メタを提訴する人たち | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 フェイスブックを見ていると有名人たちが投資のノウハウを無料で教えますとかいう広告があり、池上彰や森永卓郎や前澤氏、この人が出てきた時すぐおかしいと思うのが普通だと思うのですが、その広告をなぜか信じて多額のお金を詐取されたと怒っている人たちが裁判所にメタ社を訴えました。

 

 そのことを朝のテレビでやっていたのですが、この広告を「嘘」「偽物」として見抜けないような人が、つまり洞察力に欠けているような人が投資に成功するはずがないじゃないかと思ったのは私だけではないと思います。

 

 前澤氏のお金を配るという広告が垂れ流されていた時も、これを信じてクリックしたという話は聞きましたが、前澤氏という存在を知らない中高年はほとんど動かなかったようです。でも、若い人でその被害にあった人はいるようですが、もともとそんなにお金を持っていない人が多かったのではないでしょうか。

 

 投資術というのはきっとあると思います。またそれによって巨万の富を築いた人もいることでしょう。でも、名言によると;「人の行く 裏に道あり 花の山」というのがあるように、ほかの人が気づかないところに巨利を得る機会があるということです。

 

 それを万人に広めて何を求めているのかを理解もできない人、つまり洞察力に欠けている人がベテランでも失敗する投資でうまくいくわけがないでしょう。

 

 それをその広告を載せているメタを相手取って裁判を起こすなど、下衆の極みだと私は思っています。

 

 大谷選手の元通訳の水原一平も、自分が称賛の対象ではないのにも関わらず周りからちやほやされて勘違いしたのでしょう、ギャンブル依存症になっていますが、これはいつでもどこでスマホがあればできるギャンブルだから歯止めがきかなかったからだと思います。

 

 競馬でも競輪でもパチンコでも、その場に足を運ばなければならない場合、その時間と資金を作り出さねばなりません。夜中に競馬をしたいと思っていても夜中には競馬をやっていません。パチンコ屋も福岡は10時には閉店します。

 

 でも、スマホではいつでもどこでもできるという利点があり、それが多くの人を不幸にする欠点でもあります。

 

 カジノ法案の是非を巡って論争している時に、「日本には多くのギャンブル依存症の人がいます」と蓮舫が安倍総理に問いただしたときの動画を見ていると、カジノが日本にないのにどうしてギャンブル依存症の人がたくさんいるからよくないと論理になるのか理解できませんでした。

 

 カジノもパチンコ屋も足をそこに運ばないと遊戯ができません。でも、カジノは成立しても日本には数か所だけ、パチンコ屋は日本中至る所にあります。とても利便性があります。だから行こうと思えば行くことのできるハードルはカジノより低いのです。

 

 そしてそこはすでにギャンブルが合法的できる抜け道でもあります。

 

 それを上回るのがスマホで出来るギャンブルであり、上記の詐欺まがいの広告で一攫千金を狙わせる本当の詐欺です。

 

 くどくど書いてきましたが、私の結論は、する人の自己責任だということです。だから自分が得になるか、損になるかを冷静に考えてお金を使わないととんでもないことになるのですが、これを政府が規制しろとか、広告を載せた企業が問題があるとかいうのは、お門違いもはなはだしいと思います。

 

 それをやった人の責任であり、その人がいくら損をしようが私たちは関係ないのです。

 

 これは、一時マスコミをにぎわせた宗教法人に多額の献金をしていた人たちと同じことだと思います。

 

 だました宗教法人が悪いのは当たり前ですが、騙されて多額の献金をした人たちも悪いのです。自分のできる範囲での献金をすればいいだけのこと。

 

 献金のことを別な言葉では「喜捨」と言います。喜んで捨てるのです。信じている神様のために喜んで自分の財産を捨てるのです。それが多すぎたどうかは、他人が決めることではないのです。

 

 つまり自己責任。これに尽きると思います。

 

 フェイスブックはとても便利な道具です。学生時代の友人と偶然フェイスブックで再開できたりすることも多々あります。でも、使い方を間違えるととんでもないことになります。

 

 車もそうですね、とても便利ですが、運転を誤ると他人や自分の命を奪うようになります。なら車をすべて廃止しますか?車会社を訴えますか?

 

 自分の心を磨き、して良いことと悪いことをちゃんと見極めることができるようにしなければなりません。それを教えるのが家庭教育であり、道徳の時間ですが、それを両方否定するのが左巻きたちですね。

 

 私の友人がフィリッピンで豚への投資を始めたそうです。お金を振り込むとかわいい子ブタたちの写真が送られてきて、これだけ大きくなりましたよと毎月送られてきたそうです。そしてもっと豚を飼わないかとつまり追加投資を持ち掛けられたそうですが、それは断ったそうです。

 

 一年ほどたって十分に出荷できるように丸々大きくなった写真が送られてきて、それではそれを市場に売ろうとしたら、次の写真が「病気で亡くなってしまいました」というお知らせでした。

 

 毎月ちゃんとフォローされていたので、どんどん期待が膨らんでいた矢先の出来事でした。もし友人にお金の余裕があれば、もっと子豚を飼って投資を増やしていたことでしょう。でも、結局はみな死んでしまうのですがね。

 

 これを聞いた人たちはみな大笑いしましたが、でも、その中にこれと同様の詐欺にあいそうになった例を知っています。

 

 私もギャンブルは好きです。忙しいといけないのですが、会社員の時は仲間とマージャンをしたりしていました。今でもたまにパチスロをしたりするときもあります。のめり込んでいかないように今は自制していますが、のめり込んだ時期もかつてはありました。だから、冷静になった今はこういう詐欺事件のことはよく見えるのです。

 

 すべてが自分の蒔いた種の問題です。良い種をまき、大切に育てれば多くの収穫に恵まれます。でも、悪い種をまけば悪い結果しか生まれません。すべては自分の「スケベ心」が原因なのです。

 

 暇なときは、近くの神社のごみ拾いでもしましょう。自分の心もきれいになりますよ。