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朝起きた瞬間に


『今日中にあれをしよう!』


と思いつく。(あれ…は今は伏せておきます)


思いついてからInstagramを見たら、kentools先生の鑑定が今日受けられるという案内が…

これは呼ばれてるな…と思い即予約!


その後、お昼前に何気なくFacebookを見ていたら、お友達のはな華ちゃんがランチ相手を募集していたので、即LINE!

無事合流してお好み焼きを食べました。



お店は萱町商店街にある老舗

『みつ蜂』


いろいろ喋り倒しました。

はな華ちゃんありがとう😊


解散後にken先生の鑑定。


やはりこの日しかない!というタイミングでの鑑定でした!


ken先生ありがとうございました。


kentools先生の鑑定を受けられたい方はこちらから


昨日、夜7時から放送された

あいテレビ『よるマチ!』

梅雨でもスッキリ!特集で

私がずっと入っているジムが取材され、レポーターの方たちが一緒にレッスンを受けるということで…


『ゆうこさん、○月○日のRPM、来てくださいね😊』


仕事の昼休みの時間を利用して行ってきましたー!


レッスン風景はもちろん


レッスン前にインタビューされていてそれも使われていたという…








レッスン後にすごい早さで着替えて、ロッカールームにいたレポーターさんお2人に


『お疲れ様でした。ありがとうございました!』


と声をかけたら


『お疲れ様でしたー!爽やか!元気!😆』


と言われ…


『今から仕事に戻るんですよ〜😄』


と言ったら


え…仕事!?

あれだけやって仕事できるのすごいです


と若干引かれました😆

が普通です。


なんならRPMの前に別のレッスン受けても平気です。


体力だけがついていく私です🤣



30年以上ぶりに出てきた!!




 学生時代にマネージャーとして入っていたアイスホッケー部のウィンドブレーカー。 


 オリジナルプリントのリバーシブル。 




部員全員買っていて、袖にネーム刺繍入り。

 胸につけているピンバッジは関東学生リーグ戦で毎回出場エントリーしたらもらえていました。 




 このピンバッジが入場券代わりだったのでつけっぱなしにしていたのです。 


 当時(1987〜1990年頃)は 

試合は品川プリンスホテルのアイスアリーナ(現在のエプソンの水族館の辺り)、東伏見のアイスアリーナ 


練習は横浜駅近くのハマスケートリンク、卒業近い頃にオープンした新横浜のスケートリンクによく行ってました。 



先にFacebookでこちらの内容を書いたら、2年上の先輩である竹川さんからコメントが…




 

竹川さん発案だったそうで…

そういえばそうだったのかも。すっかり忘れていました。

在学中以来30年以上お会いしていないのに、こうやって旧交を温められるFacebookです。

R_76さんの真実を私が最初に当ててしまったそうなので、この企画が回って
きました~~~。

私に関する10の設問で9つがウソ1つだけ本当です。

それではスタート

1.katuo0076さんから女王様呼ばわりされている私だが、実は昔裏稼業で『女王様』をしていたことがある

2.街を歩いているとナンパばかりされて困った学生時代だった。


3.微乳で知られている私だが、温泉に行った時に「ここ、女湯ですよ!」と見知らぬ客から言われたことがある。

4.生まれて初めてファンになった有名人は千代の富士。


5.足の上にうっかり包丁を落としたことがある。


6.自転車に乗っていた時に車と正面衝突をしたはずみで車の上を飛び越えていったことがある。


7.雨の日にバスから降りた時に滑って転び、パンツ丸見えになったことがある。


8.夏の日にブラジャーをし忘れて、そのまま服を着て外出し、帰宅して服を着替えるまで気付かなかったことがある。

9.霊感が強く、昔のあだ名は「稲川淳子」だった。


10.宝塚音楽学校を受験したことがあり、芸名(夢花つばさ)も考えていた。


写真は2004年頃のものです


2004〜2007年にかけてエキサイトブログで熱心にブログを書いていましたが、エキサイトブログがもうすぐ閉鎖されるようなので、アメブロに転記しています、

こちらは
2004年3月27日
に書いたものです。

↓↓↓


0時も過ぎたので私にとっては大切な日になりました。

3月27日は4年前にお腹の中で息を引き取っていた子供を分娩してそのまま最後の別れとなった日。

妊娠7ヶ月で650gほどしかなかった。小さい赤ちゃん。
顔を見てあげたかったけどみんなに止められ見ることが出来なかったのが今でも残念でたまらない。

死因は臍帯過捻転というもので、お腹の中で赤ちゃんが一方向にばかりくるくると回り続けてへその緒の一部分がこよりくらいの細さになっていて、血液がそこで滞っていたらしい。

亡くなる数日前から確実に胎動が減っていて、それでも検診では心臓も動いていたし「問題なし」と言われたけど、わずか2日後には亡くなっていた。
検診の時にはすでにお腹の中で苦しんでいたかもしれないと思うと今でもやりきれない気持ちになる。

このような死因で妊娠中の赤ちゃんを亡くす母親というのは一定の割合で存在し、医学が発展していると言っても事前に分かるケースの方が圧倒的に少ないと思う。
主治医の先生には「事故にあったようなもの」と言われた。
それは間違ってないのだろう。

「死産」については以前にグリーフケアのことも書いたけど、子供を亡くした後の精神的ケアの整備もまだまだだ。
病院の中で出産した人と相部屋にされたり、廊下からの「おめでとう」という声が聞こえてくる病室にずっといなければならなかったという話も聞くし、
私の場合だと分娩室で元気な赤ちゃんを出産する人と
並んでしまう羽目になったり(同時出産でかなり辛かった)した。
本来は元気な赤ちゃんが産まれるはずの産婦人科だから仕方がない・・・なんて言わずに、傷をこれ以上広げないためにどうしたら良いかって考えてほしい。

今日で4才になるあの子は空の上でどんな風に育っているだろうか?
どんな顔なのか、何が好きなのか、寂しくないか、見てみたい気がする。
天国中継カメラとかないかなぁ・・・。