瞑想と礼儀 | あるヨギのブログ

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インドに行き初めて30年で名古屋でインドの伝統的な瞑想法、マントラ、ニャーナ・ヨガ、ダッタ・サンプラダヤ、タミールシッダンタ・ヨガ等を教えています。
プロフィール↓
https://ameblo.jp/rishijnana/entry-12837332398.html

まず、前回の記事で今年いっぱいでということでお伝えしたのですが、クリヤヨガの応募も沢山ありもう締め切りたいと思います。



後、『瞑想と礼儀やマナー』についてになります。


最近の方々で若い方と言っても上は40代で、40代からそれ以下の年齢の若い方なのですが



メールのやり取りをしていて、相手の宛名や自分の名前も書かれない方が以外といます。



瞑想とこういった礼儀というかマナーは、たぶんその人たちは関係ないと思っているのでしょうが



おおいに関係あります。



インドでは、こういったマナーに厳しくない師たちもいますが言わないだけで、その師の恩寵は得られないです。



また、そういう人は一番大きな『神の恩寵』が得られないので瞑想で大きな至福や絶対的な境地には辿り着けないです。


『神の恩寵』と書くと抽象的で、その人たちからすれば、神は見れないし感じれないしで『神はいるのか?』になって具体性がなく感じるかもですが


具体的に言うと、『真理』から外れているからなのです。



例えば、『重力』のように『地球』と『地球上の物体』に働く力によって、物体は地球に引っ張られることで、人間は地球に立つことができるし、物を手から離せば落ちていきます。



これも変わらないものなので、一つの真理で


瞑想や人の間にも、この重力のように見えないエネルギーの流れが存在します。


瞑想というのは、ある意味このエネルギーを整えることでもあるのです。




日本の武道でも、もともと正座して姿勢を正して礼から始まるのは、神前で見えない神に礼をして始めること以外にそうすることで姿勢が整い、姿勢が整うことで集中力が増し注意散漫になることを防ぎ自分を守ることにもなります。



瞑想が本当にできてくれば、いろんな感覚が鋭くなります。



そういうマナーや礼儀の無い人というのは、えてして集中力が弱く隙だらけで自分で知らず知らずに色んな運をも逃したりもしてしまいます。



それ以前にも友達ではないので、メールするときは、相手の宛先の名前と自分の名前くらいは書くようにしましょう。



↓クリヤヨガや本当に伝統的なものは、こういった礼儀や師と弟子のマナーがしっかり残っているから現在まで伝わっているのも理由の一つです。




考えてみてください。師への礼儀やマナーがなければ自己解釈で正しくないものを伝えたりグル・パランパラという、師から弟子、またその弟子が師になり弟子へという『代々続いているグルの系譜』がなくなってしまいます。



クリヤヨガで最初に3つの誓約というのがあり、一番最初にこの代々伝わっているクリヤヨガのグルの系譜に自分が加わり、それを守っていくというのがあるのですが


それは、自分がそのクリヤヨガのエネルギーの流れに乗るということです。


グルの系譜を抽象的なこととして、大事にとらえなければ、自分がそのエネルギーに乗れません。



そのエネルギーに乗れなければ、いくら瞑想しても、何時間費やそうと進歩は少ないのであります。



真理にのっとることで始めて、瞑想の精妙な世界に入っていけるのです。









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