こんばんは。
AKB48のニューシングルのタイトルが76文字にもなるそうで「覚えられるか!!」とツッコんでしまいました。
どうも、ボキです。
ちなみにBEGINのシングルにはそれをも上回る100文字があるんだとか。
AKBのニューシングルはファンの間では省略された形で呼ばれそうですね。
さて、本題。
先日の11月3日の生放送でもお話しした通り、「ラジオパーソナリティになる」のがワタクシのかねてからのなりたいと思っていたこと。
もちろん、まだまだ駆け出しです。
蒔いた種がようやく発芽したくらいとでも言いましょうか。
これで叶ったわけではありません。まだいわば『自称』状態です。
この仕事をライフワークにしたいと思っている以上、努力と経験を積み重ねていかねばなりません。
そもそも、なぜラジオ業界に飛び込みたいと思ったか。
ラジオでは時間の関係や大人の事情でお話しできなかったところもあるのでもうちょっとお話ししましょう。
まだまだ子供の頃。
父親がカーラジオをかけたり、目覚ましでラジオを使っていたので、ちょこちょこは聴いていました。
今でも覚えている中では「槇原敬之のクロース・トゥ・ユー」「山下達郎のサンデーソングブック」「中村正人のサンデー・ネットワーク」「福山雅治のトーキングFM」(いずれもFM山口経由)など。
番組名を思い出せるだけ毎週聴いていても、全く興味を持てなかったんです。
小4のとき、ポータブルラジオを買いました。
まだあのころはコンビニにもおいてありまして、金額は2,079円。
今のようなデジタルではなく、アナログスケールがついていて、横のダイヤルをくるくる回すタイプでした。
実は目覚めたのはこれがきっかけ。
家にいる間にあれこれ聴いていると、音楽と言葉が紡ぐ不思議な空間にどんどん吸い込まれていったんです。
加えて、最新曲が流れれば流れるほど、他の人たちよりも何歩も先を行ったような気分で。
ちょうどこのころはクラスでもだいぶ浮いていましたので、ラジオが友達状態でした。
その後、はがきを出すよりも、電リクするよりも早く先述のFM山口に遊びに行きました。
いわゆる「セミ・オープンスタジオ」で、レインボータウンFMのような感じではなくl、建物の中にあるスタジオを見学するような感じでした。
そこで女性アナウンサーとスタッフの方にリクエスト曲とどうやってたどり着いたかを取材され、ダイレクトに放送されました。
今でも忘れません、2001年3月27日。
その数日後の離任式で小6のときの担任に思いっきりバラされました(笑)。
この頃にはラジオパーソナリティになりたいという夢がしていたころかもしれません。
時は流れ、高校3年。
地元にコミュニティFMができ、そこにアナウンサーの先輩がいらしたので、思い切って聞いてみました。
その答えが「東京の専門学校へ行きなさい」。
かくして、上京することが決まりました。
某専門学校のオープンキャンバスで出逢った新谷良子さんが声優だと知ったのはそれからまたしばらくしてのこと。
専門学校では、喋り・・・・ではなく、音声技術を学んでいました。
コミュニティFMに出入りしていたころに必要な知識だと感じたからなんですが。
新聞奨学生として専門へ行き、今に至ります。
さて長くなりましたが、タイトルのクエスチョンに対するアンサーを出さねばなりません。
もし、【Q:なぜラジオパーソナリティになろうと思ったの?】ときかれたら。
今ならこう答えるでしょう。
【A:音楽と言葉が紡ぐ不思議な空間の魅力に引きこまれ、もっと盛り上げたいと思ったので。】
あるいはこれに似通ったこと。
もっと端的に言えば、
【A:ラジオが大好きだから】
につきます。
大好きで出来ればこれほど楽しいことはありません。
もちろん、その分の反動は大きいことは重々承知です。
しかし、25になってもなお冷めぬ思いを胸に抱き、山口から上京したのですから、これを無駄にするわけにはいきません。
実は先日の放送前に、プロデューサーに「裏方の仕事やる?」と言われました。
そのときは専門時代のトラウマがよみがえって渋ったのですが、その後よくよく考え、今のうちに経験するチャンスがあるなら受けようと思い、今度直談判しようと思います。
結局締りの悪い感じになっちゃいましてすいません。
次はいつになるかわかりませんが、Ustreamともども、今頂いている仕事には全力投球で頑張ります。
長い長いブログにお付き合いいただきありがとうございました。
寒くなってきました。お体には気を付けて。