フライング・ブリトウ・ブラザース『 Anthology (1969-1972)』 | Apple Music音楽生活

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先日、いつものようにTSUTAYA 川崎駅前店でCD5枚1,000円で借りに行ってきました。
「フ」のつくアーティストのコーナーに、ひっそりと1枚だけブリトウズを発見‼︎


「カントリー・ロック創始者」と呼ばれるグラム・パーソンズとバーズのオリジナル・メンバー、クリス・ヒルマンが1969年に結成した、伝説的なカントリー・ロック・グループフライング・ブリトウ・ブラザース





さて、今回見つけた『Anthology (1969-1972)』というCDですが、彼らが遺した3枚のスタジオ・アルバム全曲と70年に行われたロックンロールやカントリーの名曲をカバーするレコーディング・セッションから7曲。ライブ・アルバム『Last Of The Red Hot Burritos (1971年)』から2曲など、これひとつで、ほぼブリトウズの全姿を捉えることができる内容になっています。

Hot Burritos! The Flying Burrito Bros. Antholog.../Flying Burrito Brothers

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結成時のメンバーはグラム・パーソンズ (Vocal/Guitar/Keyboards)、クリス・ヒルマン (Vocal/Guitar)、クリス・エスリッジ (Bass)、"スニーキー"ピート・クレイナウ (Pedal Steel Guitar)で、正式メンバーとしてはドラマーはいませんでした。

全体を通して聴いてみると、ファースト・アルバム『The Gilded Palace Of Sin (1969年)』が断然いいですね。傑作アルバムが誕生する時に必要な"魔法"のようなものが制作過程に作用していたことが、ライナーノーツからも伺われました。
このアルバムを中心に選曲、いや「選動画」してみました。

では、このアルバムの1曲目"Christine's Tune"をどうぞ。
グラム・パーソンズとクリス・ヒルマンのハーモニーは、 バーズ時代のグラムとロジャー・マッギンのそれより、息の合ったハーモニーを聴かせてくれます。
向かって左側、白いスーツがグラム・パーソンズ。右側の青いスーツがクリス・ヒルマン




メンバーの着ているスーツ‼︎ 派手ですよねえ(笑)
これは多くのカントリー・スターやエルビス・プレスリーの衣裳を作ったハリウッドの『ヌーディーズ』であつらえたもの。
90年代のオルタナ・カントリー・シーンから登場して、いまではアメリカのメジャーバンドのひとつとなったウィルコの2010年の『(the album )』の中ジャケにもヌーデイーズ・スーツの写真が使われています。
彼らのブリトウズに対するリスペクトが伝わってきますね。



ヌーディーズのオヤジさんとグラム・パーソンズ


グラム・パーソンズ、クリス・ヒルマンと並んで、ブリトウズ・サウンドを作る上で、重要な要素が"スニーキー"ピート・クレイナウのペダル・スチール・ギター。
エレクトリックギター用のエフェクターでジミ・ヘンドリックスがよく使用していたファズをペダル・スチールに使ったのは、彼が最初のようです。
この音が、ただのカントリーではない尖った感覚を彼らのサウンドに加えています。



グラムはブリトウズというバンドについて「カントリーとゴスペルをベースにした音楽をスティール・ギターで演奏しているサザン・ソウル・グループなんだ」と語っています。
この曲はサザン・ソウルの拠点のひとつ、マッスル・ショールズ・スタジオの専属ソングライター、ダン・ペンとスプーナー・オールダムによるR&B のバラード曲 "Dark End Of The Street"





ブリトウズはカントリー・ルーツの曲だけ演っているものだと思ってましたが、こういう曲もあるんですね。他にもゴスペル・コーラスが印象的な"Hippie Boy"という曲も収録されています。
コンセプトとしては同時代のスワンプ・ロックに近いものがありますね。事実、彼らは同じLAで活動するデラニー&ボニーのステージをよく観に行っていたようです。


この曲はバイクマニアのグラムとクリスの情熱が作り上げたバイカー賛歌 "Wheels"




グラム・パーソンズという人は、金持ちのドラ息子という雰囲気のある人ですが、実際に彼のお祖父さんは、フロリダのオレンジ農園の三分の一を所有する富豪でした。
自身にも莫大な財産があるので、生活には困らず、気ままに音楽を中心とした生活を送っていました。しかしながら幼い頃から正式にピアノを習い、当たり前のようにカントリー音楽に囲まれて育ったグラムについてクリス・ヒルマンは「音楽における彼の知識と趣味は欠点のないものだった」と語っています。



グラム・パーソンズと彼の愛車


ファースト・アルバムの完成後すぐに、元バーズのドラマー、マイケル・クラークが正式メンバーとして参加。ベースのクリス・エスリッジが脱退し、ギターのバーニー・レドンが加入したことで、クリス・ヒルマンはバーズ時代の担当だったベース・ギターにスウィッチします。
この陣容でレコーディングが開始されたセカンド・アルバム『Burrito Deluxe (1970年)』ですが、グラム・パーソンズは既にブリトウズへの興味を失い、ギグをすっぽかしたり、現れてはショーをめちゃくちゃにしてバンドを解雇されてしまいます。後にイーグルスを結成するバーニー・レドンはグラムに対して「俺はお前と違って、働いて稼がなきゃならないんだ」と言い放ったということです。

このアルバムにはオールド・タイミーなロックンロール・ナンバー"Lazy Days"、キース・リチャーズがグラム・パーソンズに捧げた"Wild Horses"が収録されています。

この後、同年1970年に行われたロックンロールやカントリーの名曲をカバーするレコーディング・セッションから7曲が収録されていますが、私的には『Burrito Deluxe』よりも、こちらの方が気に入りました。特に"Close Up The Honky Tonks"などはエエ感じのカントリー・ミュージックですねえ。原曲は私の知らない人ばかりなのですが(笑)
その中でこの曲だけは私にも判りました。 ビージーズ"To Love Somebody"




その後のグラム・パーソンズですが、イギリスに渡り、バーズのヨーロッパ・ツアーの頃から交流のあったキース・リチャーズの家に滞在して遊んでいたようです。
税金の問題からストーズがフランスに逃げ出したときもキースについて行っていますが、最後は尋常ではないグラムの振る舞いに耐えかねたキースに追い出されたということです。
キース・リチャーズほど尋常ではない人間も耐えられなかったということは、本当に尋常でないですね。


グラム・パーソンズとキース・リチャーズ

フランスから戻ったグラムはエミルー・ハリスという稀代の女性ボーカリストを得て、『GP』 『Grievous Angel』という2枚の傑作ソロ・アルバムを制作しますが、『Grievous Angel』の発売を待たずして、ドラッグのオーバードーズで死んでしまいます。
グラムの友人でツアー・マネージャーだった人物が、生前にかわした約束を守って、ジョシュア・トゥリーという砂漠の真ん中に彼の遺体を運び、彼を火葬したということです。

破滅型の天才アーティストの典型のような人生を過ごしたグラム・パーソンズですが、彼の遺した、この2枚のソロ・アルバムを聴くと落ち着いた安らぎが感ぜられるのは、何とも不思議です。




さて、残されたクリス・ヒルマンたちはフロリダ生まれのシンガー・ソングライター、リック・ロバーツをフロントマンに迎え『The Flying Burrito Brothers (1971年)』を発表します。
このアルバムではカントリー・ロックからウエストコースト・ロックへの移行期を感じさせる音を聴かせてくれます。
初期のイーグルスに直接つながるサウンドと言えますね。リック・ロバーツと並んでバーニー・レドンの貢献が大きいことが影響していると思われます。
特に元バーズのジーン・クラーク作の"Tried So Hard"イーグルス"Take It Easy"と並ぶ爽快なカントリーロック・チューンです。

この後、バーニー・レドンはイーグルス結成のため脱退。
クリス・ヒルマンと、先に脱退した"スニーキー"ピート・クレイナウに代わる二代目ペダル・スティール・プレイヤーのアル・パーキンスがスティーブン・スティルスのマナサスに誘われ離脱。ブリトウズは終焉を迎えます。



『 Anthology (1969-1972)』にはジーン・クラークをゲスト・ボーカルに迎えてレコーディングされた、彼の作品"Here Tonight"も収録されています。
この曲もいいですねえ。
やはり、カントリー・ロックのアルバムを集める上では、彼の作品も欲しいところですね。