第30回「四国八十八ヶ所 一番札所 霊山寺(りょうぜんじ)」 | 新稀少堂日記

第30回「四国八十八ヶ所 一番札所 霊山寺(りょうぜんじ)」

 第30回は、「四国八十八ヶ所 一番札所 霊山寺」です。5月26日(月)、早朝に起き、7時過ぎのJRの各駅停車に乗りました。目的地は、坂東です。引田までの便ですので、徳島方面行きには、乗換えが必要です。引田駅の駅員に聞 きますと二時間半後でなければ、接続しないとのことです。短距離の高徳線で、二時間半待ちとは、すごいダイヤです。


 板東駅に着きましたのは、正午前です。急ぎの旅ではありませんので、「まあっ、いいか」というのが実感ですが、JRのダイヤ編成には疑問を持たざるを得ません・・・・。駅からは、徒歩十分ほど歩くと、到着します。


 発願(ほつがん)の寺です。お遍路にあたり、自分の願(がん)を表明し、「現世利益」をこいねがう出発地です。では、私に何か願いがあるかといいますと、何もないのです。二十年ほど前、先輩から、「お前には、欲望はあっても、煩悩はない」と言われたことがあります。その欲望も、ほぼ消滅しています。


 わずかな願いとしては、消極的ですが、寝たきりのように、みじめさの中で生き続けることです。こういう事態にならないことは、願の対象ともいえません。旅(遍路)の中で、自己の本質の一部なりと見極められたらと、般若心経を読み下して、読経しました・・・・。


 「・・・老死なく、老死をつくすこともなし・・・」。釈迦の説いた原始仏教体系の全否定です。語るのは、観世音菩薩です。仏典では一般的である「私は釈迦から、このように聞いた(如是我聞)」という手法は使われていません。


 始まったばかりです。