第9366回「朝松健編 神秘界 その7、五瓶劇場 戯場国邪神封陣 芦辺拓著 ネタバレ」 | 新稀少堂日記

第9366回「朝松健編 神秘界 その7、五瓶劇場 戯場国邪神封陣 芦辺拓著 ネタバレ」

 第9366回は、「朝松健編 神秘界 その7、五瓶劇場 戯場国邪神封陣 芦辺拓著 ネタバレ」です。100ページほどの中編です。歌舞伎に対する薀蓄(うんちく)が数多く織り込まれており、歌舞伎の演題だけでも数十演目紹介されています。

 

 主役の並木五瓶は実在の歌舞伎作者です。『 並木正三の門下、1747-1808。実家は大坂道修町和泉屋。大坂で実績を積んだのち、寛政6年(1794年)三代目澤村宗十郎の推挙で江戸に下り、時代物や世話物に優れた作品を残す。単に「並木五瓶」と言うと、通常はこの初代並木五瓶のことをさす。 』(ウィキペディア)


 そして、五瓶と共に、異次元からの魔クトゥルフと闘うのが勝俵蔵(ひょうぞう)です。最後に通り名となった号(ペンネーム)が明かされます。ところで、文化文政の頃までは、座付き作者の権限は甚大なものでした。歌舞伎そのものをリードしていく演出家でもありましたので、いわば「戯場国(げじょうこく、歌舞伎世界)」での神のような存在でした。


 作者の命ずるままに役者は動きます。しかし、時代は役者中心の歌舞伎へと変ろうとしていました・・・・。江戸期に演じられた歌舞伎のほとんどは、現在では消滅しています。五瓶という歌舞伎作家の名前も、脚本も知る人がほとんどいなくなったと言うのが実情です。


 ところで、鎖国下の日本で唯一国交らしきものがあったのがオランダでしたが、19世紀初頭、オランダはフランスに占拠されました(その後、独立を達成)。その時の出島の商館長が、ヘンドリック・ドゥーフでした。在任期間中にフェートン号事件なども起きています。




 『 長崎のオランダ人は、本来生活必需品をオランダから送られる物資に頼っていたが、本国が消滅している以上、もはや本国からの援助は期待できなかった。ドゥーフは許可を得て長崎市中を出歩いて、日本人との友好に務め、日本の好意を得て生活物資を日本から「借金」という形で援助して貰うことで、この危機を切り抜けた。


 ドゥーフの所蔵している本を、幕府や長崎奉行が相場以上の値段で買い取るなど、日本側も祖国を失いながら祖国の矜恃を保ち続けるドゥーフには同情的であった。この時期も日蘭関係が維持されたのは、ドゥーフの努力の賜と言っても過言ではない。 』(写真を含めてウィキペディアから引用)


 なお、ストーリーの紹介にあたりましては、便宜上、サブタイトルをつけさせていただきます。


「その7、五瓶劇場 戯場国邪神封陣」芦辺拓著

『歌舞伎小屋異変』

 文化三年(1806年)三月、座付き作者の並木五瓶と弟子の勝俵蔵が所属していたのが、市村座でした。ふたりが見守る中、舞台が始まります。三番叟、脇狂言に続いて演じられたのが、「梅柳魁曽我(うめやなぎ さきがけ そが)」でした。演出として異様だったのが、本舞台背後の真っ黒の幕でした。


 芝居が始まりますと、客席から「こりゃあ、『鯨のだんまり』じゃないですか。何者かが鯨の腹を切裂いて出てこようという趣向ですよ」と言う声が上がります。確かに海賊の親玉風の男が現れてきます。しかし、異変が生じたのは、まさしくその時でした。


 舞台の上の空間が突如切り開かれたかのごとく異世界が出現したのです。そして、それと共に現れたおぞましい異形の怪物たちは、俳優も客たちも次々と呑み込んでいきます・・・・。この後は混乱ばかりが芝居小屋を包み込みました。その様子を五瓶も俵蔵も見ていましたし、多数の目撃証言もあります。


 同様の変事は、近くで興行していた中村座でも起きていました。両所に乗り込んできたのが、意外にも水戸藩「小石川彰考館」の藩士たちでした。高飛車に歌舞伎関係者だけでなく町方の役人を怒鳴りつけます。水戸藩としても、この事件に何らかの関与をしているようです。彼らには、事件を封殺する意図がありありとうかがわれます。


 五瓶がのちに十返舎一九から聞いた話では、戯作作者たちも同様の光景を目撃していたそうです(ここまでの展開でも、数々の歌舞伎の演目が紹介されています)。


『牛車火事(丙寅の大火、文化の大火)』

 翌月の四月、オランダ商館長(カピタン)ヘンドリック・ドゥーフの一行が将軍に招かれ拝謁に来ます(史実?)。一方、五瓶たちも変事について調査を進めていました。そんな五瓶たちが情報源として接触したのが、当時極めて顔の広かった森島中良(ちゅうりょう)でした。平賀源内の弟子的な人物です。


 森島が斡旋の労を取って紹介したのが、幕府の監視下にあったヘンドリックでした。オランダ人の彼ならば、異次元からの怪物の正体を知っているのではないか、との考えからです。たしかにヘンドリックは知っていました。彼が語ったのが、オランダ仮名で書かれた発音不能な「CTHULU」なる単語でした。


 クチュルー、クトゥルフ、クトゥルー・・・・、結局、五瓶はクトゥルー(邪神)と呼ぶことにしました。そして、ヘンドリックは謎のアラビア人アブドゥル・アルハザードが記したネクロノミコンなる書物についても明らかにします・・・・。


 異変が生じたのは面会から間もなくのことでした。ヘンドリックスの手記「ヅーフ日本回想録」によって当時の火災の様子が記されています。出火したのは、ヘンドリックが宿泊していた長崎屋から二里ほど離れた場所でしたが、火のまわりは早く、大名小路、日本橋、京橋、神田などを次々と焼きつくしていきます。


 『 明暦の大火、明和の大火と共に江戸三大大火の一つといわれる。丙寅の年に出火したため、丙寅の大火とも呼ばれる。出火元は芝・車町の材木座付近。午前10時頃に発生した火は、薩摩藩上屋敷・増上寺五重塔を全焼。


 折しも西南の強風にあおられて木挽町・数寄屋橋に飛び火し、そこから京橋・日本橋の殆どを焼失。更に火勢は止むことなく、神田、浅草方面まで燃え広がった。翌5日の降雨によって鎮火したものの、延焼面積は下町を中心に530町に及び、焼失家屋は12万6000戸、死者は1200人を超えたと言われる。 』(ウィキペディア)


 しかし、この大火の後にはクトゥルーなる魔の跳梁がぴたりと止みました。そして、その年の九月に物語は進みますが、今一度、大火直後の様子が描かれます。その年の六月、月番交替の南北町両奉行所が芝居作家と戯作者たちを招集したのです。


『歌舞伎による妖魔封じ』

 当時、北町奉行は小田切直年、南町奉行は青山忠裕でした。表向きは歌舞伎小屋の消失を受けての呼出吟味でしたが、実質的には芝居・戯作を通じて妖魔を封じろとの要請でした。ところで、現代でも使われている「耳袋」は、青山奉行の随筆集のタイトルから取られています。


 一同は知恵を絞ります・・・・。ここで著者は、赤穂事件を例にとり、歌舞伎について解説します。赤穂事件をそのまま元禄の事件として描けなかった浄瑠璃・歌舞伎たちは、時代を曽我兄弟の時代に求めました。


 これが歌舞伎「世界」の縦糸とすれば、「東海道四谷怪談」などは新たなキャラクターを加えて編んだ横糸であると説明します。妖魔の世界も歌舞伎などの物語世界も一体であると考えられていた時代、歌舞伎によって妖魔世界を封じ込むことは可能だと、奉行も並木五瓶たちも考えていたのです。そして、町奉行所の支援によって着々と準備が進みます・・・・。


 一方、異変が続いていたのが、水戸藩邸でした。中に入れたものの成長に合わせたかのごとく、離れが大きく改築されているとの流言飛語が流されていたのです。周辺には実に不愉な臭いが流れ出し、薄気味の悪いうめき声がしているとの噂でした。


 明らかに水戸藩邸が今度の事件の発端です。森島中良は、日本に入って来た魔道書ネクロノミコンを水戸藩が購入し、何らかの行動を起こしたことが原因ではないかと推理しています。そして、九月十二日、並木五瓶と勝俵蔵が見守る中、運命の顔見世興行が始まります。


 その頃、邪神は哄笑に打ち震えながら、その巨体を異次元の穴に押し込んでいました。そして、長い触手を放ちます・・・・。同時刻、三立目で松本幸四郎演じる為朝のいでたちで雄々しく姿を見せていました。そして、四立目、約束どおり舞踊劇をもってきます。


 頼朝、北条政子が、それぞれ玄宗皇帝、楊貴妃に扮して華麗に舞い踊ったのです。五立目、このパートは勝俵蔵のシナリオです。本舞台いっぱいに恐怖と戦慄の世界が繰り広げられます。そのために、鬘(かつら)師の友九郎がその辣腕をふるって特殊メイクを手掛けています。


 芝居は続きます・・・・。「終った!終った!」、舞台関係者から次々と安堵の声が上がります。一方、中村座でも無事公演を終えていました。ところが、小屋の近くから火の手が上がったのです。火元は、鬘師・友九郎の家からでした。使わなかった特殊メイクが発火したのです。


 火の手はまたたく間に燃え盛り、近くにあった市村座、中村座の小屋を燃やします。「決着をつけるぜ!」、五瓶は勝俵蔵に声を掛けます。そして、台本を火の中に投げ込みます・・・・。


『エピローグ その後の日本』

 変事は無事落着しました。三月の変事で姿を消した客たちが無事戻ってきました。並木五瓶は二年後に亡くなり、その後、勝俵蔵は名を改め、鶴屋南北の名前で「東海道四谷怪談」を発表しました。しかし、歌舞伎の世界も大きく変わっていました。


 ですが、騒動は決着したと言っても、水戸藩はこの騒動を契機に、結局幕府をつぶすことになり、さらに数十年後、日本を敗北に導くことになりました。


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