壬生魔浪士組最終章 ~魔法少女たちの足跡~ 2022/8/11~14 武蔵野芸能劇場 vol.1 | YUのブログ

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劇団新劇団初めてのシリーズ物。しかもシェイクスピアではなく日本史。

第二章から時間が空いてしまったけれども逆にこの時代をもう一度学び直す貴重な時間になりました。

ゴブさん以上に新撰組も幕末の歴史も学び直して本番を迎えようと思いました。

それでもまだまだ足りなかったかも。


指先ひとつで答えが得られるネット検索が苦手。

古い書物をめくって自分の中に知識が入っていくあの感覚が好きなのでいつも調べ物は図書館。

なので最新の研究結果とは違うことを書いているかもしれませんが。

僕なりに学んだ新撰組と幕末の歴史。

そして作品の感想です。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


鳥羽伏見の戦い後江戸へ戻ってきた新撰組は旧幕府軍の中でもひときわ意気揚々でした。

慶応四年一月十九日。近藤と土方は会津藩邸を訪問し再戦の用意の名目で二千両を受け取ります。前年十二月に狙撃され鳥羽伏見の戦いに出られなかった近藤勇は東帰直後に謁見した将軍慶喜から慰労を受け一層の奮起を志していました。

二月十二日。近藤勇は江戸城へ登城し上野寛永寺に謹慎中の慶喜の護衛を任じられます。その際近藤は陸軍総裁の勝海舟に会い甲府への出張を願い出ます。

三月十五日に予定される江戸総攻撃で新政府軍は江戸へ向け三方向から進んでくると予定されており、近藤は甲州街道から江戸へ向かう東山道軍との接触を意図していました。永倉新八が後年語った話しによれば新撰組は甲府城を手中にしそこへ慶喜を招聘する計画もありました。

勝海舟は三月十五日に向けて江戸周辺からの旧幕府過激勢力の一掃を重要視していましたので新撰組の自主的な江戸からの撤退は歓迎すべきことでもありました。

勝海舟と土方歳三は旧知の仲でもありました。妹が嫁いだ先妻の子が暗殺された父の仇討ちのため元治元年新撰組に入隊しています。そのさい土方は海舟に報告のため手紙を送っています。鳥羽伏見の戦いで近藤に代わり指揮を執った土方が圧倒的な新政府軍の武力を見ていることを海舟は知っていましたし、新撰組が新政府軍と兵火を交えるなどあり得ない、土方が暴発の抑止になるとさえ考えていました。この後甲州勝沼で戦闘が起きたという報に海舟は困惑します。

二月二十七日。旧幕府軍は新撰組に二千四百両近い大金を支度金として渡しています。更に会津藩から千二百両を受け甲州へと出陣します。ここで甲陽鎮撫隊と名付けたのは鳥羽伏見の戦いで新撰組が朝敵と目されてしまったからだとも言われます。また近藤勇は大久保剛、土方歳三は内藤隼人を名乗りこれも朝敵視を警戒したものと言われます。この彼等が下賜された性は『それは家康における大久保、内藤の例に擬したるなり』と将軍家の旧功臣の名に拠ったものでした。

三月一日。進発開始。三月四日。駒飼着陣。駒飼では先発していた大石鍬次郎が本陣に合流します。ここで新政府軍が甲府城を接収したという情報を受けます。新政府軍は甲陽鎮撫隊の接近を把握しており急ぎ甲府へ進軍していました。近藤は一時の時間の猶予を確保するために書簡を送りますが、それが新政府軍を挑発することになってしまいます。

三月五日。土方は駒飼を出力し江戸へ援軍要請に向かいます。その時点では翌日にも戦闘が始まるとは土方は予想していませんでした。勝海舟と同様に勝沼で新政府軍と戦闘するとは想像もしていませんでした。土方は江戸に二日間滞在し八日勝沼へ戻る予定でしたがその時には既に勝沼での戦闘が終わり甲陽鎮撫隊は江戸へ向けた敗退の途上でした。

この勝沼での新政府軍との争いは三月十五日の江戸総攻撃を回避しようとする海舟にとってあってはならない出来事でした。海舟はその日のうちに西郷隆盛と折衝するため山岡鉄舟に手紙を送り戦闘は近藤らの暴発だった旨を西郷隆盛に伝えます。海舟はこれ以後戦端を開いた近藤の行為を批判し続けます。


慶応三年十月の大政奉還。十二月の王政復古のクーデターという政局の返還を江戸にいた勝海舟はリアルタイムで知る事が出来ませんでした。翌慶応四年鳥羽伏見の戦いでの旧幕府軍の敗走。軍艦開陽丸で江戸に逃げてきた慶喜を海舟は出迎えます。敗戦と慶喜の東帰を受け江戸城内では新政府軍討つべしという声が多く挙がりますが海舟は冷静に分析し対策を考えます。その結論は恭順路線でした。

抗戦の意思を捨てきれなかった慶喜もやがて恭順の姿勢を貫きます。海舟は海軍奉行並に昇進し陸軍総裁となります。この年の二月。慶喜は寛永寺で謹慎生活に入ります。

同じ慶応四年二月。西郷隆盛を参謀とした新政府軍が江戸へ向かい東征を始めます。


いよいよ新政府軍が東下してくる気配が高まった二月十日、新政府軍の慶喜への措置を傍観出来ないため一廉の用に備え慶喜の多年の恩に報いるべく相談したいという檄文が発せられ、二月十二日午前十時雑司が谷の茶点茗荷屋に賛同者を募りこれが彰義隊の発足になります。幕府は彰義隊に江戸市中の取締りを命じます。


二月二十五日。勝海舟は軍事取扱に任じられます。陸軍のみならず陸海全軍の統括者の地位に就きました。新政府軍が迫るなか徳川家の全権を委任されます。

三月六日。勝海舟は近藤勇らの部隊を江戸から離れさせると共に山岡鉄舟に手紙を託し駿府対陣中の大総督府へ向かわせます。駿府で山岡鉄舟と会談した西郷隆盛は江戸城総攻撃前に勝海舟との会談を行う事をここで約束します。

三月十三日。江戸高輪の薩摩藩邸に到着した西郷隆盛。翌十四日会談が持たれます。この会談に当たり新政府軍でも妥協的解決を求める事が了承されており西郷隆盛は翌日の江戸城総攻撃を中止します。海舟は会談前にイギリスと接触しており万が一の際には慶喜をイギリス軍艦で脱出させる準備もしていました。

四月十一日。江戸城開城。慶喜は謹慎地の水戸へ向かいます。城は明け渡されますが武器の多くは脱走した旧幕府軍兵士が持っていきました。海軍副総裁榎本武揚は軍艦七隻を率い安房館山へ脱走しますが海舟が榎本を説得し十七日には七隻全て品川沖に戻ります。

榎本武揚の元にあった八隻の軍艦は、開陽。回天。蟠龍。千代田形。富士山。朝陽。観光。翔鶴。この八隻のうち四艦が二十八日新政府軍に引き渡されます。


無血開城により江戸を戦火から守ったとされる勝海舟。本人は謙遜し明治三十一年東京遷都三十年祭の発起人を頼まれた際、戊辰時に百万の江戸市民が殺されず家も焼かれず今日のような平和があるのは戦乱を回避した西郷隆盛と遷都を断行した大久保利通のおかげと語っていますが、まかり間違えば海舟自ら江戸を焼き払う意図もありました。ナポレオンに攻められたロシアがモスクワを焦土とし抗戦した故事に倣った江戸焦土作戦。官軍が攻撃を強硬するのであれば華々しく最後の一戦に望むと覚悟していたと言われます。この作戦を遂行する為に集められた人達の多くは尊王攘夷派幕臣組で新撰組の前身である浪士組の結成に関与した者も多くいました。集められた者達の主な任務は脱出抗戦派の鎮撫や説得と江戸周辺の治安維持でした。一部の者には事前に焦土作戦が告げられ準備も行われていました。また勝海舟と彼等の考えは完全に一致するものでもなく集められた者達の中には後に榎本艦隊に加わる者もおり勝海舟としても疑心暗鬼に襲われていました。


近藤勇が新政府軍に投降した四月三日。土方は二名の側近を伴い江戸へ向かいます。近藤勇身柄解放要請のために。勝海舟の記した日記の四月四日の欄には『土方歳三来る。流山顛末を云う』と書かれています。

土方は海舟に助力を要請します。敵味方全てを超越した勝海舟の人脈にすがりました。

しかし海舟にとってそれは迷惑な依頼だったと思われます。勝沼での戦闘で海舟の近藤勇に対する感情は険悪なものになっていました。しかし海舟は土方歳三の依頼に応えます。大久保大和が流山へ脱走兵探索に向かったという手紙をしたため、相馬主計によって新政府東山道総督府へ届けさせます。新撰組隊士としてではなく松波権之丞配下として派遣された相馬主計は新政府軍に拘束されます。

板橋の総督府には元御陵衛士が在陣していました。彼等は近藤勇に対し絶大な遺恨を持っていました。彼等により大久保大和が近藤勇であることが明かされ身柄解放の道は途絶えます。

その頃土方歳三は会津へ渡った新撰組と合流することなく江戸にいました。勝海舟は近藤勇身柄解放に尽力する事の交換条件として江戸城明け渡しまで旧幕府軍強硬勢力の暴発阻止を土方に依頼したと言われます。

土方はこれに応じ新撰組本体から離れ榎本武揚らと面談し四月十一日の江戸城明け渡しに伴い海軍陸軍それぞれが江戸を脱出すること等を約束するなど単独での説得工作に奔走していました。


旧幕臣達の間には不満と不安が広がります。上野には彰義隊が屯集し新政府軍と衝突を繰り返します。榎本海軍には再脱走の気配が漂います。

五月十五日。新政府軍は彰義隊の征討を断行し彰義隊隊士二千人が立て籠もる上野山を攻撃。西郷隆盛指揮の薩摩藩軍は最も激戦だった正門黒門口で奮闘します。佐賀藩の最新鋭アームストロング砲隊の猛射が決定的に威力を発揮し血気盛んな旧幕臣が結集した彰義隊ですが一日にして崩れさりました。


そして七月。江戸は東京になります。



じゃこさんの勝リノ。らしい!勝海舟をイメージさせてあまりあるハマりかた!

缶麦酒片手に下町を歩いていても何ら違和感ないお姿は哀しい作品の清涼剤のようでした。


『マキナちゃんに質問。魔法少女は必要だと思う?』

唐突のような問いかけ。勝海舟が近藤勇に抱いた思いを、勝リノも近藤マキナに抱いていたのかもしれません。その答えを聞き魔浪士組のような魔法少女達がみんなの憧れになれば良い時代が来ると感じるリノ。

底の見えなかった勝海舟のように。勝リノの底はどこまでも深く感じました。


魔薩長と会話で解決の道を探るリノ。争いではない平和を年頭に置いたリノの説得も、魔浪士組に根深い恨みを持つ魔薩長には効果がありませんでした。


松平セントから絶大な信頼を受けるリノ。坂本バンビからも慕われるリノ。魔薩長、魔浪士組どちらにも公平に接するリノ。

『私にもう少し力があったら…』嘆く松平セントを慰めるリノですが勝リノにももう少し力があったら…

そう思わせてくれる魔法界にとってとても大切な存在に思えました。


日々何気ない日常の風景と共に語られるじゃこさんのツイートが大好きで。じゃこさんの言葉が身近な大切なものに気付かせてくれるようで。いつも感心して読んでいます。


世界が落ち着いたら。またご挨拶させてください。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


土佐藩郷士生まれの龍馬。名字に帯刀は許されるが藩からの禄はない最下層の武士である郷士。

蘭学で頭角を現し長崎海軍伝習所の生徒監督に任じられオランダ人教官から海軍術を学んだ勝海舟。

元治元年。軍艦奉行のとき兵庫海軍操練所を開き幕臣だけでなく広く天下の有志を集め教育します。その一人に土佐脱藩郷士の坂本龍馬がいました。

土佐勤王党運動に参加して脱藩した龍馬。勝海舟から強い感化を受け開国論に開眼。兵庫海軍操練所の塾頭に抜擢されます。この頃海舟に命ぜられ西郷隆盛と面会します。海舟に西郷の印象を訪ねられた龍馬は『つかみどころのない馬鹿。しかも底の知れぬ大馬鹿。鐘に例えると大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く。惜しむらくはこれを打つ撞木が小さかった』と答えます。海舟は『評される人も評される人。評する人も評する人』と感心します。

まもなく海舟は幕府の保守派に嫌われ免官になり兵庫海軍操練所も閉鎖せねばならなくなり龍馬の身柄を西郷隆盛に預けます。龍馬は薩摩藩の保護のもと海運事業に従事して後年の海援隊の基礎を作ります。


慶応元年四月。京都にいた龍馬は、長州討伐と将軍家茂が大軍を率い進発する事を布告したため薩摩藩としての対応を決めるべく鹿児島へ向かう西郷隆盛に同行します。

帰国後大久保利通らと対応策を話し合い幕府からの出兵命令があっても薩摩藩は出兵しない事と決めます。この決定は同席していた龍馬にも伝えられます。西郷は龍馬に期待するものがありました。

五月二十七日。龍馬は太宰府で八月十八日の政変後長州に落ちた五人の亡命公家三条実美らと面会します。亡命公家の日記には『土佐藩坂本龍馬面会。偉人なり奇説家なり』と珍しく素晴らしいと最大限の評価を受けます。

六月六日。龍馬は下関へ渡り桂小五郎と面会します。この時の会談内容は伝わっていませんが桂小五郎に好意的に迎えられる龍馬。これで西郷隆盛と桂小五郎という薩長両藩を代表する人物に迎え入れられます。

険悪だった薩摩と長州。しかし第二次長州征伐では薩摩は幕府に協力はしないという薩摩の方針を伝えに龍馬は桂小五郎に会ったと思われます。太宰府は長州藩の窓口でした。薩摩と長州には直接接触するルートはありません。そこで薩長とも幕府とも利害関係を持たず薩摩の藩論決定事項を伝えられる人物として西郷は龍馬を選びました。


長州征伐に大軍を率い江戸城を進発した将軍家茂の軍は一ヶ月以上を掛けて陸路大阪城へ入ります。時間を掛けてまで陸路を進んだのはこの間の重圧に耐えかね長州藩が屈服するとの思惑がありました。同時期下関にいた龍馬は長州藩内を見て回った印象を長州藩の練兵は甚だ盛んと書き記しています。長州藩は藩を挙げての決死の覚悟でした。長州藩は幕府の命令を無視。対決の道を選びます。

薩摩藩も同様の考えでした。大久保利通の手紙には長州征伐に賛成する藩は殆どない。幕府首脳部も意見が分かれこのままでは政府として機能しない。幕府に日本を任せられない。薩摩は割拠を目指す。

割拠とは幕府からの自立の意。こうして薩摩は藩の富国強兵を目指して行きます。

薩摩を始め諸藩は出兵要請を拒否。幕府は天皇を頼り長州征伐の勅許を求めます。九月二十日夜から始まった朝廷の会議は長引き徹夜となりますが翌朝五時に勅許がなされます。予め勅許をしてはならないと親王らに説いてきた大久保利通は四時間近く関白を問い詰めます。謝罪した長州藩を依然朝敵とする事も幕府の私闘に手を貸すような征長も理解出来ない。大久保の主張は筋が通っていました。しかし朝議が改まる事はありませんでした。

親王も関白も道理をわきまえている人と思っていた大久保は深く失望します。朝議が幕府の思いのままになる危険を感じた大久保は朝議の詳細や親王と関白の対応を四千八百字にも及ぶ手紙にしたためます。宛名は西郷隆盛。この手紙が他人に渡ってしまった時には自分と西郷だけが責任をとればよい形にしました。

九月二十三日。西郷が京都へ戻ります。大久保は西郷と相談し龍馬を長州へ派遣する事に決めます。

大久保はこの手紙の写しを二通作っていました。一通は西郷が鹿児島に持っていくもの、もう一通は龍馬が長州に届けるもの、最後の一通は念のため手元に残しておくものとしました。

九月二十四日。龍馬は京都を出発。二十八日上関に着き長州藩の重役広沢籐右衛門と面会。この手紙は大久保と西郷の本心である事を告げます。

十月二十一日。龍馬は下関で桂小五郎に会いここでも西郷と大久保の意向を伝えます。そして薩摩の要人と会って欲しいと上京を勧めます。薩摩から求めた和解と連携。龍馬がその使いとなり薩長盟約が結ばれます。

慶応二年一月二十二日。薩長盟約が結ばれます。薩摩は西郷隆盛と小松帯刀、長州は桂小五郎から性を改めた木戸孝允、証人として坂本龍馬。盟約は薩摩藩が長州藩の為にきっと尽力する。その事を約束した条文になっていました。


一月二十三日深夜。龍馬は伏見の寺田屋に戻ります。寝ようとした深夜三時物音で寺田屋を囲んでいる幕史に気が付きます。ピストルを手に身を護る龍馬と鎗の名手であった三吉慎蔵はなんとか逃げ切ります。しかし正当防衛とはいえ幕史をピストルで殺してしまった為に幕府のお尋ね者となり命を狙われる事になります。

助かったのは一生の幸いと語っていた龍馬。しかし龍馬の命はあと一年と十ヶ月になっていました。

二月六日。龍馬は木戸孝允に寺田屋での襲撃の模様を手紙で伝えます。数々の修羅場をくぐり抜けて来た木戸はくれぐれも気を付けるようにと龍馬に伝えます。おおらかで無用心な龍馬が心配でなりませんでした。

二月二十九日。京都に龍馬を置いておく事に危険を感じた西郷は龍馬を鹿児島へ連れて来ます。寺田屋で龍馬を救ってくれた三吉慎蔵には大恩人として懇情を尽くした待遇がされました。そこからも薩摩藩の龍馬に対する思いが見て取れます。ここから約一ヶ月はお龍と二人新婚旅行のように鹿児島の温泉地を巡ります。薩長盟約に尽力した龍馬への薩摩藩からの配慮でした。


慶応三年。土佐藩がようやく重い腰を上げ始めます。土佐藩は龍馬を必要としていました。龍馬の脱藩の罪を許してもらえないかと西郷が口利きをし、二月中には赦免の方針となります。

四月六日。龍馬の仕事が軌道に乗り始めます。そして海援隊が創立。龍馬は隊長に任命されます。設立当初の隊員は十六名。隊長の権限の強い龍馬が支配人の運輸商社の趣でした。

海援隊の初仕事は蒸気船いろは丸での航海。土佐藩名義で借用し海援隊が乗り込みました。

四月十九日。長崎を出航したいろは丸は瀬戸内海へ入ります。積み荷は大坂で諸藩に売りさばく銃器と弾薬でした。しかし二十三日夜十一時頃、濃霧のなか紀州和歌山藩の汽船明光丸に衝突されます。相手に非があるのは明らかで損傷したいろは丸は曳航されますが間もなく荷物ごと沈没してしまいます。龍馬ら海援隊員は無事で明光丸で鞆の港に上陸しますが明光丸は龍馬らを置き去りに長崎に向かってしまいます。

日本で最初の汽船同士の衝突事故。鞆から下関に移った龍馬は紀州藩との談判に備え対策を練ります。長崎に向け出航する際には自分に何かあったらお龍を託すような遺書まがいの手紙を書き残します。

五月十五日。長崎で始まる談判。龍馬は自分だけでなく土佐藩への詫びも求めました。解決には少し時間が掛かりましたが最終的には紀州藩が賠償金八万三千両の支払いを約束しました。


慶応三年の秋。将軍慶喜の大政奉還上表までは龍馬のシナリオ通りに動いていました。

しかし大久保利通らの策動で大きく軌道が外れます。

大政奉還が受理される前に王政復古の大号令となり将軍が免職、倒幕の密勅が囁かれ始めます。

徳川慶喜を議長とした議会政治構想は崩れようとしていました。


慶応三年十一月十五日。同志との会談を終えた龍馬は軍鶏鍋を食べようと言い出します。

一人が買い物に走り部屋には龍馬と中岡慎太郎の二人が残りました。

そこに何者かが忍び寄ります…



バンビが殺られなくてよかった!心配してたよ!

史実では伊東甲子太郎よりも先に暗殺される龍馬。伊東シヤカは前作で魔浪士組に討たれています。なので最終章ではバンビも討たれるだろうと思っていました。

よかった!ホッとしたよ!


『ヤダ~♪バンビって呼んで~♪』

もしもあの時代。小口美雪が生きていたら。あのお尻フリフリで世界を制圧したことでしょう。


魔薩長と魔王様を繋げたバンビ。

魔法学園と魔薩長の開戦には同じ国内で争ってどうする!!?と争いを否定するバンビ。

勝リノを勝ティーチャーと呼ぶバンビの視線は常に国内にとらわれず海外へと向けられていました。


大物を目の前にしても全く怯まず自分を崩さないバンビ。それは西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允といった大物相手にも自分を崩すことのなかった坂本龍馬のようでした。


大久保ちゃんに小型の魔法兵器を向けられたバンビ。

しかし気勢を削ぐように、バンビは魔法で大久保ちゃんの構えた両手を下ろさせます。

それは剣や銃ではなく話し合いで解決し無血革命により新しい日本を作ろうとした坂本龍馬の想いを現しているようでした。


ヤマトと名乗る魔法少女の正体がバレるシーン。

共に魔薩長に捕らえられていたバンビは大久保ちゃんにせめて自害をと要望しますが聞き入れられません。

その時バンビの目元のスパンコールが照明に照らされキラキラと光りました。

目元を隠すようにサングラスを掛け直すバンビ。

それは最後まで見せることのなかったバンビの涙に見えました。

魔浪士組と接する事でバンビの心にも人間の感情が生まれていたのかも。

バンビの涙はそう思わせてくれました。


マキナの処刑が決まりなんとかミリカを思い留まらせようとするバンビ。

バンビが夢見た新しい世界にも。魔法少女達の存在は必要と感じていたのかもしれません。


昨年六月。中野のブロードウェイに宇宙からのヒーローがやってきました。

ヒーローの名は小口美雪の大親友、マイティ・ブルーバレット。

初めてお会いするヒーローなのに初めましてな感じが全くなくて。

ちょっと人見知りらしい小口美雪とは正反対の気さくなマイティ。

それまでおぐっちゃんにお会いしたことはなかったので小口美雪の話しをすると『小口に伝えとくね!』と明るく返してくれたマイティ。

何故かおぐっちゃんのことに詳しくて。おぐっちゃんのフォトブックを購入するとおぐっちゃんのサインも書いてくれました。


『ひよってるヤツいるーーー!!?いねえよなーー!!!』

亡命公家の日記に残された『偉人なり奇説家なり』

摑み所なくそれなのに気になって仕方ない存在。

彼女にしか演じられなかっただろう坂本バンビはそのまま。小口美雪を見ているようでした。


坂本バンビと勝リノ。二人の描いた新しい日本も。見てみたかった。


第二章のblogに書きました。

おぐっちゃんに会える日を楽しみに。その日までこの世界を生き抜きます。と。

お友達のマイティには会えたけど。役者小口美雪にはまだお会い出来ていません。


次こそおぐっちゃんに会える日を楽しみに。まだまだこの世界を生き抜きます。


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ダンスシーンでマリンと二人ステージ最上段で踊るジェン。

その姿は魔法界のトップダンサーに見えたよ。


遊撃隊の前身は講武所から選ばれた剣槍の達人で組織された徳川十四代将軍家茂の親衛隊〖奥詰〗

慶応二年の軍制改革で遊撃隊へ改編され総勢六百名を誇る精鋭集団。

鳥羽伏見の戦いで敗れ寛永寺から水戸と徳川慶喜の護衛につきます。しかし新政府軍へ屈服することに反感を覚え徹底抗戦を叫ぶ物たちが慶応三年上洛後新たに募集をかけ、これに応じたのが人見勝太郎。

学問に才能を発揮したが剣術も学んでおり徳川家の権力を回復しようとする忠誠心と血気盛んな性格を持ち合わせていました。

江戸到着後新政府へ抗戦の構えを見せる榎本武揚を訪れ軍艦乗り込みを約束します。

しかし江戸城無血開城時の約定では旧幕府軍艦隊の軍艦は新政府に引き渡される事になっていたため、人見勝太郎らの遊撃隊を乗せた旧幕府軍艦の元に勝海舟が訪れ榎本武揚との会談が設けられます。

そして会談後軍艦四隻を新政府に引き渡す事に決めた榎本武揚の対応に人見らは猛反発し榎本らとは別行動を取ることになります。

その後請西藩に協力を依頼する際には藩主林忠崇から『人見は知勇の人。剛柔あい兼ね威徳平行の人物』との信頼を得ています。

総勢二百名程の集団になった遊撃隊は古くから伝えられる『箱根の地の利を活かす』考えで小田原藩の協力を得てから東海道諸藩を糾合し徳川家の回復を目指しますが既に小田原藩は新政府軍に恭順していたためもう一つの目的地、伊豆韮山で韮山代官を務める江川家を目指します。しかし当主も息子も既になく協力を断られ甚だ失望します。

その後甲府城を目指す遊撃隊の前に旧幕臣の使者山岡鉄舟が現れ兵を引くよう求めますが、あくまで自分たちは新政府軍へは敵対しないが徳川を裏切った紀伊、尾張、彦根の三藩は撃つという大義名分を述べ新政府軍からの返事を待ちます。この対陣期間中に増強した遊撃隊は総勢二百七十五名になり、再編成後人見勝太郎は第一軍の隊長になります。

新政府軍からの返事を待つ彼等の元に五月十五日上野で彰義隊と新政府軍の戦争が始まった報せが届き、人見勝太郎は第一軍だけで抜け駆けのような形で彰義隊の援軍に向かいます。翌朝その事実を知った第二軍以下の隊長は第一軍に合流すべく兵を進めます。

全軍合流した遊撃隊は箱根の関所で小田原藩の抵抗に遭いますが、のち小田原藩は遊撃隊への協力を申し出て二十日に両軍の和議が結ばれます。

しかし二十四日小田原城内へ入った人見の耳に小田原藩再度の翻身が告げられます。新政府軍の新たな援軍の小田原到着前に、人見は江戸へ向かい品川沖に滞在する榎本艦隊への協力要請に向かい協力を得ることに成功します。

人見が江戸から戻る前に始まった箱根山崎の戦い。この戦いで人見の盟友伊庭八郎は左腕切断の重傷を負い多数の戦死者も出したことで遊撃隊は箱根からの撤退を決めます。三隻の大船に乗船した全軍は出陣元の房州館山に帰還しました。

そして六月一日。残された遊撃隊精鋭百四十名は人見勝太郎指揮のもと奥州へ転戦します。


『なんかよく分からないですね…』

榎本マリンが魔法少女に感化され始めてもピンと来ないジェン。でもそんなお顔が可愛らしくて!


『御守りします!』

魔薩長からセントとリノを守るべく魔法を放つが桐野カナヲに一蹴されるジェン。

そんな姿さえ!逆に守ってあげたくなりました!


『怖いひとって聞いてたから来ないと思ってたー!ウエルカム怖いひとー!』

今回の公演パンフレット。お客さんへのメッセージの欄に書かれたなだこちゃんの言葉。

丁寧な言葉で書かれたそのメッセージは軽くてお茶目な人見ジェンとは真逆のイメージでした。

もしかしたら…なだこちゃんは出来る女なのかも!?

『人見は知勇の人。剛柔あい兼ね威徳平行の人物』

ご自身の記念作品でもあるこの作品で人見勝太郎ポジションでデビューさせたなだこちゃんは、ゴブさんの秘密兵器だったのかも?そんな事を思わせてくれました。


またゴブさんの作品で拝見出来たらと思っています。


その時には世界が落ち着いて。ご挨拶出来たらいいな。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


榎本武揚を調べるたびに現れるその写真はちょび髭のおっちゃん。

そんな榎本武揚のイメージは稽古中Twitterに挙げられた榎本マリンのビジュアルで一変しました。


安政元年。十九歳の時に函館奉行の従者として蝦夷地函館へ赴き樺太の探検に参加している榎本武揚。

十二歳では儒学と漢学を十六歳でオランダ語を十八歳では英語を学び、二十一歳で長崎海軍伝習所で操船技術や国際情勢を学びます。二十六歳でオランダへ留学。五年間に渡り最新の造船技術や航海術など西洋式海軍に必須な知識を学んでいます。


明治元年九月十四日。奥羽越列藩同盟の盟主であった仙台藩が恭順降伏し榎本武揚率いる旧幕艦隊は蝦夷地への渡航を決意。十月十二日、艦隊は折ノ浜を出航し北へと旅立ちます。艦隊は幕府が仙台藩に貸与していた大江と鳳凰を徴発した七艦。

開陽。回天。蟠龍。長鯨。神速。大江。鳳凰。

長崎丸と千代田形は庄内藩から援軍を求められ酒田へ回航されていました。その後千代田形は函館で本隊に合流しますが長崎丸は十月十九日に座礁沈没してしまいます。

七艦に分乗した旧幕陸軍は二千二百名。これに旧幕海軍の六百五十名、江戸から榎本に同行していたフランス軍人など三千余名が蝦夷地へ向かいました。

榎本が定めた上陸地点は鷲ノ木浜。慶応四年四月二十三日の勝海舟の日記には『榎本釜次郎来訪。軍艦函館行きの事、談これあり』とあることからこの時点で蝦夷地への渡航の可能性を計画していました。

渡航は荒天により隊列は乱れ全艦が鷲ノ木浜に到着したのは十月二十三日の事でした。

そして十月二十六日。旧幕軍が五稜郭へ入場を果たします。


明治元年十月三十日。旧幕軍による函館占拠の報が東京へ届き明治新政府は艦隊を率い北上、盛岡到着後陸路を青森へと向かいます。一月十六日には二千六百名を越え、二月二十三日には六千三百を越える軍勢となり津軽半島に布陣します。三月中旬。新政府軍艦隊の情報が函館にもたらされます。

そして五月十一日。新政府軍は函館総攻撃を決行します。


人見勝太郎の史談会速記録によると『明日は官軍が総攻撃をするということで別れを告げんために函館の武蔵野という妓楼がございましたが、榎本、松平、大島を始め将校みな集まり別れの盃を致しました。天命を待って榎本等は五稜郭に戻り、私どもは函館の入口の七重村に打ちて出でるつもりで別れました』

午前三時。函館港に砲声が響きます。

五月十八日午前六時過ぎ。榎本武揚は五稜郭内に整列した全員に別れを告げると五稜郭を後にします。

函館戦争がここに終結しました。



『マキナ局長を守る姿!それが魔浪士組の強さ!』

早くから魔浪士組の強さの秘密に気付いていた魔法学園最強の海軍。

マキナ局長が上に立つ事で学園は変わるかも?

最強の海の魔法使いは松平セントや勝リノにも劣らない見識でこの世界の行く末を予見していました。

知性を感じさせるマリンちゃん!そんなお姿も美しかった!!


『えっ?そうなの…』

魔浪士組に入ろうかな?なんて冗談を言うジェンに本気で悲しむマリン。

マリンちゃんは泣き顔すら!!ビューティフルでした!!


『魔浪士組で一番熱い方』

土方歳三に全幅の信頼を寄せていた榎本武揚のように。

土方ミリカへ全幅の信頼を寄せていたマリンは共に北の地で新たな国家を建設する考えを打ち明けます。

マキナを中心にした新たな国。それこそが自分たちを育ててくれた魔法学園を守ることに繋がると信じ。

最初は断られるのも承知だったようにも見えるマリンは、生粋の魔法少女には理解出来ないはずの人間の死に対する美学をも感じ取っていました。


魔法界一の海の魔法使いは、土方ミリカと比較しても遜色ない実力者だったと思うよ。

魔法界の実力者同士、マリンとミリカは惹かれ合うものもあったように感じました。

マキナを捕らわれネリッサ、ヒナノ達とも別れ一人になり北の地へ向かうミリカ。

最後の戦いに臨むにあたり土方ミリカが生涯で最後に信頼したのが榎本マリンでした。


生粋の魔法少女が求める握手。そして抱擁。

『達者で』最後にミリカへかけるその言葉も、生粋の魔法少女らしくないとミリカに笑われるも、

『人間に感化された』と答えるマリン。

群れない生粋の魔法少女も。魔浪士組の団結力に惹かれていたのかも。


この先は想像だけど。

ミリカを戦場へ送った後、六芒星の城は陥落したのかもしれません。

新しい国を作れなかった榎本マリンは護送され魔薩長の裁判を受けたのかもしれません。

人間出身の魔法少女である西郷どんと大久保ちゃんは、生粋の魔法少女でありながらマリンの胸の中に人間の心が宿っている事に気付いたはず。

二人は、榎本マリンを処刑しなかったと思います。

マリンはその影響を受けた魔浪士組により助けられたのかも。

その後の榎本マリンを。僕はそう想像します。


千穐楽終演後。

僕の榎本武揚のイメージはちょび髭のおっちゃんではなく

世界中のどんな海よりも美しい海の魔法少女榎本マリンになりました。


帰りの電車で開いた画像フォルダー。

そこには沢山の榎本マリンちゃんが溢れていました。


世界が落ち着いたら。


星乃彩月さんにもお会い出来たらいいな。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


第一作では日替わりゲストが演じコミカルな顔だった松平セント。ゴブさんが第一章で演じた松平セントはクールなネリッサにものまねをやらせるという遊び心に溢れるキャラクターでした。

第二作では顔を見せる事なく残念だったけど最終章で復活。しかも演じるのが江里奈さん。これ以上ない配役で楽しみだったよ。


徳川幕府の権力が衰え始めた幕末。政治の舞台が江戸から京都へと傾き掛け尊攘派浪士により不安な状況に陥る京都の治安維新のために設置された京都守護職。この京都守護職への就任が悲劇の始まりでした。

元来丈夫な身体ではなかった松平容保。初めて聞く京都守護職に任じられた時も、京都からあまりに遠い会津藩が何故と思い、言葉も異なる純朴な山国の侍がプライド高い公卿や西国諸氏藩と渡り合えるとは思えませんでした。固辞を繰り返しますが一橋慶喜からの強い要請もあり受諾します。


文久二年十二月。一千の兵を従え上洛した容保は黒谷の金戒光明寺を本陣とします。

京に入った後には尊攘派からの容保失脚工作にも動じず、急遽要請のあった馬揃えも普段から鍛えていた長沼流による秩序正しい見事な練兵で、孝明天皇の信頼を勝ち取りました。

会津藩は容保の覚悟通り新撰組と共に戦いの第一線に立ちます。

文久三年。長州藩は朝廷を動かし孝明天皇の大和行幸を議決させ天皇の名に於いて攘夷の即時断行を計ろうとします。これに対し公武合体を進める会津と薩摩藩は八月十八日予定されていた大和行幸を中止させ、御所警護の長州藩を急進派公家と共に追放しようとします。この八月十八日の政変で長州藩の企みを阻止。

長州藩に代わり御所を警護した会津藩は壬生浪士組にも出動を命じます。近藤ら浪士組は袖口を白く稲妻型に染め抜いた浅葱色羽織を着し、誠の一字を書いた提灯を手に建札門の守備を固めます。

この働きを認められ新撰組の名を授けられます。揃いの羽織はこの瞬間、新撰組のシンボルとなります。

これにより孝明天皇からの信頼は更に厚い物となり、御宸翰と御製を賜るという前例のない叡慮を得ます。

誰が敵か味方か分からぬ御所内で孤立する孝明天皇。そのような中でひたすら忠義を尽くす容保には絶対の信頼を寄せていました。

その後の戊辰戦争で会津藩は朝敵とされます。しかし御宸翰は勤皇の何よりの物的証拠であり、会津藩が最後まで君臣一糸乱れぬ行動を取ったのは、この御宸翰が源であったと言われます。

ですが容保は孝明天皇から授かった御宸翰を極秘のものとし得意気に話すこともなく、一般には知られていないことでした。もしもこの御宸翰を表に会津藩が戦っていたら…歴史は変わっていたかもしれません。


薩摩藩と手を組み長州藩を迎え撃った禁門の変以降、十四代将軍家茂が亡くなり一橋慶喜が徳川幕府十五代将軍へ就任。大政奉還の前に起きる孝明天皇の突然の崩御。薩摩藩の裏切りにより長州藩と手を組んだ薩長によって朝敵へと追いやられる会津藩。

何よりも痛かったのは信頼厚い孝明天皇の存在を失ってしまった事でした。

その後の鳥羽伏見の戦いでは戦力で圧倒的優位にありながらも刀や槍中心の旧幕府軍と最新鋭の兵器を持つ新政府軍では戦いになりませんでした。


鳥羽伏見の戦後、慶喜と共に江戸へ戻るが江戸登城を禁じられ府外への立ち退きまで命じられる容保。

容保は以前迷っていました。

孝明天皇から授かった御宸翰の写しと共に朝廷の敵でないと訴えるが西郷大久保らに握り潰され相手にされず、もはや徹底抗戦と会津への帰国の途につく容保。

孝明天皇から官軍のお墨付きをもらっていた会津の人々。彼等は決して薩長を官軍と認めず、西軍と呼んでいました。遂には三十一藩による奥羽越列藩同盟が成立します。


江戸城を明け渡した後も恭順の姿勢を取り続ける慶喜。そのため新政府軍の標的は会津に絞られました。

兵力の差は大きく各地で敗戦を重ねる奥羽越列藩同盟。最新的に会津へ攻め入った兵力は三万から四万とも言われます。

奥羽越列藩同盟は敗れ去り東北の戊辰戦争は終結します。

亡くなった藩士三千名。自刃した女性子供は二百三十三名にものぼりました。

戦後、薩摩と土佐ではなく長州の木戸孝允によりなされる会津藩への戦後処理はあまりにも過酷でした。

京都時代、桂小五郎と呼ばれた木戸孝允は何度も会津藩と新撰組に命を狙われ続けてきました。池田屋事件でも有能な同志を失っています。私怨にも近い会津藩への処分でした。

斗南藩と呼ばれ農業すら叶わない下北半島の不毛の地へ送られた会津の人々は、賊軍に追われて僻地へ来たが餓死して果てるよりも死んだ犬の肉を食らってでも生きる。と会津士魂で生き延びる道を選びます。

明治四年には廃藩置県が行われ藩は瓦解。藩士らは各地に離れ離れになっていきます。

そして戊辰戦争から十年後に起きる西南戦争では、斗南藩以下全国に散らばった元会津藩士達がこぞって警視庁へ応募します。

薩摩藩を撃つために。

真の敵は新政府なのかもしれませんが、彼等にとっては会津戦争の仇討ちの意味合いがあったのかもしれません。


明治二十九年。東京目黒の自邸で五十九歳の天寿を全うする松平容保。

その胸には孝明天皇から贈られた御宸翰が抱かれていました。



『あの子たちは私の誇り』

あなたの作った魔浪士組は立派。底の見えない勝リノさえ魅了する松平セントが作った魔浪士組。


『口を慎みなさい!!』

魔浪士組をならず者と呼ばれ生粋の魔法少女らしくなく声を荒げる松平セント。


魔王様直属の護衛隊魔陵AGEが計画していた近藤マキナ暗殺計画。その証拠が残ってなくとも

『私はあなたたちを信じる』と松平セントは魔浪士組に絶対の信頼をおいていました。

魔薩長に閉校を命じられるが命令を拒絶し戦争になろうとも断固抵抗の考えを示す松平セント。

重厚なその存在感は、江里奈さんにしか出せなかったと思うよ。


新撰組は戦いの歴史。同時に新撰組の歴史は松平容保の歴史。

松平容保と会津藩を護るべく存在したのが新撰組の歴史。僕はそう思っています。

松平セントの歴史も。魔浪士組に守られ続けた歴史だったように思います。

公演前Twitterに挙がる稽古場写真。その中に江里奈さんに向かいみんなが片膝をつき頭を垂れる写真。

衣装を付けてなくとも。その写真だけで松平セントの大きな存在感が伝わってきてたよ。


自分たち生粋の魔法少女にはない人間の不思議な感性にも興味を持ち、消滅を恐れながらそれを乗り越える強さを持つ人間出身の魔法少女を信頼していた松平セント。

『わたしはあの子たちを守りたい』

松平容保も終生願っただろうその思いを最後まで持ち続けていました。


『降伏してもよい』坂本バンビからマキナに伝えられる勝リノの言葉は、自ら魔浪士組にその思いを伝える事は出来ない松平セントからの言葉。

会津藩二十三万石の第八代藩主松平容保は家庭的に恵まれる事はありませんでした。

二十二歳の時に迎えた最初の正室は子を産むことなく亡くなり、次の継室は子を産みますがこの姫は命名する間もなく亡くなり、側室が産んだ子たちも早世してしまいます。

『一人でも生き残ってほしい…』

魔法学園教頭としてではなく松平セントとしての願いを感じ取っていたリノ。

リノからあなたは生き続けなくてはいけない。あなたが消滅すれば彼女たちは自ら消滅するでしょうと諭される松平セント。

天寿を全うした松平容保の苦しくも運命に抗えない思いを表現したようなあの時の松平セント。

何とも言えない気持ちになったよ。


公開された三パターンのフライヤー。

魔法学園バージョンで虚空を見つめるような松平セント。

シアワセサンカのウエディングドレス姿も美しかったけど

僕はあのフライヤーに映る松平セントが大好きでした。



長年ゴブさんの作品に出演されてる江里奈さん。

終演後にお話しを聞かせてもらえるのが楽しみでした。


しばらくお会い出来ていない間、聞きたいことがたくさん増えました。



世界が落ち着いたら。また、話しを聞かせてね。