それはレンジファインダーから一眼レフへカメラの主流が代わったり、独走していたドイツカメラ産業に日本カメラ産業が迫ったり、手計算で作られていたレンズが計算機やコンピューターによって設計されるようになったりと様々である。
戦前にライカにより完成の域に近づいていたレンジファインダーカメラは1954年のM3の登場でさらに完成に近づく。ライカを追いかけるか、ライカを避けるかの2者択一を迫られカメラメーカーは右往左往することになる。
そのなかで各メーカーは様々なカメラを試作、発表していった。
それはあたかもカンブリア爆発のように多様性の富んでいた。この時代に生まれたカメラのいくつかは現代まで生き延び、いくつかは消えていった。
この多様化の時代に生まれたカメラたちはどこか非効率的でいびつで美しい。
Zenobia35 第一光学 1958年
第一光学の35mmレンジファインダーカメラ。戦前は岡田光学精機という名前でワルタックスというスプリングカメラを生産していた。レンズの左側に巻き上げノブがある。これはこのカメラがレンズシャッター方式だったためである。
このカメラが発売された1958年に会社が破綻したため現存数はわずかである。
生存競争に淘汰されてしまったカメラであるが、現代においても十分カメラとしての機能は果たしている。
たまに散歩に持っていってフィルムを通してあげるたびに、このカメラを次世代にも継いで行かないといけないなあという使命感に駆られる。
KONICAⅢA KONICA 1958年
次はKonicaⅢAである。
このカメラも1958年発売。
このカメラの特筆すべき点はそのファインダーです。
先述のようにライカのM3と言うモンスターに遭遇し国産メーカーの多くは追随を諦め一眼レフなどの新しい分野へ方向修正を余儀なくされます。しかしこのカ メラはライカと真っ向勝負する道を選びます。その決意の表れがそのファインダーなのです。レンズの繰り出しとともに画角は微妙に変化します。一眼レフは ファインダーで実像を確認できるので問題は発生しませんがレンジファインダーでは構図が変化してしまいます。コニカⅢAのファインダーはその変化(パラ ラックス)を補正します。
レンズを繰り出しながらファインダーを覗くと微妙に変化するファインダー枠が確認できます。
コニカが誇る『生きているファインダー』です。ライカのM3でも搭載されていない(M3の場合レンズ交換式のためより複雑な構造になる)当時最先端のファインダー機構です。
日本人のカメラつくりへの意地を感じさせる秀逸なカメラです。
PROMINENTⅡ Voigtlander 1958年
フォクトレンダー プロミネントⅡ
ドイツの老舗カメラメーカーフォクトレンダー社の誇るレンズ交換式レンジファインダーカメラです。
Ⅱ型になり視野率が100%となりファインダーも格段に明るくなりました。
このプロミネント、レンズ交換式レンズビハインドシャッターのレンジファインダーという複雑なカメラです。
レンズマウントの真後ろにレンズシャッターがあります。距離計と連動させるためにレンズマウントが動いてピントを合わせる方式をとっています。そのためレンズにはヘリコイドが存在しません。
通常35mmと100mmのレンズではレンズの繰り出し量が違うのですが、このカメラではヘリコイドが本体側にあるので繰り出し量は調整できません。一眼 レフの場合実像でピントを合わせるのでそれでも問題がないのですが、このカメラはレンジファインダーのため繰り出し量とレンズのピント位置はぴったり一致 する必要があります。この難題を解決するためプロミネントの広角レンズと望遠レンズは外爪式のマウントになっています。レンズをボディー側に固定してレン ズ内部で繰り出し量を調整するという荒業でこの問題を解決しています。それでも望遠側の精度には限界があったらしく100mmのテロマーなどはミラーボッ クス式になっています。そんなトリッキーな荒業を見せるこのカメラも今見ると独特の美しさがあります。
ライカを模倣せず独自の技術で作られたコンタックス。ライカもコンタックスも模倣せず作られたプロミネント。ドイツ人のクラフトマンシップを感じることができる誇り高きカメラです。
KODAK Retina Ⅲc 1954年
レチナⅢです。戦後のドイツコダックを支えたカメラです。
レンズの前郡のみを交換するタイプのレンジファインダーです。
こんなにコンパクトになります。
コンタレックスなどと同じ前郡交換式のレンジファインダーカメラです。
スプリングカメラから続く折りたためる携行性に優れたカメラです。
交換レンズもシュナイダーのクセノンやクルタゴン、ローデンシュトックのヘリゴンなど本格的です。
デイリーユースのために作られたカメラのはずなのにきっちりとチリが詰まった感じがありさすがドイツ製だと感じさせる作りの良さです。ふらっと散歩に持ち出したいカメラです。
Roleiflex 3003 1984年
ローライフレックス3003
ドイツカメラ界の最後の珍品というべきカメラです。35mmカメラにもかかわらず中判カメラのような構造をしています。しかもこのカメラ、ローライフレックス35のフラッグシップカメラです。
ウエストレベルとビューファインダーを併用できるカメラなんて中判にもありません。
引き蓋つきのフィルムマガジン。フィルムをセットすると圧板がせり出してフィルムを完全な平面にします。ものすごいギミックです。
サイドからの見た目はまさに中判カメラ。
レンズラインナップはCarlZeissやフォクトレンダー、シュナイダーなど豪華です。
日本の一眼レフカメラの勢いにおされていた1980年代にドイツカメラ業界の技術を結集して作られたカメラであることが分かります。 Distagon35mmF1.4やPlanar85mmF1.4などドイツレンズの最高峰ラインナップです。さすがローライフレックスのフラッグシップ カメラです。
ドイツと日本のカメラ販売競争は日本に軍配が上がりましたが、物づくりという意味では日本を凌駕していたと感じさせる完成度の高いシステムである。何より写真を撮ることの楽しさを再確認させてくれるカメラである。
Load ロード ⅣA 岡谷光学 1956年
続いては国産カメラです。岡谷光学のLoad Ⅳb Black漆黒のブラック塗装が特徴のカメラです。シルバー塗装が一般的だったこの時代、一部のプロ用の特別仕様としてブラック塗装が存在していました。 このLoadはもとより一般向けのカメラだったのですがブラック塗装が施されたモデルもラインナップされていました。
こちらもこのカメラの特徴フィルムカッターです。
家で現像する際に撮った分だけコマを誤って切ることなく現像できるというコンセプトだったのでしょう。現代ではもてあましてしまう機構です。アマチュアカメラマンのブラックカメラへの憧れと自家現像という当時の潮流を色濃く反映した面白いカメラです。
オリンパス PEN EE
いわずと知れたハーフ版の代表的カメラです。リコーのオートハーフと双璧ではないでしょうか?24枚撮りで48枚撮れる。電池も必要としないので現代でいうなればエコなカメラです。フィルムを使わないデジカメには負けますが(笑)
ちなみに現代版のPENのセンサーサイズであるマイクロフォーサーズはハーフ版とほぼ同じである。
CANON EX AUTO 1972年
キャノンの中でも時代の狭間に生まれたEX AUTOです。
キャノネットでレンジファインダーカメラの普及機を定着させることに成功したキャノンが、一眼レフ版の普及機として発売したのがこのカメラです。シャッタースピード優先とマニュアルのみのシンプルなカメラです。
このカメラの最大の特徴が前玉交換式のレンズです。左から35mm 50mm 125mmレンズです。
前玉交換式はレンズシャッターのコンタフレックスなどで使われた方式ですが、このカメラはフォーカルプレーンシャッターです。
前玉交換式にすることでEE部分の構造やレンズ部分の機構を簡略化し全体の価格を下げていたと考えられます。ただしその他のシステムとの互換性がなく当時から不人気だったようです。
ファインダーは空中像式という中央部のみでピントを合わせ周辺部は素通しで見える特殊な方式を採用しており非常に明るくなっています。
絞りはボディー側にありマニュアル時の絞り調整は巻き戻しノブの根元にあるダイアルで無段階調整できる。このEXシリーズはあまり売れなかったためEXEE、EX AUTOの2機種のみで終了になった。独創的であったゆえに時代の狭間に消え去って行ったのである。
KONICA L KONICA 1961年
コニカの普及カメラ。カメラデザインが特徴的で赤のロゴが目につく。ボディーも当時としては軽量に出来ている。これらは女性ユーザーを意識していたといわれている。
操作系も簡単になっており使いやすいカメラであった。
POLAPOID LANDカメラ 1969年
ポラロイドのLANDカメラです。ポラロイドのフィルムは入手困難ですが、富士フィルムから発売されているピールアパートタイプのFPシリーズを使うことが出来ます。
LANDカメラのランドはポラロイド社の創業者エドウィン・ハーバード・ランドに由来する。ランドは3歳の娘の『カメラで撮った写真がすぐ見れないのはなぜか?』という問いに着想を得てポラロイドフィルムを発明したといわれている。
露出はオートのみでピントはマニュアルです。露出もマニュアルであわせることが出来る180シリーズもある。ちなみにポラロイド社の名前の由来はランドが発明したプラスチックの偏光板の商品名である。
エドウィン・ランドが発明したポラロイドフィルムとポラロイドカメラは世界中に広がり、プロの現場で欠かすことの出来ないフィルムとなった。その後非剥離 法拡散転写法天然色写真法を確立しSX-70カメラを開発した。一人の人間がまったく独創的なフィルムとカメラを開発し世界中で使われるようになったとい うのは写真の歴史イーストマンコダック以来のことで、ランドの功績は計り知れない。
Canon RM 1962年
キャノンが一眼レフカメラを発表したのは1959年のキャノン フレックスである。これは国産メーカーとしては遅く8機種目に当たる。国産の一眼レフは 1952年のアサヒフレックスⅠ型に始まり、1955年のペンタゴナルダハプリズムを搭載したオリオンカメラのミランダに続く。1958年にクイックリ ターン式のミラーと完全自動絞りを実現したZUNOWのペンタフレックスが登場して現在の一眼レフの原型がほぼ固まる。
つまりキャノンフレックスは一眼レフの地盤が固まるのを待って満を持して発売された形になる。ちなみにニコンFはキャノンフレックスの発売された次の月の6月に発売されている。
このキャノンフレックスRMはキャノンフレックスシリーズの最終型である。
キャノンフレックスとしては初めてセレン露出計を搭載し、ペンタ部もぎりぎりまで低く配置された。
この独特なシルエットは現代から見てもスタイリッシュである。
セレンメーターに合わせて絞りとシャッタースピードを選択する。
ボディー上部から見てもスタイリッシュなデザインになっている。
この時代の一眼レフといえばニコンFなどに注目が集まりがちであるが、Canon RMのようなスタイリッシュなカメラも評価されるべきである。
KIEV-15 TEE アーセナル 1974年
Kiev-10から進化した一眼レフカメラでTEEとTTLが存在する。Kiev-10からの大きな変更点はセレン式だったメーターがCdS式になったことである。
ソビエト的な未来デザインが特徴的である。
ロータリー式のシャッターは無塗装で地金がむき出しである。
ちなみにレンズの絞りも地金むき出しである。絞りはボディー側からコントロールする方式で、ボディー正面についているダイアルで制御する。ぱっと見では分からないがボディーはかなり巨大である。
こう見えてもソビエトのEE一眼レフとしては当時は最新鋭にあたるためレンズラインナップは充実している。
Mir-20 20mm F3.5
Mir-1 37mm F2.8
Helios-65 50mm F2
Helios-81 50mm F2
Helios-81M 53mm F2
Borena4 50mm F1.4
Jupiter-9 85mm F2
Jupiter-11 135mm F4
レンズもすべてキエフのアーセナル工場製である。
ソビエトという共産圏のもと独自の進化を遂げた一眼レフの姿も今見ると良し悪しを越えて魅力的である。
courreges ac101 クレージュac101 ディスクカメラ MINOLTA 1983年
ファッションデザイナーであるアンドレ・クレージュとミノルタの共同開発のディスクカメラ。
今見てもおしゃれです。
こちらがディスクフィルム。1982年にコダックが発表した新規格フィルムで15枚撮り。画面サイズは8.2×10.6mmで110フィルムよりさらに小 さい。新規格が発表されてすぐ生産されたカメラである。コダック以外にこの規格に参加したメーカーはわずかなのでコダック以外のディスクカメラは珍しい。
1982年はCDが実用化された年でディスクフィルムという名称やロゴからもかなり意識していたことがうかがえる。しかし画質の悪さ、認知の低さから軌道には乗らず5年前後で市場から姿を消し1998年に生産が中止になる。コダックの新規格は軌道にならないというジンクスを体現する形となった。
MDに似ているがMDより10年近く前の商品になる。
デザインはかなり先進的だったといえる。
さらにラグジュアリーなデザインのac301がある。
21世紀に入りデジタル一眼やミラーレスカメラが登場したが、カメラの構造を根本的に見直したカメラはあまり登場していない。しかし戦後のカメラ史にはカ メラにたずさわる人々の試行錯誤のあとがうかがえるカメラがたくさんある。そういった1から作られたカメラはその良し悪しにかかわらず美しいと思う。それ は作り手の美意識やポリシーをカメラを通して感じることができるからだと思う。そんなカメラがこれからも出てくるといいなぁなんて思った。