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Facebook経由で知るのだが、東京本社の様子を知る。
震度5。デスクトップPCのモニターも倒れまくり、キャビネットが空いて資料が散らばり。
32Fから非常階段で降りた猛者も。

そして、D社は営業会社であるので営業はほとんど外回り。
時間的に外回りに出ている営業も多いはず。
しかし電車が止まってしまって会社にも自宅にも帰れない携帯も捕まらない、身動き取れない営業もいたと思う…

本社で社内にいた人たちも、最終的に帰宅難民。
バスやタクシーにずらーーーーっと並ぶ事さえ諦めて、会社に泊まった人も多かったようだ。Facebookで「コンビニでこれだけは買えました!」とあり。ぎりぎり残っていた食材を調達するのも大変そうだ…
あ、あと3時間かけて歩いて帰った人とか。
…あの日がたまたま金曜日だったのは、都合がよかったのでは…

***

本社の被害に比べたら、名古屋支社なんてノン気なもんだ。
クソ女ボスなんぞ「地震大丈夫だった~?」とか笑いながら云うバカっぷり。

こんな時にやらんでもいーのに、支社MAG。
あたしゃもう1秒だってこの免震ビルの中にいたくないんだよ!

あたしゃ終わってそっこー帰る。
一人暮らしなので家に帰っても怯え続ける…かと思っていたが、今日はたまたま彼氏と同棲していた同期の友人が、彼氏の転勤に伴う引越しの関係でうちに泊まりにくる予定だったのだ。
ホントに、たまたま。
それだけでなんと心強い事か…
私の自宅と近かったので、うちの近所にある安居酒屋でビール…が、いつの間にか熱燗に。(寒かったからな)
今後の防災の話題…から色々とまぁ饒舌になるわな。
日本酒はなー。意識は割としっかりしてるのだが、酔いが回ってくると千鳥足になって呂律が回らなくなるww


23時までやってる気合の入ったスーパーでビール買って帰る。
そしてテレビをつけて、唖然とした。2人とも言葉を失った。
ビールどころではない。



何これ…




海から津波が押し寄せ来るNHKの本気。
先進国の日本が容赦なく津波に飲み込まれていく映像。
学校の校庭に書かれた「SOS」。
原発が水素爆発する瞬間。
気仙沼の火の海。
歪んだ東京タワー。
ついでに地軸も若干変動するほどの大惨事。


いつもはどっかで飲んだ後、そんでも足りねぇつってコンビニで酒買って呂律の回らない口で饒舌にしょーもないてゆーか男性にはあまり聞いてほしくないような話をする同期の飲み友達。

この時ばかりは一気に酔いが覚めたようだ。
終始無言。


二人とも無言でテレビ見てた。
本気で怖いと思った。
でもこーゆー時、一緒に、側に誰かが居てくれるってのはありがたい。


何とも云えない気持ちで、寝る。
しかし、まぁ酒が入っていたし。
あの頃は眠剤なんぞ必要なく眠れた。酒の力を借りて。

3時ごろ。また地震。余震?結構揺れた。震度3くらい?
携帯で調べたら、震源地は長野らしかった。
友達はベッドの下で、この地震に気付かず寝てるけど
よっぽど起こそうかと思ったけどその後は地震はなかったのでもう一度寝たけど…
寝た気がしなかったな。


翌日近くのカフェで友達とブランチして、彼女は帰って行った。
私たちがそんな事している間にも、東北はとんでもない事になっていたんだ。
私も自宅に帰って改めてテレビを見ると恐ろしくて気分が落ちる…
なんとなくうちに一人で居たくなかった。

***

週明け全社朝礼があって、まずは黙祷を捧げた。
まさか会社で黙祷するなんて思ってなかった。

そして、私が担当の店舗が全国チェーンの大手クライアント。
安否確認じゃないけど、ご様子伺いで連絡する。(本社は名古屋)
でもちーーーっっとも捕まらない。
…きっと大変なんだろう。
夕方になってようやく繋がった。
クライアントと話してこんなに安心するなんて初めてだ。
被害を受けた店舗も結構あったらしく、その対応を依頼された。

***

それから私はしばらく、所謂「地震酔い」に悩まされる。
揺れてないのに、なんだか揺れている気がして不安になり、周りを見て大丈夫かと確認する…ての繰り返し。
目を閉じると余計に揺れてる感じがして怖い…
当時、姉貴にもらったリーゼ(ww)飲んでみても治らなかったな…


***

私の周りでは被災した人、犠牲になった人はいなかった。
東日本、東北にはあまり知り合いがいなかったからな。
当時妊娠中だった従姉妹が放射能を恐れて、我らが中部地方に避難してきたり
姉貴んとこが計画停電の対象地域になったり、とか。
名古屋支社に宮城出身の後輩がいたけど、ご実家は内陸部だったので大きな被害はなかったようだが、なかなか連絡が取れなかったらしいが、なんとか繋がって安否を確認できたようだった。