り、代わりに聖霊を選ぶことである、という考えである。私たちがその決断の瞬間に戻った時、私たちは、エゴの地獄を味わってきたので、その物語を終わりまで正しく見抜くことができるし、そのとき別の選択をすることができる。

 この種の用語によってイエスをグノーシス主義者だと考えるのは間違いである。むしろ、グノーシス主義者の方が、他の伝統の中で、-積極的に抑圧されたとまではいかなくても-失われたかもしれないイエスのいくつかの考えを、単に保持し、発展させたのである。
また、もう一つのコースの類似した言葉も心に浮かぶ。:「世界は死によってではなく、真実によって離れられる。そして真実は、彼らのために、王国が創られ、王国が待っている、すべての者に知られうる。」
“The world is not left by death but by truth, and truth can be known by all those for whom the Kingdom was created, and for whom it waits.” (T-3.Ⅶ.6:11)

(野口博和訳)