民の声新聞 -34ページ目

映画「月あかりの下で」~定時制は生きる希望の場所

多くの人がホールを後にしても、なかなか立ち上がれなかった。
久しぶりにたっぷり流した涙で顔はベタベタになっていた。
ドラマの中でしか存在しないと思っていた「金八先生」は実在した。
そして、その先生に救われた生徒は確実にいた。
しかし、その学校はもう、ない。
生徒たちが生きる希望をもらった学校は、今や記念碑だ。

映画「月あかりの下で」は2002年から4年間、フリーディレクターの太田直子さんが埼玉県立浦和商業高校定時制課程のクラスに密着。入学式から卒業式までを追ったドキュメンタリーだ。
2007年に日本テレビの特別番組として放送されたものを編集。文化庁映画賞など多数の受賞歴がある。

担任の平野和弘さんには、冒頭から驚かされる。
「大人の既成概念で子どもたちを叱りたくないんですよ」と言うように、教室の外でフラフラしていようと、飲酒で赤ら顔になって登校しようと、職員室や保健室に入り浸っていても怒らない。そもそも、クラスの大半が不登校の経験がある。まずは自分の居場所を見つけてほしい。教師たちにはそんな願いがある。
平野先生は入学式の直後、最初のホームルームで生徒たちに語りかける。
「不登校の経験は、君たちの宝だ。周りに流されず、学校に行きたくないという自分の感情ときちんと向き合って答えを出したのだから」
ある日のホームルームでは、嫌いな人とどう接するかをテーマに選んだ。「嫌いな人は誰にでもいるし、いて構わない。否定だけはしないでほしい」
それはまるで彼が自分自身に言い聞かせているようでもあり、観ている我々に突き出された刃のようでもあった。平野先生の理念、それがどんな生徒であっても存在を認めることだからだ。

物語は、キャバ嬢のような派手な女の子・サチコを軸に展開していく。
授業もロクに受けず、教室には居場所がない。平野先生は信頼してるから職員室や保健室に入り浸る。
そんなサチコがクラスに居場所を見つけるきっかけとなった事件があった。
復職したばかりの教師が、口数の数ない生徒に大声をあげた。
サチコはキレた。
殴りかからんばかりの勢いで教師に迫った。
生徒の事情も知らずに叱りつけたことがどうしても許せなかった。
後に彼女は「私っていつもこうなっちゃう」と平野先生の前で涙を流したが、クラスメートのために黙ってはいられない優しい女の子なのだ。そしてそのことを、他のクラスメートも良く分かっていた。
孤独だと思っていた彼女は喜んだ。

平野先生が、進級が危うくなった生徒たちを前に茨木のり子の詩「自分の感受性くらい」を朗読する場面は圧巻だ。「ばかものよ」―。涙を流し、机に両手をつきながら、まるで土下座をするように生徒に進級してくれと語りかける。

サチコたちの署名活動や卒業生たちの直接の要請もむなしく、同校は2008年、統廃合の一環で定時制課程がなくなった。平野先生も、全日制課程に移った。
親から暴力を受けていたマリは振り返る。
「もしあの学校に行っていなかったら、明るい自分はなかったかもしれない」
親との軋轢でリストカットをしていたナオミも「本当の友だちができたっていうところが浦商だった」と話す。サチコは多くは語らないが、入学式でただ下を向き、返事もできなかったのに、体育祭にも参加し補習も一生懸命に受けるようになった姿を見れば、言葉は要るまい。

横須賀での自主上映会に尽力したのは、ヨコスカ・シネクラブ。
映画館では観られないマイナーな、しかし上質の映画の上映会を35年にわたって開いてきたという。
「子どもたちはあらゆる問題を抱えている。この作品には4年間撮影したことで、それらが詰まっている。ぜひ多くの人に観て考えてほしい」と代表の筑間一男さん(63)は話す。
最近ではネット配信などの技術革新のあおりも受けて、上映会の参加者は減っているという。
「ネットには流れない良い作品もある。ぜひ自ら足を運んでほしい」と筑間さん。クラブの運営は財政的に厳しいが「声がかかれば、横須賀で再び上映会を開きたい。苦しんでいる若者にも観てほしい」。

この映画を観る際には一つの作業が要る。
既成概念を取っ払うこと。
そして、大人の考えを子どもたちに押し付けないこと。
そうすれば、子どもたちの叫びは胸に響いてくる。
虚勢を張ってる陰で、多くの涙を流し、不安で眠れぬ夜をいくつも過ごしている彼らの気持ちが、少しだけ理解できると思う。
そう、虚勢なんだ。
養護教諭がサチコに語りかけている。
「みんなの前では虚勢を張ってるんでしょ?弱さを見せられないもんね。だったらいいじゃん、ここで私に素顔を見せれば」
子どもたちをまずは認め、話を聞いてあげる。
まずはそれから始めてみようか。
なかなか難しいけれど。
この作品を見終えたら、職員室で「おいキョートー」と呼ぶサチコに眉をひそめることも無くなるはずだ。


「月あかりの下で」は、各地で自主上映会が展開中。
上映日程は公式サイトhttp://tsuki-akari.com/


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平野先生の前で机に横になるサチコ。先生のおかげで教室に居場所を見つけた1人

根拠があいまいな『節電15%』

「我々はお客さんですよ。市も市民も電気代を払っているんだ。そんな弱腰では…。地域主権の気概を見せなきゃ」
「東電にはそのようなデータが無く、物理的に出せないと聞いております」
「だから、出せないなら出しなさいと言ったらどうですか。ハイそうですか、ではなくて」
「そもそも存在しないデータでありまして…」

8日に開かれた横須賀市議会第二回定例会の本会議での一幕。
一柳洋議員の質問に、吉田雄人市長や環境政策部長はたじたじになった。

同市議がこだわったのは、福島原発の事故に端を発した節電の根拠だ。
横須賀市は経済産業省の要請に応じ、市全体で大口需要家を中心に昨年比15%減を目標に掲げている。
しかし、本当に節電しなければならないほど、真夏の電力は足りないのか。
同議員は市に迫った。
「震災の影響で経済が冷えきっている中いたずらに節電を求める必要はないし、夜のイベントも中止しないよう呼びかけるべきだ。そもそも、今夏の横須賀市のピーク時の必要電力量や供給可能な電力量について、東電にすぐ資料を出させてほしい」

「そういうデータが存在しないと東電は言っていた」

それが市側の答弁だった。
環境政策部長によると、東電には都道府県単位のデータしかなく、神奈川県のピーク時使用量は昨年度約990万kw。東電管内のデータから推計すると今夏の電力供給量は890万kwと考えられ、約100万kwの電力不足が想定されるという。
吉田市長も「過度な節電は経済を冷やす懸念がある」としながらも、市内の大口需要13施設を主に、昨年比15.2%削減を目指すことを示した。節電の成果は、毎月経産省に報告するという。

この答弁に、一柳議員がキレた。
「そもそも電力供給は独占体制で、東電が嫌だから他の会社から買います、というわけにはいかない。原発の問題でも、今まで散々嘘をついてきた。このデータだって信用できない」
「市長は過度の節電はいけないと言ったが、基礎データがなければ、節電が過度か否か判断ができないではないか」

「15%の節電を着実に実施したい」という吉田市長に畳み掛けるが、市側は冒頭の答弁を繰り返すばかり。

「データを出させよ」
「データは存在しない」
結局は、市が主体的、積極的に東電に働きかけるかどうかの問題だ。
全国の原発を全て止めても電力不足は生じないとも言われる中、
経産省や東電の言葉を鵜呑みにしたような姿勢では、市民も納得して節電できまい。
この日の答弁では、米軍基地や原子力空母に関しても「米側が安全と言っている」「防衛省はそう言っていた」などの発言が目立った吉田市長。
軍事機密ならともかく、節電の根拠となる資料すら電力会社に求められないようでは、
《官僚市長》を批判して当選した自身の政治姿勢が問われることになろう。

原発におびえる民の叫びを読め! ~復刊された「住民の訴え」




6年ぶりに復刊されたブックレットがある。

浜岡原発の危険! 住民の訴え

(一般社団法人アクティオ、840円)
電事連非公認 エネルギッシュ怒ーク!


もともとは2005年、「浜岡原発を考える会」代表の伊藤実さん(70)が中心となって刊行されたものだ。

当時の想いを、伊藤さんは「発刊にあたって」でこう綴っている。

 

…浜岡原発1号機が「絶対安全」という掛け声の下で運転を開始したのは、この歴史的事故(筆者注=米・スリーマイル島原発事故)以前の1976年のことである。そしてちょうどその年に、浜岡原発のあるこの地方に東海地震が発生するという学説(同=石橋克彦氏の学説)が発表された。にもかかわらず、大地震の震源域とされるわが町の海岸には5機もの原発が建設されてしまった…

…阪神大震災が勃発した1995年頃、浜岡では5号機増設が計画されていた。多くの住民が建設反対の声を上げ、私たちも「浜岡原発を考える会」を立ち上げ、原発の問題を自分たちと未来の世代のために考える活動を始めた。それでも5剛毅は建設され、私たちの訴えは届けられることはなかった…

…「原発は怖い」という思いは同じであるが、村社会の中ではこのブックレットに登場すること自体に勇気がいるということを、どうか御理解いただきたい…

…このブックレットが多くの人々に読まれ、浜岡原発の1日も早い停止の一助になれば、こんなに嬉しいことはない…


それから6年。

伊藤さんたちの懸念は、遠く東北の地で現実のものとなってしまう。

津波はおろか、地震の一撃でメルトダウンに至っていた原子炉からは、

今日も高濃度の放射線が漏れている。

その中、浜岡原発(静岡県御前崎市)に世界の注目が集まる。

広瀬隆氏は、4月下旬に都内で開かれた講演で「東海地震はいま、この瞬間に起きても不思議じゃない。間違いなく起きる。そのときは浜岡原発は終わり。そうなったら日本は終わりですよ、皆さん分かってますか。子供たちのために絶対に止めましょう。一人一人が動いて変えるしかないんですよ」と訴えている。

掛川市に住む戸倉由紀枝さんも、危機感を募らせた一人だった。

戸倉さんは電子署名サイト「STOP!浜岡原発」 の代表を務めるが、その活動の中で伊藤さんと知り合い、復刊を後押しした。

復刊本の中で、戸倉さんは浜岡原発に関する自身の危機感の高まりについて、こう記している。


…夫も私も3月15日まで、浜岡原発について深く考えたことなどありませんでした。3月11日に東日本大地震が発生し、3月12日に福島第一原発で水素爆発が起きても、浜岡原発のことは心配していませんでした。ところが、3月15日に静岡県東部でマグニチュート6.4の地震が発生し、私たち夫婦は、浜岡原発のことが心配になり始めたのです…

…掛川市で生まれた夫は、東海地震も浜岡原発のことも知っています。しかし、東海地震が起きると言われて30年、東海地震に対する意識は薄れていました。東日本大地震は、薄れていた東海地震と浜岡原発の存在を呼び起こしてくれたのです…

…これまで、原発の危険性を訴えている人たちのことを、「自分とは違う過激で大袈裟な人たち」という勝手なイメージを抱いていました。しかし、私が出会った人たちに、過激で暴力的な人はいませんでした。今私は長年原発の危険性を訴えられてきた方たちに対し、尊敬と感謝の念を抱いています…


かくして、戸倉さんたちの熱意が伊藤さんを動かし、6年ぶりの復刊は実現した。

表紙の絵は、画家で脱原発運動に力を入れている増山麗奈 さんが描いた。この絵は、電子署名サイトでも使われている。

ブックレットでは、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんが専門家の立場から浜岡原発の危険性を解説しているほか、伊藤さんら原発周辺に暮らす人々が、なぜ原発に反対するのか思い思いに綴っている。

その一人、嶋橋美智子さんは1991年、同原発で働き被爆した息子を29歳という若さで失っている。死因は白血病。「私は息子達被曝労働者の救済だけを訴えているのではありません。付近の住民、一般の住民も事故がおきれば同じことが起きるのです、と訴え続けていかなければならないのです」。母の願いは重い。


伊藤さんは、精力的に講演会に出向き「浜岡」の危険性を訴えている。

時の町長に「学生時代、ゲバ棒を振るっていた共産党員だった」とデマまで流布されたという伊藤さん。有形無形の圧力にも屈せず、中電の株主総会にも出席した。

「原子炉は20年もつと言う。それが30年、40年と延びていく。地元には嘘のつき通し」と憤る。

金で懐柔しようとする中電。

そこにタカル地元住民もいる。

「飲ます食わすは当たり前。旅行があると聞けば50~60万円の寄付を出す。タカって飲まされてモノを言えなくなる。原発反対で当選した議員ですら、2ヶ月もすれば推進派に変わってしまう」(伊藤さん)

ひとまず停止した浜岡。

「しかし、これで終わったわけではない」と、伊藤さんは「復刊にあたって」で書いている。

「完成まで2~3年かかる高さ15mの防潮堤を作らせてはならない。それが完成すればまた原発の再開が取りざたされる懸念が残るからだ」


目指すのは、ドイツのような、政府による「脱原発宣言」だ。


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(6/3文科省で母親たちと一緒に要望書を手渡した戸倉さん。

伊藤さんたちの活動に敬意を払う1人)


【参考】

全面停止 中電、5号機も完了(5/15 07:25)


 中部電力は14日、浜岡原発(御前崎市佐倉)5号機の原子炉を停止したと発表した。定期検査中の3号機と13日の4号機に続いて、運転可能な3基(合計出力約360万キロワット)全てが止まり、政府の要請を受けた異例の全面停止が完了した。1、2号機は廃止措置中。
 中電によると、5号機は14日午前1時20分から停止操作に入った。徐々に制御棒を挿入して出力を落とし、午前10時15分に発電を停止した。午後1時に全ての制御棒の挿入を終え、原子炉の核分裂反応を完全に止めた。
 原子炉の冷却水の温度が100度未満の「冷温停止」状態は発電停止から1日程度かかるため、5号機の冷温停止は15日午前の見通し。4号機は13日午後11時45分に冷温停止となった。
 中電は供給力全体の1割超を失う中、電力需要が高まる夏場に向けて、火力発電の増強や節電要請で乗り切る方針。浜岡原発については、2~3年をめどに防潮堤の設置など中長期の津波対策を完了した後、地元の理解を得て直ちに再開したい意向を示している。
 浜岡原発の全面停止は2010年11月以来。09年8月に発生した駿河湾を震源とした最大震度6弱の地震でも全面停止したが、今回のような長期を想定した全面停止は異例。中電は原子炉内の燃料を含めた保全計画について「原子炉施設保安規定に基づいて定期的に点検を実施していく。具体的な内容は調整中」(広報担当者)としている。
 浜岡原発をめぐっては菅直人首相が6日夜、中電に浜岡原発の全原子炉の停止を要請し、中電は9日に政府の要請受け入れを決めた。
(静岡新聞社)

電事連非公認 エネルギッシュ怒ーク!
(浜岡原発の全景~中部電力より)

舞台「いるだけ。」観覧記~家族の愛し方は十人十色


電事連非公認 エネルギッシュ怒ーク!
家族って何だろう?

いるのが当たり前。

いたらいたでうざい。

いなければいないで困る。

産みの親、育ての親と二度にわたって親に捨てられた私としては、

家族に対して正直、懐疑的な想いが強い。

結局、「いるだけ」で良いのか。

「いるだけ」で邪魔な存在なのか。

家族を思いやる気持ちとは。

親が子を

子が親を…。

多くのことを考えさせられる舞台だった。


◇◇◇


以前から念願だった「劇団ビタミン大使ABC」の最新公演「いるだけ。」を観ることができたのは5月27日。

新宿郵便局近くのスペース107だった。

私にとって座長・宮川賢はラジオのスター。

中学生のころ、ニッポン放送の超人気深夜番組「三宅裕司のヤングパラダイス」で劇団SET(スーパーエキセントリックシアター)を知ったように、TBSラジオの深夜番組「バツラジ」で宮川賢を知り、彼が座長を務める劇団を知った。

「バツラジ」は番組改編で終わってしまったが、宮川座長は同じTBSで「パカパカ行進曲」(毎週土曜15:00~)、ラジオ日本では朝のワイド番組「おはようスプーン」(月~木曜06:30~)をやっており、三宅裕司に負けず劣らずの人気だ。

携帯ラジオのヘッドホンから聴こえてくる宮川賢しか知らない私は、ぜひ公演を生で観たいと思っていた。

だが、なかなか予算とタイミングがあわず、今回、念願叶ってのチャンス到来。

ちょっとぎりぎりになってしまったが公式サイトを通じてチケットを予約し、当日を待った。職場から劇場まで10分足らずというのも幸いした。


◇◇◇


小さな工場を切り盛りする親父。

ある日、この親父が心臓の病でこの世を去る。

ヤクザな道を突き進む長男も駆けつけ、次男、妹と葬式の準備をするが、何と遺体がない。

死亡診断書も書かれ、役所にも死亡届を提出。法的には完全に死んだ。

だが、死体はない。

そこに現れる弁護士。

おもむろに遺書を取り出すと、そこには非合法の心臓手術計画が書かれていた…

そして、戸惑う子供たちの前に再び姿を現した親父。

生きているのに死んでいる。

死んでいるのに生きている。

子供たちは親父の生還を喜ぶが、やがて現実と法の溝が大きくなっていく。

法的に死んでいるから年金は受け取れない。

工場は次男を社長として再出発するが、親父を従業員として雇えない。死者に給料は払えないからだ。

楽しいはずの日常に、少しずつひずみが生じる。

親父は想う。

「俺は何か、悪いことをしているのだろうか」

そして親父は、大切な物を手に家族の前から姿を消す。

そのとき、子供たちは…


◇◇◇


劇中、次男の嫁が苦しい胸の内をすべて吐き出すシーンがある。

「あたしだって、子供が欲しいわよ。でも、今の状況じゃ無理じゃないの。お父さんはごくつぶし。どれだけお金がかかってると思ってるの?もういい加減にしてよ」

作り手の意図とは異なるかもしれないが、この作品の核はこれだと私は思った。

だれもが親父の生還を喜び、歓迎した。

親父のいる毎日は楽しいし充実している。

だが、法的に生きていると認められない親父は金がかかるばかり。

それが現実。

でも、それを本人には口が裂けても言えない。

工場の経理も家庭も切り盛りしてきた嫁。それまでサザエさんのようなコミカルな演技を見せていた彼女はついに夫の前で爆発する。で、口をついて出てきた言葉が「ごくつぶし」。

このセリフに、私は目の前が真っ暗になった。

生後11ヶ月で孤児院から養父母のもとにひきとられた私は、子供の頃よく風邪を引いた。

そのたびに養母から何度も浴びせられた言葉が「この金喰い虫め」だった。

私は養母が大好きだったが、時に現れる鬼のような一面が大嫌いだった。

「どれだけ苦労して育ててきたか」「一人で大きくなったような顔をしやがって」

養父も大差なかった。

大人になって、われわれの歪んだ親子関係は「お前のおかげで俺の立場がないじゃないか」という言葉で完全に断たれることになるのだが、あのセリフで走馬灯のようによみがえってきた。

親って何だろう。

子って何だろう。

劇中では、実は家族を困らせていた放蕩息子の長男が、非合法手術の費用を捻出していたり、姿を消した親父を皆で必死に探したら実は釣りに出かけていたりとハッピーエンドに終わるのだが、実際の家族はハッピーエンドとは限らない。

家族の愛し方は十人十色。

結果として親の愛を知らずに大人になる子もいる。

子の親に対する想いに気づかない親もいる。

「金喰い虫」と罵倒した養母。

「ごくつぶし」と叫んだ劇中の嫁。

家族はいるだけで良いのか。

いるだけで負担になる存在なのか。

ぜひ、みなさんも考えて欲しい。

そしてわが子の寝顔をじっくり見つめて欲しい。

日本の子供たちが放射能の危険にさらされている今だからこそ、

家族のありようを考える良い機会なのかもしれない。


素晴らしい作品でした。

次回作も期待しています。

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【20mSv/年の即時撤回を】放射能から子どもを守りたい~霞ヶ関で声をあげた母たちの願い

誰もが涙を流さずにはいられなかった。子どもを守りたい。命を大切にしたい。「いのちを守るお母さん全国ネットワーク」の活動に賛同する母親たちが3日、霞が関で声を上げた。経産省や厚労省、文科省を直接回り、要望書を届けたのは約20人のお母さんたち。エプロンをつけ、ひまわり花を手に応対した職員に訴えた。「子どもを守って!」


【6項目の実行を求める】
 要望点は主に以下の通り。
①高木義明文科大臣との面会
②学校の許容放射線量20msvの即時撤回
③国と電力会社の費用負担による集団学童疎開の実施
④自主避難した家庭への経済支援
⑤フィルター付エアコンの校舎への設置
⑥学校給食の食材産地に関する情報公開とお弁当との選択制の実施

 「今日は行政交渉ではないから回答はないし、文書を渡したからといって急に事態が動くわけではない」と、今回のアクションを準備してきた戸倉由紀枝さんは話す。戸倉さんは同ネットワークの中心人物だが、母親たちの想いが役所に届くよう現場が混乱して中止にならないよう腐心していた。
 その甲斐あってか、最後に訪れた文科省では六人の職員が応対して訴えに耳を傾けた。参加した母親たちも「私たちは微力だが無力ではない」「くじけそうになるが、活動をやめてしまったら良い方向への動きも止まってしまう」と力強く語った。



【わが子連れ福島から離れた親たち】
 被災地・福島県から参加したのは妊婦を含む5人。
 須賀川市に住むAさん(31)は、1歳5ヶ月の息子を連れて実家のある横浜に移住することに決めた。福島で機械系の仕事をしている夫(32)は、息子の安全を第一に考え退職を決意した。
 「移住はギャンブルのようなもので不安だらけ」というAさん。「我が子を守れるのは親しかいない。私たちが決断してあげなければ」。近く住まいを探すが、収入のあてはない。
 郡山市で子ども向けの英会話教室を開いていたBさんは、震災で廃業を余儀なくされ、3歳の息子、カナダ人の夫と共に都内の実家に身を寄せている。再就職もままならず、収入はゼロ。「でも、30年後に息子が癌になったら詫びのしようもない」とBさん。やはり郡山市から参加したCさん(30)は妊娠8ヶ月。悩んだ末、2歳の息子を連れ都内の実家に避難することにした。
 「夫の仕事の都合で移住はできない。この先、暮らしはどうなっていくのか不安でならない」
 いま、この瞬間にも降り注いでいる放射性物質への不安、将来への不安…。母親たちに共通するのはぬぐいされない不安だ。


【会見では「いくら欲しい?」の質問も】

 避難や移住には、関東の人間には分からないしがらみが立ちはだかるという。そして、避難できる人とできない人との間に格差が生じる。
 戸倉さんが解説する。「同じ家族内でも温度差があります。心配しすぎだと責められるお母さんは本当にツラい。東京での活動に参加するなんて難しい。ましてや移住なんて」。避難するなら、故郷を捨てたつもりで二度と戻ってくるな、と親に言われた人も。
 隣近所の目もある。避難できない人からは妬む声が届く。金銭的にも大変だ。文科省で開かれた記者会見では、記者から「経済的支援というが、いくら欲しいのか」と質問が出たが「お金の問題ではないんです。仕事があれば生活できる。雇用をお願いしたい」と母親の一人は訴えた。
 アクション後の交流会でも「避難したくてもできない人をどうするか」「避難できるのは金銭的にも余裕のある人だ」などの声が上がった。
「未来を生きる子どもたちのために。いま守るべきものは何なのか、社会全体で考えてほしい」
 この日は、女子大生で浜岡原発に反対する活動に取り組んでいる関口詩織さん(18)も参加。故郷・名古屋の母親たちのメッセージを代読した。
「私も将来、子どもを産みたいです」と涙を流した関口さん。「今の状況がどうしても受け入れられない。周りは決して関心が高くなく、もどかしい」と話す。

母親たちの闘いは始まったばかり。
文科大臣との面会を果たされるのか。
文科省の職員に、戸倉さんは力強く言った。
「日程の調整ができたら連絡くださいね。待ってますよ」

母親たちを束ねた戸倉さん

(了)

無人島・猿島に郵便が届く?

ふとした事がきっかけだった。
職場で何気なくめくっていた郵便番号簿。
その一行を見逃さなかった。

「横須賀市猿島 238-0019」

??????
しばらく凝視したまま考える。
「猿島は無人島ではなかったっけ?」
横須賀を離れていた間に誰かが常駐するようになったのか?
たまらず隣席の女子に声をかける。
「猿島に郵便番号がふられてるよ!」
しかし、反応は非情だった。
「猿島?猿がいるの?」
あゝそこから説明しないと駄目なのか。
東京湾唯一の自然島でさ、10年くらい前に航路が再開して、でも無人島のはずなんだよな…。
張り切って話すだけ無駄だった。彼女との会話は一言で終わった。
「ふ~ん。知らな~い」

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

横須賀郵便局の窓口の女性は、戸惑いの表情を隠せずに微笑を浮かべるのが精一杯の様子だった。
土曜の昼下がり。まさか猿島の郵便番号について尋ねられるとは思うまい。
「誰も住んでないですからね~。観光客の方が送ったりするのでしょうか。その場合は乗船して届けることになるのだろうけど、聞いたことないですね」
丁寧にそう答えてくれた彼女に礼を言い、船着き場へ急いだ。せっかくの機会だ。10年ぶりの猿島に渡ることにした。船賃は往復で1200円。気づいたら郵便番号のことなど忘れていた。高鳴る期待にワクワクしながら乗船を待つ列に加わった。

「しーふれんど2号」が真っ白い波しぶきをあげながら水面を走る。カップルや家族連れでにぎわう船内には笑顔が飛び交う。わずか10分だけど、非日常の楽しい船旅。風は強いが、夏を思わせる陽射しが心地いい。さあ、上陸だ。

一昨年に完成したばかりの浮き桟橋に迎えられ島に入る。航路が再開された頃よりだいぶ垢抜けた印象を受けた。足場が良くなり、看板が増え、プレハブ小屋のようだった売店も立派になった。食事や休憩に使えるスペースも整備された。当時、課題として挙げられていたインフラ整備が一通り終わり、観光地としての「顔」が出来上がっていた。(蛇足だが浮き桟橋は昨年、台風の直撃を受け、ドンキホーテや大津漁港のある辺りまで流されているので、2代目となる)
感慨に浸っている場合ではない。
(株)トライアングルの男性スタッフにさっそく疑問をぶつけた。
「あー、あの話なら知ってますよ」
「よく聞かれます?」
「いや、そういうわけえはないですけど…」
恐る恐る郵便番号の話を切り出すと、彼は意外にも我が意を得たりという表情をした。そして、こんなことを言い出したのだ。
「ここには住所があるんですよ。『神奈川県横須賀市猿島1』。だからじゃないですか?郵便番号があるのは。でも、誰も住んでませんし夜中は無人ですけどね」
管理事務所のあるあたりだけ、住居表示が設定されていた。住所がある以上、郵便番号をふらないわけにもいかないようだ。
彼は郵便番号の話もそこそこに、面白い話をたくさん聴かせてくれた。
震災当日は出航命令を受けて深夜まで船中で待機したとか、津波はなかったが潮が激しく引いていったとか、島のトイレはろ過・循環式で鎌倉市からも視察団がやって来たとか…。
猿島は「エコミュージアムとしての運用をめざす」と唱われているが、砂のプールで細菌に分解させるトイレはその象徴といえる。これについては、また次の機会で。


島内は、きれいになりすぎたと思うくらい歩きやすくなった。
ゆるやかな坂道を上る。トンネルに続く切通。左右には旧日本海軍の要塞だった面影が残る。うっそうと生い茂った木々のすき間から陽光が注ぐ。都心からほんのわずかな移動で味わえる非日常の空間。砂浜でのバーベキューも楽しそうだが、散策もなかなか楽しい。森の持つ癒し効果を堪能できる。

30分ほど進むと、島の裏側にあたる岩場に出られる。眼前に広がる東京湾。釣りやアサリ採りに興じる人もいる。波しぶきで洗われた岩場はかなり歩きにくいので女性は要注意。しばらく佇んでいると錯覚してしまうがここは伊豆ではない。横須賀だ。

観光客が増えればマナー違反も目立つのは宿命。砂浜でのトンビへのエサやり、ゴミのポイ捨て。だが、歴史的遺産に落書きを彫るのはいただけない。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

時間を忘れていた。いけないいけない。本土への最終便は17:00。乗り遅れたら取り残されてしまう。もっとも、トライアングルのスタッフが上陸した人と帰りの船に乗った人の数を確認しているので、これまでそのようなアクシデントはないらしい。
売店には非常時に船に迎えに来てもらう(別料金)ための非常ボタンもあるが、使用例はないとのこと。「霊感の無い私でも不思議な体験をしていますから、いたずら心で残ったりしない方が良いですよ」(男性スタッフ)
船着き場へ向かうと、既に長い列が伸びていた。しかし、これでも例年の8割程度の客足という。
「震災の影響でレジャーに目が向かなかったのでしょうか。ゴールデンウィークは半分ほどの人出でした。夏休みは多くのひとでにぎわって欲しいのですが…」(同)。これだけの観光地を利用しないのはもったいない。昨年は、中学校の文化祭が島で開かれた。とても面白い試みだと思う。

さて、郵便番号の話。実際にハガキを出したらどうなるか。三笠公園発着所のトライアングル社員が丁寧に答えてくれた。
「実際に誰も住んでませんし、この事務所で受けとることになります。郵便局の方が船で島まで届けるというのは無いでしょうね。これまでに3回ほど郵便物が届きましたが、お返ししました」



※猿島航路に関する問い合わせは(株)トライアングル 046(825)7144まで

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ブラスバンドが演じる「桃太郎」~デザインフェスタ

素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれた「the CRAZY ANGEL COMPANY」の皆さん



▼ブラスバンドが「桃太郎」を演じたら…。どんな舞台になるか想像できるだろうか?
それをやってのけるのが音楽パフォーマンス集団「the CRAZY ANGEL COMPANY」(以下、CA)。
彼らが先週末、東京ビッグサイトで開かれた「デザインフェスタ」に参加。ほんの一部ながらブラスミュージカル「桃太郎」を披露し、終了間際の会場を盛り上げた。
「桃太郎」は9月に浅草で行われる公演を20分ほどに凝縮。ブラスバンドの演奏をバックに、それでいて楽器を奏でながらそのまま物語にも『役者』として加わる。演者には、チアリーディング出身のメンバーがその技を生かして絡んでいくスピーディーな展開にすっかり魅せられた。家来を引き連れた桃太郎は無事、アクシデントを克服して鬼退治を果たせるのか…。9月の公演が待ち遠しくなるパフォーマンスだった。
「桃太郎」は9月17~25日、東京・浅草のアサヒアートスクエアで披露される。詳細は特設サイト
http://bit.ly/momotaro2011


会場の一角にはCAのブースも。宇宙からやって来た謎のマスクマンユニット「masQ」は神出鬼没。バケツをパーカッション代わりに演奏した

こちらは、レストランのウェイター・ウエイトレスに見立てたユニット「リストランテアンジェーロ」。スパイスの効かせ方は天下一品。音を鳴らし始めると、あっという間に人だかりができた。「美味しゅうございました」

多彩なCAには、ガールズユニット「jeny」もある。可愛いだけでなく、もちろん演奏も一級品。男性客は目も耳もやられました。

クラリネット奏者の万里江さんは、バルーンアーティストでもある。細長い風船を使って犬の作り方を教えた





「デザインフェスタ」は、個々の能力や才能を自由に表現する場として開かれており、今回で33回目。東京ビッグサイトの西ホールに絵画やアクセサリー、音楽、写真など数千のブースが並んだ。
駐車場はロックバンドのライヴ会場となり、巨大なキャンパスに二日間かけて絵を描いた人も。アクセサリーの加工実演など多彩な「アーティスト」が才能を披露した。
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『交付金施設』で潤うことが幸せか?~東海村の場合

「福島の人たちは原発のおかげで潤ってたんでしょ?」
「散々、お金もらったクセに」…
最近、よく聞く言い回しだ。

では、「潤う」とは何か。

公共施設が建つことがそれならば、確かにそうかもしれない。

昭和30年代に横須賀市との誘致合戦に勝利した茨城県東海村のホームページには「電源三法交付金で整備した主な施設」として次のように列挙されている。
東海病院、石神小学校、総合福祉センター、消防署、東海文化センター、中央公民館、図書館、テニスコート清掃センター、衛生センター、学童クラブ、防災行政無線…。
「電源三法」とは「電源開発促進税法」「特別会計に関する法律」「発電用施設周辺地域整備法」を指す。1975年から交付されるようになったが、おおよそ市民生活に必要な施設はほとんどといっていいくらい、原発があるおかげで完成したのだった。
さらに同村には「電源立地地域対策交付金」も降ってくる。2009年度は約13億円が交付され、村は公共施設の維持運営費、小学校の改築、学童クラブの建設にあてたという。
これだけでも十分原発の「恩恵」を受けているのだが、それだけではない。
村内の住宅や企業には「原子力立地給付金」として、電力契約1kwあたり年額約4000円が支給されるのだ。
まさに至れり尽くせり。
人口わずか3万7000の小さな村に立派な施設が次々と完成し、電気代の補助までもらえる。

本当に横須賀は大きな魚を逃した。
あの時もっと政治力があったら、
横須賀に米軍施設がなかったら、
今ごろ横須賀の街は「原子力平和利用の街」として潤っていたのだ。
あの時の政財界が望んだように雇用も増えただろうに。

え?
でも事故が起きたじゃないかって?
福島みたいになるのは御免だって?
おやおや、公共施設が建つことが「潤う」ことなんですよね。
お金もらえるのが良いんですよね。
そこの住民は事故が起きても文句言えないんですよね。
今、福島県民を非難している人たちは、一生懸命、天に唾吐いてるのだということを忘れないで欲しい。
特に横須賀は、もう少しで「原発の街」になっていたのだから。

※全国にばらまかれた交付金に関しては、財団法人電源地域振興センター(1990年設立、東京都中央区日本橋堀留町)がまとめている。


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晴天の下、動物村

(諏訪小学校で行われた動物村)

(ポニーの背中の乗り心地はいかが?)

(ちょっとバテ気味のヤギさん)


動物と接している時の、大人も子供も優しい瞳になる。
8日は夏のような暑さで犬もヤギも馬もウサギも大変だったかな。
でも、君たちのおかげで、多くの子供たちが楽しい時間を過ごせました。

http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/3030/nagekomi/doubutsumura2011.html

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ゴミの少ないカレーフェスティバルを

(真夏のような暑さで多くの人が訪れた)

(スカレーちゃんもお出迎え)

(人気カレーは長蛇の列ができた)

(コンテナからあふれるほどのごみ)

せっかく盛り上がったイベントに水を差したくはないが、昨日と同じリポートをしても意味がない。大事なことなので、ゴミに触れておきたい。
会場では、カレーのプラスチックトレーやスプーン、缶、ペットボトルなど様々なゴミが大量に出る。公園の片隅には大きなコンテナが用意されたが、それでもあふれるほど。
スタッフはきちんと動いていて、定期的にごみ箱からごみを回収、可燃、不燃、容器包装プラスチック、缶・ペットボトルに分別していたのでそれには敬意を払いたいが、いかんせんとてつもない量のゴミが次から次へと放り込まれていくから終わりのない作業となる。
横須賀市は「廃棄物減量等推進委員会」を設置し、93年7月から今年1月まで50回にわたり議論を展開。分別・再資源化の取り組みも功を奏したのか、ごみ排出量は05年度の18万6895トンに比べ、10年度は15万6231トンと減量に成功している。
であるならばなおさら、今回のフェスティバルでも、エコトレーを採用するとかスプーンを毎回使い捨てないなどの取り組みが欲しかった。最近では大学の学園祭でも減量の取り組みが当たり前となっている。自治体ができないはずがない。
市環境部の資料によると、10年度のごみ処理費は、予算ベースで46億6000万円に上る。決して小さい金額でないことは言うまでもない。
福島原発事故でいかに電力の無駄遣いがあるか分かったように、ごみも真剣に取り組まないと子供たちの未来が暗くなってしまう。
初日は雨に降られたが、二日目の今日は晴天に恵まれすれ違うのもやっとの賑わいとなった今年のカレーフェスティバル。来年はぜひ、環境にも優しいイベントを目指していただけることを期待したい。

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