【台湾より日本が危ない!】日本が生き残る道は核武装しかありません | 中谷良子の落書き帳

中谷良子の落書き帳

核武装・スパイ防止法の実現を

政府は早急に金子氏の提言に耳を傾けていただきたいです。


★「核廃絶」と「核抑止」は矛盾せず。日本は堂々と世界に主張せよ★~被爆地・広島でのG7サミットは記憶に新しいが、世界の核の脅威はより強まる一方だ。核廃絶と核抑止力強化は矛盾するかに見えるが「両立は可能」だとする筆者の見解とは。~

毎年この時期になると年中行事のように、核問題に関する話題がメディアを賑わせる。とくに今年は、ウクライナ戦争で行き詰まったロシアが局面打開を狙い戦術核を使う可能性が懸念されており、世界的に不安が高まっている。

こうした不穏な状況の中で、5月に被爆地・広島で開催されたG7では核の脅威が大きく取り上げられ、核軍縮への努力を謳った「広島ビジョン」なるものが採択された。各国首脳が揃って原爆ドームの前で黙祷し、犠牲者に献花したことも有意義な事であった。しかし、広島や長崎の被爆者達の間からは、サミットの成果は全く不十分だったと落胆の声が聞かれる。「広島ビジョン」では核廃絶へのはっきりした道筋が示されていなかったからだ。

私事ながら筆者自身、外務省退官後の一時期、1990年代の約10年間、広島、長崎両市長の外交顧問のような立場にあり、被爆者達とも顕密に交流していたので、その方々の切実な気持ちは痛いほどわかる。

当時はソ連崩壊、冷戦直後で、核軍縮・廃絶への機運が世界的に盛り上がっていた。この時期に、私は、核戦争防止国際医師会議日本支部の特別顧問の資格で、他の国際NGOと協力し「北東アジア非核兵器地帯条約」や「核兵器禁止条約」の草案作りにも取り組んでいた。しかし、その後世界各地で戦争や地域紛争が頻発し、国際的な緊張が再び高まるにつれ、バラ色の機運は一気に後退し、逆に北朝鮮やイラン問題などで新たな核危機が叫ばれるようになった。

そこに今回のウクライナ戦争をめぐる不穏な動きで、今や核軍縮・核廃絶への機運はすっかり萎んでしまった感がある。

残念ながら、これが国際政治の現実だが、こうした厳しい現実に対する認識が日本では甚だ不足していると言わざるを得ない。依然として被爆国特有の「核アレルギー」と、その裏返しとしての情緒的な平和信仰と核廃絶願望が支配的であると思われる。その根底には、現行憲法の他力本願的な空想的な「平和主義」も大いに影響しているとみるべきであろう。


●「核兵器なき世界」の幻想、日本の悲願と世界の現実
例えば、オバマ元米大統領が2009年4月、チェコの首都プラハで行った「核兵器なき世界」演説についても、日本では核廃絶の面だけが強調されて伝えられたが、演説をよく読むと、その後段では、核兵器の脅威が存在する限り米国はこれを抑えるための「核抑止力」をあくまでも堅持すると明言している。現にオバマ氏は在任中に、米国の核戦力強化のために巨額の予算を承認。その後も、米露の核軍縮交渉は遅々として進まず、のみならず、米露戦略核兵器削減条約の延長にロシアが同意しないので、現在失効状態にある。

一方、第三の核大国中国は、核軍縮交渉には一切関心を示さず、黙々と核兵器を増産しており、35年までに現在の3倍、900発にまで増やす計画を公表している。米国防総省の予測では35年までに1500発に達するとしており、そうなると米露と肩を並べることになる。核弾頭の数だけでなく、中国のミサイルは質量ともに飛躍的に向上しつつある。ついでに、北朝鮮も着々と核戦力増強を図っていることは周知のとおりである。ごく最近も、米国本土の東海岸まで届くICBMの発射実験を行った。日本は既に30年前から北朝鮮の中距離ミサイルの射程圏内にある。残念ながら、これが世界の現実の姿であり、日本人としては甚だ不愉快だが、正視しないわけにはいかない。

一方、被爆国日本では、78年前の悲惨な経験から、核兵器は「絶対悪」とされ、廃絶される以外にないとの考えが支配的だ。国も「非核三原則」を国是として堅持しており、核廃絶は国民的な悲願である。

もちろん、唯一の戦争被爆国として日本人が核廃絶の理想の灯を高く掲げるのは大事だが、核廃絶は一気に達成できるものではなく、日本人の力だけで実現できるものでもない。それなのに、日本国内だけで通用する理念やスローガンに囚われている限り、いくら努力しても、日本人は国際社会からますます遊離していく恐れがある。


この機会に、日本人一般に見られる重大な誤解や偏見、思い込みを具体的な例を挙げて見ていくことにする。

まず第一に、周知のように、核兵器問題に関する国際条約としては、1970年に発効した「核兵器不拡散条約」通称「核拡散防止条約」というものがあるが、この条約は決して核廃絶・核軍縮を定めたものではない。

米ソ冷戦最盛期、60年代半ばに作成されたこの条約は67年1月1日時点で核実験を行った国、すなわち米、ソ連、英、仏、中国の5ヵ国を「核兵器国」として、その核保有を公認するとともに、その他の国に核兵器が広がるのを防ぐことを主眼としている。つまり、核兵器保有を5ヵ国に限定すると同時に、5カ国以外の核保有を禁止することを目的としているので、「核兵器の拡散防止条約」ではなく「核兵器国の拡散防止条約」というべきなのだ。5ヵ国内に存在する核兵器の削減や廃絶は直接定めていない。専門用語で「垂直核拡散」と「水平核拡散」があり、前者は核兵器国内の核兵器、後者は非核兵器国への核兵器の拡散防止を指すが、NPTではもっぱら後者だけを対象にしている。

確かに条約第6条には、核兵器国は核軍縮に努めよという主旨の規定があるにはあるが、これは単に核軍縮交渉の「努力義務」を定めているに過ぎない。NPTが不公平、不平等条約と言われる最大の理由がここにある。

しかも同条約には、当初25年の有効期限が定められていたが、95年に、無期限延長が決定してしまったので、この条約は今後永久に存続する。つまり、5ヵ国の核保有を公認するという実定国際法上の仕組みが永久に続くということだ。したがって、5ヵ国の核兵器は、自らの意思で削減・廃棄しない限り、永久に残るということだ。彼らが自らの意思で廃棄することは到底考えられない。

確かに理論的には、NPT自体を改正すれば話は別だが、条約改正には5ヵ国の同意が必要、つまり「拒否権」が認められているので、改正は事実上できない。国連憲章がなかなか改正できないのと同じ理由である。

●会議の合間に漏れた「本音」核は永久になくならないか

私事ながら筆者は、60年代初めから外務省条約局(現在は国際法局)でNPT作成交渉やその後の核軍縮交渉をフォローしていた経験があるが、とにかく核兵器を巡る国際交渉ほど空しく不愉快なものはないと思っている。5ヵ国がその気にならなければ、他国がいくら核軍縮・核廃絶を唱えても、何も実現しないからだ。

当時、創設されたばかりのジュネーヴ国連軍縮委員会で、同席していたスウェーデンの軍縮大使、インガ・トールソン氏(軍縮担当大臣も歴任)が会議の合間に、ふと漏らした言葉が今でも忘れられない。

『核軍縮とか核廃絶は所詮実現不可能なのだ。このことを正直に言ってもよければ、私達の気持ちも少しは楽になるのだが、それを言ったらおしまいだ・・・』彼女の諦めにも似た虚しい気持ち、本音が深いため息となって出たもので、未だに筆者の耳の底に刻み込まれている。

繰り返しになるが、被爆国日本人としては、核廃絶が単なる夢で、到底実現できないものと認めてしまってはいけない。どんなに苦しくても、理想の灯は決して消してはならず、究極の目標に向かって粘り強く努力すべきだ。

しかし、だからと言って、国際政治や国際法の現実を無視し、ただ感情的に核廃絶を訴えても、それだけでは世界的には通用せず、所期の目的を達成することはできないと思うのだ。

では、核兵器は永久に絶対になくならないかと言えば、私はなくなる可能性は0ではないと思う。どうすればなくなるのか?それは、単刀直入に言えば、将来研究開発が飛躍的に進み、核兵器以上に協力で、しかも管理しやすい(使いやすい)新兵器が生まれた時だろうと思う。

例えばレーザー兵器やサイバー兵器よりもっと強力な、圧倒的な破壊力を持った攻撃兵器ができれば、当然核兵器は無用になるはずだから、放っておいても自然に消滅するはずだ。

そのような、今まで見たことも聞いたこともないような新しい最終兵器が出現するまでは、現在の核兵器が存続する。それがいつかは分からないが、いずれ来るのではないか?それまでは現在の核兵器を核大国が手放すことは決してないだろうというのが筆者の推論である。

仮に核兵器がなくなっても、それに代わる、もっと強力な大量破壊兵器が出現すれば、人類の不幸は続くはず。核兵器さえなくなれば世界は平和になるとは限らない。地球上に戦争(武力衝突)がなくならない限り平和にはならない。

誤解を恐れずにさらに踏み込んで言えば、現在核抑止力がより悲惨な大規模な戦争を防止していると考えれば、「恐怖の均衡」といわれる核抑止力にも一定の効用があるとも言えるのではないか。

例えば、ロシアがウクライナ戦争で核兵器使用を時々ちらつかせても実際の使用をためらっているのも、また、北朝鮮が核ミサイルの発射実験を繰り返しても実際に使うことはないだろうと考えられるのも(将来絶対に使わないという保証はないが)、一旦使ったら最後、核兵器で報復を受け大惨事となり、自己破滅に至ることを知っており、そのことがギリギリの抑止力になっているのだと思う。

確かに核兵器は「絶対悪」であり、それ自体を廃絶することが先決だというのは理論的に正しいが、それは現実の国際政治上限りなく不可能に近いことで、そのことだけを唱えていては世界平和はいつまで経っても実現しないだろう。まるで核兵器の効用を積極的に是認しているように響き、被爆者達からブーイングを浴びるかもしれないが、これが「現実主義者」として筆者が長年考えた末に辿り着いた結論である。

ここまで考えてくると、中国、ロシア、北朝鮮と地理的に近く、これらの国が持つ核兵器の脅威に直接さらされている日本にとって、日米安全保障条約に基づく拡大核抑止力、いわゆる「核の傘」が自らの安全保障のために必要不可欠であることが嫌でも理解できるはずだと思う。

ヨーロッパでも、冷戦時代にはソ連の、現在はロシアの核攻撃を恐れるドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、トルコの5ヵ国は、米国の核の傘(一部は「核共有」)を受け入れている。

フィンランドやスウェーデンも最近になってNATOに加盟して米英の核の傘の下に入る選択をしている。両国は長年中立を守り、核廃絶のために尽力してきたが、ウクライナ戦争に直面して防衛・外交政策を大きく軌道修正したのである。日本の場合も、被爆国だから、核兵器は「絶対悪」で危険だから、非道徳的だから、という理由で抑止力としての核兵器まで全面的に否定するのは筋が通らないだろう。

核廃絶による世界平和は究極目標としてあくまで堅持すべきだが、国家防衛と国民の安全確保はそれよりももっと緊急かつ重要であるからだ。座して死を待つことはできない。広島、長崎原爆か投下から78年。被爆者やその遺族達にとっては辛いことであるが、ここは感情論ではなく、理性によって現実的な判断をすべきなのである。


●「真の平和外交」を堂々と展開し、胸を張って二兎を追え
繰り返すが、究極の核廃絶への努力と、日本の安全保障政策としての「核抑止力」(核の傘)の維持は決して矛盾するものではない。日本の核政策の基本は、半世紀余前、佐藤栄作内閣の時代に、NPT署名に先立って、「非核三原則」と米国の「核の傘」への依存をセットにして熟慮の末に決定されたものだが、現在も、これ以外の現実的な選択肢は考えられない。

以上の事から、核兵器自体を違法化する「核兵器禁止条約」には、論理的にも政治的にも日本が加盟することは現時点では難しい。もちろん、将来米国を含む核兵器国がすべて加盟すれば話は別である。

広島県出身の岸田文雄首相が率いる政府は、これらを国民に率直かつ分かりやすく説明し、納得を得たうえで、官民一体で「真の平和外交」を堂々と展開していくべきである。たとえ困難な道でも、自信をもって現実的外交を推進するとともに、堂々と胸を張って核廃絶と核抑止力強化の二兎を追い求める道を進むべきであると信じる。(金子熊夫氏。)

核で恫喝する国に囲まれる日本の現実 状況はウクライナよりひどい 岸田首相の「核兵器のない世界」演説は〝きれいごと〟
https://news.yahoo.co.jp/articles/6d700bbc7f803a365b16c3022fb78292682bf804
イランが“介入”示唆しイスラエルに警告か 米報道
https://news.yahoo.co.jp/articles/02b879351b33ac6c2f0d9c011f34b8fb18a9e793
イランがイスラエルに警告、「戦争犯罪」続けば影響拡大
https://jp.reuters.com/world/security/Q7HDUNTFUZL6TGBFAXQPPREN2U-2023-10-15/