第9409回「中下咽頭癌 入院53日目、衰弱の兆候、その3、散歩に見る体力の低下」 | 新稀少堂日記

第9409回「中下咽頭癌 入院53日目、衰弱の兆候、その3、散歩に見る体力の低下」

 第9409回は、「中下咽頭癌 入院53日目(7月9日)、衰弱の兆候、その3、散歩に見る体力の低下」です。衰弱の兆候として、「眠気」、「体重の減少」と取り上げてきましたが、この体力の低下も、当たり前と言えば当たり前の兆候です。ですが、体力の低下は、QOL(生活の質)の低下に即直結する問題です。


 入院後の習慣として、6時30分頃、病院から300メートルほどに位置するKの木神社に参拝することを慣わしとしてきました。別に宗教的な儀式としてではなく、願い事があってのことではないのですが、二拝二拍一拝をすることによって、一日の心構えと言うべき姿勢になれるからです。


 ところが、本日、極めて短い距離でありながら、ほとんど足が前に出ないのです。この数日間、ほとんど回数も距離も伸ばせない散歩が続いていましたが、今日は異常でした。その一因は、39度の高熱でした。起床時には、体感的に発熱を感じていなかったのですが、既に発熱していたようです・・・・。


 1時間後、再度測り直しましたが、38.4度までしか下がりませんでした。微熱レベルに戻ったのは、結果的に昼過ぎのことでした・・・・。一方、散歩を妨げるもう一つの要因が、末端(指先)での酸素供給量の不足でした。午前中墓ってもらいますと、67前後の数値を示していました。


 こまでの節を屈し、仕方なく、病室内だけでも酸素吸入をすることにしました。確かに、かなり改善されました。午後には、体温が下がり、酸素供給量も76まで改善しましたので、酸素吸入は実施していません。


 ところで、この数日間に顕在化している散歩のしづらさについては、ある看護師に相談していたという経緯があります。いろいろな提案をなさったくださったのですが、とりあえず、歩行器を使ってみようということになりました。歩行器があれば、十分ひとりでも散歩は可能です。


 これまでに散歩を通じて観察した体力は、次のとおりになります。なお。発症前を「100」と仮定しています。


① 発症前(~2014年4月)・・・・「100」  2008年に何回かに分けて、「四国88か所」を、歩き遍路(順打ち)しました。今年は、せめて「讃岐一国打ち」(逆打ち)でもと考えていた矢先に、発症し、中止したというのが実情です。


② 発症、余命宣告後、鎮痛剤の変更まで(2014年5月~2015年1月)・・・・「90」  大変な小康状態が続いた時期です。覚醒時と食事時を除けば、自分がガンを患っていることなど忘れている時間がほとんどでした。そのため、通常の散歩は当然できますし、発症前に企画していた「逆打ち」も、讃岐路だけでなく、伊予路も踏破できたのではないでしょうか。


 ですが、それはあくまで結果論だと考えています。ガン患者が関係者に迷惑をかける可能性を無視し、強行したとはとても思えないからです。それでも、生活を十分エンジョイできる期間持てましたし、友人に別れを告げる機会も設けることができました。さらに、身辺整理をできる時間的猶予もありました。


③ 痛みの顕在化による鎮痛剤の変更期(2015年2月~4月)・・・・「80」 体力の減衰を図るツールとして使っていたのが、散歩時の呼吸の変化でした。鎮痛剤の変更の一因になったのが、覚醒時、食事時意外でも、痛みを感じる時間帯が増え始めたことです。


 散歩をしていましても、息遣いの荒さが顕著になってきました。これまでのトラムセットに代え、オキシコンチンに切り替えます。日量20mgから始めたのですが、最終的に100mgまでに増量しています。20mgから40mgに増量した際には、副作用の威力をまざまざと体感しています。「船酔い」に似た辛さが延々と続くと考えればわかりやすいと思います。


④ 入院後(2015年5月18日~6月末まで)・・・・「70」→「40」・・・・  当初は入院前のペースで散歩できていたのですが・・・・、次第に体調の変化気付かされます。日々では気づかぬような緩やかな衰弱が始まっていたのです。そして、事態は一挙に変わります。


⑤ リンパ節の腫れ(7月2日~現在)・・・・「10」  すべてを変えたのは、リンパ節の異常な腫れでした。この腫れが、いろいろな「悪さ」を引き起こしています。散歩ももはやカタツムリ・ペースです。それでも散歩は欠かせないと考えていますので、歩行器を使用することにしました。


 歩行器は立ったままでも休憩が取れますし、なによりも転倒防止には最大の武器になります。それでも、これほど体力が低下しますと、正直、心の底から散歩を楽しめているか疑問です。


 やはり、散歩ひとつとっても、衰弱は確実に忍び寄っています。では、日記風の記述に移ります。


53日目、7月9日(木)・・・・ 6時30分、異様な苦しさの中での早朝散歩になりました。その間の事情につきましては、冒頭に記しています。その結果、酸素吸入の実施、歩行器の使用、・・・・など、これまで見合わせていた対応を次々と行うことにしました。


 本日の詳細については、前半部分で書き尽くしていますので、略させていただきます。意外だったのが、午後に入って呼吸が比較的に楽になったことです。


 次なる衰弱の兆候は、「食欲不振」です、次回以降に取り上げたいと思います。


(追記) 決して愉快な内容ではありませんが、ブログテーマ「ガン日記」に興味がありましたらアクセスしてください。

http://ameblo.jp/s-kishodo/theme-10081936925.html