廃船。 | ゆきのブログ

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廃船。

実は漁船を2台所有していました。

といってもスタジオを設立してからは浮かべているだけで1度も出船した事は無いです。1台は漁師に譲ってもらい、もう1台は父親と共同で買った中古船。

当時、お店を経営していた僕は、春秋はお客さん達を乗せて沖釣りに。夏は無人島でバーベキューをやったり、僕の青春時代の1幕を担ってくれた船でした。

船には女性の名前をよくつけます。僕の父親がつけたこの船の名前は「花丸」。僕の母親の名前は花子。無骨で口ベタな父親が、周りに示した数少ない母への愛情表現でした。

実家から港まで2〜3分。釣り好きの両親の影響で小さい頃から海で育ち、小学生の低学年から父親と同じ竿とリールでガシラ釣り。手釣り仕掛けではイサギ、アジやサバに鯛など紀伊水道のお馴染みの魚を沢山釣りました。

話し下手な父親と話をするのが怖かった僕ですがそれでも父親について行くのが好きで、土曜日の夜など、父親が釣りの仕掛けを作っていると「連れて行って」と直接は言えず、母親の元へ行き「明日連れて行ってとお父ちゃんに言っておいてね!朝も起こしてよ!」と猛アピールしてから布団に入りました。朝早く起きたら自転車屋の軽トラに荷物を積み込み、ちゃっかり乗り込んでついて行きました。そしてやはり船上でも全く会話は無く、父が発する言葉も「もやい解け!」「錨放れ!」「帰るぞ!」の3口だけ。そんな父親の背中だけを見て育った様な気がします。

晩年、屈強そのものだった父親が末期の病魔にむしばまれ、フラフラしながら一緒に港に行き、力のない声でこの「花丸」のオイル交換のやり方を教えて貰いました。
それが父親に教わった最後の出来事でした。

僕はこの時、余命を知っていたので胸がいっぱいになり、全く手順が頭に入ってきませんでした。以来この「花丸」のオイル交換も、メンテナンスもしなくなり、エンジンに火がはいることは1度もありませんでした。

ただ浮かべているだけの船。実家への帰り道、係留されているこの船を見るのが普通、、、と言うか落ち着いたのですが、漁業組合にも悪いので、先日、この2台を解体業者に委ねることにしました。
当日、業者より少し早めに現地に入り、日本酒と饅頭でお神酒とし、労をねぎらい父親に許しを請いました。


いとも簡単に釣り上げられ、壊せるところは壊し、トレーラーに乗せられた時は涙がこぼれました。


でもこれでいいんだと思いました。


久々に乗った広くは無いキャビン。船首から船尾へ移動する時、どこをどう持って移動したか、エンジンルームの癖のある開閉方法、、、手が覚えていました。

花丸。
沢山の思い出をありがとう。おとうの元へ。
安らかに。。。