美輪明宏のような存在を受け入れることが寛容な社会ではないか? | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 先ほどフェイスブックを見ていると美輪明宏の『ヨイトマケの歌』の誕生秘話が載っていたのでシェアすると、数人の方から「美輪明宏はこんな人ですよ」と彼の左巻き的な思想をまとめたサイトをご紹介くださった。

 

 こういう情報提供はとても有難く、私もただのおじさんですから、知らないことはたくさんあるからです。

 

 でも、美輪明宏は思想的には左巻きですが、どうしても嫌いになれません。この人はバイセクシャルとして戦後のまだ保守的考え方が強い時代にカミングアウトして皆から化け物扱いを受けながらもそれに耐えて堂々と生きたという背景があるからです。

 

 そしてその才能と魅力を認めた人々がいたからこそ長年にわたって芸能界で生き延びてきた人です。

 

 私はこの人の強さと、そしてこの人の活躍する舞台を作った日本の寛容さに注目しています。

 

 昨年LGBT理解増進法の成立を巡って様々な議論がなされましたが、ここで私やその仲間が展開した理論の一つに、日本には差別は存在しない、皆思いやりで対応できるというものがありました。

 

 その証拠の一つがこの美輪明宏の存在です。この人をテレビで見た時、当時まだ子供だった私は強烈な違和感を抱き、何か異端のものを見るように見ていました。当時のテレビの歌番組は歌だけではなくその容姿を競い合ったものですから。

 

 ひときわ目立つ異才にびっくりしました。男だろうか?女だろうか?と頭は混乱しましたが、その何とも言えない魅力に惹かれていきました。そして男でも女でも関係ないと思うようになったのです。そういう区別ではなく、すごい人かどうかが大事であるということが。

 

 それでも世間はまだ色者扱いでしたが、着実にファンを取り込んでいっているようでした。

 

 私はファンでも何でもありません。でも、この人の異才は認めていたし、そのような存在がいてもいいと思っていました。

 

 ここは皆さんが納得していただけるところだと思います。

 

 しかし、キリスト教やイスラム教の「こうあらねばならない」という一神教の世界では、ああいう存在は許容されるものではなく、忌み嫌われる存在なのです。

 

 そこが世界と日本との大きな違いなのです。日本の社会だけしか知らないと当然のごとくそれが当たり前になりますが、世界の常識では大きく違うところがたくさんあるのです。それを左巻きたちは世界の常識からみて遅れているからと言ってLGBT法が必要だと主張していましたが、世界の常識と日本の常識が違うのが面白いし、そこの価値を見出すことをしないのです。

 

 日本全国津々浦々、ご当地に行かないと食べることのできないおいしいものがたくさんあります。もし全国のすべてのレストランがマクドナルドだけだったら誰も旅行にはいかなくなりますよね。

 

 左巻きたちはそういう世界を作ろうとしているのです。服も男女が同じ、食べ物も栄養素を重視して味など二の次、思想も画一化したものでそれ以外を認めない世界です。

 

 そこに人間本来の喜びはないと思っています。貧富の差、家族の有無、質の高い友人の数、天職についているなど千差万別が当たり前の社会が楽しいと思いませんか? 私はそう思っています。

 

 それは異質のものを忌避するのではなく、受け入れ楽しむことをすることが本当の寛容な社会であり、それこそが包括的な社会というものではないでしょうか。

 

 だから私の集まりに全く思想の違った人を入れることもあるのですが、私たちが良くてもその人が居心地が悪いようです。でも、おいでと誘います。もちろんその人が一定以上の常識人だというのが前提です。

 

 でも、その人たちの集まりに私などは入ることさえできません。排除されます。

 

 寛容な社会はすべてを受け入れるのですが、そこから出ていきたければどうぞという世界です。来る者は拒まず、去る者は追わずの社会ですね。

 

 それをあっち側の人だからと排除すれば私たちも同じ側の人になってしまうのです。

 

 だから思想と心情を分けて考えています。

 

 中村哲さんという医師でありながらアフガニスタンに用水路を作って緑化をした方がいます。この人も憲法9条擁護派の一人でした。思想的には相容れぬ人ですが、一度講演を聞いてこの人の大きな魅力を感じ取ることができました。丸腰で危険なところにずかずかと分け入っていくのです。中村先生は思想と行動を一にしておられたのです。

 

 本物の偉人だと思いました。だから尊敬するのです。到底私のような凡人にはなしえないことをされた方だからです。

 

 しかし2019年に凶弾に倒れてなくなりました。多くの人が悲しみその死を悼みました。でも中村先生は本望だったと思います。自分の意志を貫かれたのですから。だから私はこの方を尊敬しています。でも、思想は全く違いますが。

 

 もう私が何を言おうとしているのか十分にお分かりになったと思います。

 

 人は行動がすべてなのです、何をしようとしているのかではなく、何を成し遂げたのかでその人の評価が決まるし、いまだ成し遂げていないけど日々そのために惜しみない努力をしている人は思想は関係ないのです。

 

 最後に長くなりますが、ヨイトマケノ歌をご紹介します。

 

 >>>引用開始

 

 

「ヨイトマケの唄」

美輪さんは、

ある日手違いで炭鉱町で唄うことになります。

顔を真っ黒にした炭鉱労働者は、安い賃金の中からチケットを買って、聴きに来てくれたことに感動すると同時に、

キラキラの衣裳を着た自分自身が 恥ずかしく思い、

「炭鉱で汗を流す労働者を励ます歌を作ろう!」そう考えたそうです。

曲の発想は、

美輪明宏さんの小学生時代の記憶。

小学生の低学年の頃、

父兄会で 着飾った服を着ている 母親の中に、

野良着にモンペ姿、頭に手ぬぐいをかぶって1人遅れてきた母親がいました 。

背が小さくて痩せて顔が黒く足が不自由な女性でした。

その母親は、学校で一番出来の悪い男の子の母親でした。

鼻を垂らしている息子を見た母親は、鼻を自分の口ですすって、窓からペッとはきます。

それを見た他の母子が、

汚いものを見るような目で見ていた中、

感性の豊かな少年時代の美輪明宏さんは、深い母性を感じ、

それ以降、出来が悪く、いじめられていた男の子をかばい、友達になります。

そんなある日、美輪さんと男の子は、一緒に帰っていた時に、

男の子のお母さんが足を引きずりながら、土方(どかた)の仕事をしている現場に遭遇します。

足の不自由だった母親がよろける度に、

「やめちまえ!」

「ろくでなし!」

「みんな迷惑なんだよ!」

等の声が浴びせられるも、

母親は、

「すいません! すいません!」

と謝っていました。

しかし、息子の姿を見かけると

胸を張って、

大丈夫!心配すんじゃないよ!という顔をしていて、

美輪さんは、そんな友達の母親の気遣いに感激。

実は、友達は、学校でいじめられている事を母親に言い付けようと思っていたんです。

しかし、母親のその姿を見て学校に引き返します。

美輪さんは、「お母さんに言わないでいいの? 」と聞くと、

長崎弁で友達は、

「母ちゃんに心配させとうなかけん」

と言って学校に戻っていったそうです。

しかし、いじめられている事はやがて母親が知る事になります。

母親は、こう言ったといいます。

「喧嘩が強いから偉いんじゃなかとよ。

金持ちだから偉いんじゃなかとよ。

勉強が出来なくても、貧乏でも、関係なかと。

一番偉かとはね、

正直で、

お天道様の前に胸を張って、

誰にも指さされないように一生懸命働いて、

正直に生きる。

それが偉かとよ。

だからお前は偉かと。」

この母親の言葉に 美輪さんは感涙 。

この母子のエピソードが脳裏に焼き付いていて、

『ヨイトマケの唄』の着想になりました。

そして、もう1人 、着想のきっかけとなった人がいます。

それが、両親をロシア兵に目の前で殺された少年 。

その少年は、1人で引き揚げ、廃品回収業をやっている祖父に育てられます。

その少年が中学の時に、祖父が亡くなり、

祖父の遺体をリアカーに積んで、1人で焼き場に持っていて、この先 どうしよう… と途方に暮れていた時、

ふと、殺された父親は技術者である事を思い出し、

「自分も父親のようなエンジニアになろう」と思い、

苦労の末大学に行きます。

美輪さんが知り合った時、

彼は大学生で、銀座で進駐軍の物を屋台で売っていましたが、露天の縄張りでいじめられていました。

美輪さんは、いじめていた人を説得し、大学生を救います。

当時美輪さんは、

シャンソン喫茶『銀巴里』で唄っていた頃で、

大学生は、助けてくれたお礼に、オーデコロンを持って銀巴里に来店し、

美輪さんに、ロシア兵に両親を殺された話、祖父の話、エンジニアになりたい夢を語ります。

美輪さんは、それにいたく感激。

2人はしばらく交流しますが、やがて疎遠となります。

長らく会わずにいたある日、

日本橋の三越を歩いている美輪さんに、

「おい丸さん(当時の芸名丸山から)」と、話し掛ける男と出会います。

ふと見ると、その時の大学生で、ここの現場で働いていると言います。

美輪さんは、「エンジニアになるんじゃなかったの?」と聞くと、

彼は、「エンジニアになるには、釘一本でも、ネジ一本でも、知っとかないと立派なエンジニアには なれないんだよ。だから現場監督からやるんだ~。」と言ったそうです。

美輪さんは、彼の言葉に感動します。

美輪さんは、後に、ついにエンジニアになった彼をお祝いをしようと、

彼とその友達を自宅に招き、

赤飯を炊いて「おめでとう!」と 言ってあげると、

彼は急に泣き出しました。

美輪は、「どうしたの? 」と聞くと、

「今まで生まれてこの方、

自分の為に赤飯を炊いて祝ってくれた人なんか1人もいなかった。」

美輪さんも、そんな彼に泣きながら、

「お父さんもお母さんも、

おじいちゃんも、

天国で、どんなにあなたの事を喜んでいるか。」

と言って、慰め励まします。

この時の彼の嬉しそうな顔も美輪さんの脳裏に焼き付いていて、

『ヨイトマケの唄』を作る時、

この小学生の時の友達とその母親。

さらに、

天涯孤独の中エンジニアになった男性。

この3人のエピソードがオーバーラップして生まれたと語りました。

さらに美輪さんは 、

あのお母さんは、「手ぬぐいを持っているのに何故口で鼻をすすったのか?」

後に、その母親に聞いたそうです。

すると母親は、

「手ぬぐいは商売道具。

手ぬぐいを使ったら、他の姉さん方に失礼だ。」

と言ったそうです。

共に土方で働いている、先輩の女性を気遣う気持ちに、感慨無量になったそうです。

このエピソードを元に『ヨイトマケの唄』が誕生しました。

※「ヨイトマケ」とは、かつて建設機械が普及していなかった時代に、地固めをする際に、重量のある岩を縄で滑車に吊るした槌を、数人掛かりで引張り上げて落とす時の掛け声であり、美輪によれば、滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声を語源とする。

YouTube 「ヨイトマケの唄」美輪明宏

https://youtu.be/8NK9jtPyQdk

 

 >>>引用終わり