ネバーランドに永遠にいるわけにはいかない | 立命館ミュージカルサークル

立命館ミュージカルサークル

立命館大学・同志社大学を中心に活動するミュージカルサークルです!毎週月、土曜日に中京青少年活動センターか立命館大学内にて活動しております。立命・同志社生は勿論のこと、男性や他大学の方も大歓迎です。新入部員募集中\(^o^)/ 見学もお気軽にお越しください。

皆さんこんにちは!
5期の宮村凛です(^^)夏公演ではrinという名前で活動させていただきましたが、冬公演では苗字がつきました!(◍•ڡ•◍)❤ヤッタネ

さてさて12月に入り、寒さも厳しくなって来ましたね。皆さん、風邪などはひかれてないでしょうか?立ミュ内でも風邪をひきはじめるメンバーがちらほらでています。手洗い、うがいはきちんとやりましょうね( ´﹀` )

冬になるということは年度末も迫ってきてるということです。私は今3回生なので、就職活動が近づいてるわけなので、引退とまではいかなくても、休止期間がもうすぐやってきます。
休止期間を目の前ということで、私は今回は私の舞台人生ついてお話しようかなっと思います。

私が人生において初めて舞台に立ったのは生まれて間もない頃だったと両親から聞いてます。舞台上に母に抱かれていたそうです。(そして泣きわめいてたそうな)全く記憶になく、どんな公演だったのか、何故出たのかはよく分かりませんが、とりあえず、それが初舞台(?)でした。何回かブログには書いてますが、私の両親は仕事の傍ら地元のミュージカル劇団に所属し、舞台に立っていました。そんな両親の背中を見て育った私は自然と演劇の世界に足を踏み入れました。
次に舞台に立ったのは小学2年生の時でした。この時の記憶はちゃんと残ってます。戦国時代を舞台にした公演でした。私の役は主人公である武将の娘の幼少期で、台詞は一言「かか様がつくったの」。父が演じる主人公の武将と母が演じるその正妻の3人の穏やかな家族のワンシーンでした。あの時、暗転の中、母に抱えられ、スタンバイしたことも、芝居の中で父に抱き上げられたのも今でも鮮明に覚えています。
その後、劇団に子供が参加できるグループができ、私は妹とともにそこで芝居や歌、ダンスを楽しんでいました。
中学、高校時代は演劇部に所属しながら劇団も続けました。両立がほんとに大変でした…。特に高校時代は学校→部活→劇団の練習→次の日の授業の予習の繰り返しで、今よりずっと忙しい毎日を送っていました。寝るのは毎日深夜遅くになってからでしたし、学校の課題が終わらず、発狂して虎になりそうなときもありました。そんな生活も大学受験のために劇団を休団したことで終わりを告げ、勉強に向き合うことになりました。芝居も歌もダンスもない生活。正直、フラストレーションは溜まりに溜まりました。私が劇団に参加できない中、両親、妹は劇団の稽古に行く。私は「えー!ずるくない!?私も稽古行きたいんだけど!?踊りたいし、歌いたいし、芝居したいんだけど!?」という気持ちでいっぱいでした。で結果始めたのがYouTubeの踊ってみたのコピーダンス。(あ、忘れちゃいけません。この時の私は受験生です。)踊ることで、ストレスを発散させてました。そんなことをやってるうちに受験当日になり、見事に国公立大学は全滅。私立の現在通ってる大学に通うために、京都にやってきました。(本当は地元の大学に行き、劇団に戻るつもりでした。)1回生の時はバイトばかりをしていましたが、もう一度舞台に立ちたい熱が爆発したとき、立ミュを見つけ入部しました。
というのが、私の芝居人生の大まかな流れです。つまり、ずーと何かしらの形で舞台に立ってたわけです。(2年間の休止期間はありますが)
私にとっての舞台は居場所なんだと思います。安心できる場所、楽しい場所、夢を見られる場所、まさにネバーランド。でも、ふと考えるんです。「このままここに居ていいのか。」「いつまで続けるつもりなのか。」と。そう思うと大学生までかなと何となく思うようになりました。そして、将来あの穏やかな家族のワンシーンのような家庭をつくるという夢ができました。その夢の為にはネバーランドにいるわけにはいかない。自分で幕を下ろさなきゃいけない。

芝居は大学生までと決めました。
だからあと、数えるくらいしか立てない舞台1つ1つ、全力で取り組みたいと思ってます。
悔いが残らないように。戻らないように。やりきりたいと思います。

追記
もう一度母と同じ舞台に立ちたかったな。