東日本大震災から13年。
改めて犠牲となられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また、かけがえのない方を失われた皆様に心よりお見舞いを申し上げます。


もう13年か…
今年は元旦から能登で大きな地震があって。
なかなか支援物資が届かなかったり3月になっても断水や停電、ライフラインが戻っていないところもある。

2011年3月11日。
あの日、あの時程、世界中が日本に注目して想った日はない。
国を超えて、支援物資を送ってくれたり、災害派遣してくれたりしてたな。

私はあの日、独身で名古屋市内で一人暮らししており、そこそこ近い都心にオフィスがあるD社でバリバリ働いていた。
その日も先輩とランチして、志の高ーい会話をしていた。

たまたまクソ女ボスは勉強会だか説明会だかよー知らんけど午後は不在。
あー今日は静かでいーわー、とか思った。
その時は確か私のデスクで同期の営業の提案書の相談に乘ってた。
「あれ?なんか揺れてないか?」
「地震だ!」
揺れが納まらない。むしろ強くなってる。
ホワイトボードがばったんばったん音を立てて揺れてる。
私は、というと。
必死でデスクトップのPCのモニターが倒れないように抑えてた。
なんでこう、地震の時ってテレビやモニターをとっさにおさえてしまうのだろう…

私の隣の隣のデスクで同じようにデスクトップのモニターを押さえてる先輩。
普段は温厚であまり感情を顔を出さない人だったけど、その時目が合ったら恐怖におののいた表情をしていた。今でもそれが忘れられない。

「東海大地震がいつか来る」とずーっと云われていて、もし、本当にそーゆー時が来たら私はどうするんだろうって思ってたけど…非力だね…
私もデスクにしがみついて、怯える事しかできなかった。


こんな時頼りになるのは、やっぱり男性。
特に既婚者。守るべきものがある男性社員。


私たちがどうしようどうしようとうろたえている時にたまたま社内にいた営業課長と先ほど私と打ち合わせしていた同期の営業(婚約中だったはず)は冷静に外を見て(D社はビルの9Fだった)「よし、避難しよう」と号令。

私たちはそれに従って、つーか、云われるままに、とりあえず貴重品だけ持ってオフィスを出て、エレベーターは止まっているので非常階段で9Fから駆け下りた。
降りている間に他の階からも避難する人が居た。
外資系の会社も同じビルに入っていたので、外国人の姿もあった。


…あーゆー時って本当は外には出ない方がいいんだっけ。本当は。
窓が割れてガラスが落ちてくる事もあるからって。
所説あるけど。


外に出て(今日みたいに寒い日だった)、みんなケータイをチェックするが当然繋がらない。
当時は私はドコモのガラケーとiPhone3GSの2台持ちをしていて、ガラケーが辛うじて繋がって震源が宮城県だと知る。


宮城!?
そんな遠いところでの地震でここまで揺れるの!?


防災センターの人が確認してもう戻っても大丈夫と云われたので一旦オフィスに戻った。
Yahooでは大津波警報のアラートがずっと出てる。
…この時は何もしらなかったんだな…

当時はFacebookが主流で、それ経由で東京本社が大変な事になってるのを知った。(いやー、こーゆー時クラウドは強いわ)
本社は32F。震度5。ヤバいでしょ。


それから数回、余震があって、その度にビビる私。
はっきり云って仕事にならん。
まぁ持ってる案件もほとんどなかったし。

余震の度にぎゃーぎゃー騒ぐもんで後輩男子が
「もー、〇〇さん(旧姓)、うるさいからどっか外出てて下さいよ」
幸か不幸かクソ女ボスもいないし。
先輩と近くの喫茶店で一服。
ネットも繋がるところとそうじゃないところがある。
…その時も何も知らなかっただな…


続く