千秋楽をむかえ、思い出すのは、初舞台の夏休み公演のこと | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫
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中3
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それは中学3年生の夏でした









見台









入り。

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第3部では満員御礼売切れになるなど、
全ての部で大勢のお客様に来ていただき、本当に皆様に感謝です



ありがとうございました











さて、この季節になると、毎年思い出すことがあります



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これは、先月のはじめに掲載された勘十郎さんの記事です




この記事の男の子




ぼくの友達です








小学校で文楽を教わった時

ぼくは太夫を

彼は人形遣いを選びました





身体の大きい子で
シャイで
心優しい子でした









11月の発表会を終え、
小学校を卒業


ぼくたちはそのまま公立中学校へ進みました




中学1年生
ぼくは入門

咲寿大夫になりました







世の中は、あたかもぼくだけが文楽の世界に関心を寄せたかのようにはやしたてました











しかし


そうではありません










これはきっと誰もが知らなかったことで



ぼくも、全てが過ぎ去ってから聞いたことで










ぼくと時を同じくして、
彼も人形遣いになりたいと、門をたたいていたのです















中学3年生の春




彼は欠席することが多くなりました












風邪









だということです




風邪だったら大丈夫だろう




早く治ればいいのに




なんてみんなで言いながら

いつもの通り生活をしていました










一学期の期末テストの前

とても
とても

つまらないことで
彼と喧嘩をしました




彼が冗談で言ったことを
ぼくが本気になって喧嘩をしてしまいました









そのまま何となく仲直りをし、期末テストがやってきました





彼は欠席していました






風邪じゃなくて貧血らしいで



という噂がたっていました







貧血でそんなに休むほどになるものなのか、当時のぼくたちには分かりませんでした










夏休みが始まりました






文楽劇場の近くには生國魂神社という神社があります


毎年そこでは大きなお祭りがあります

だいたい夏休み公演が始まる前くらいですね







祭りに行くと




彼がいました





元気そうに、
彼がいました





ぼくたちは
それはもう喜んで、
彼と目一杯遊びました













そして、










彼は亡くなりました










唐突すぎて



なにがなにだか分からないまま、








彼は亡くなりました








急性の白血病で、発覚してからはあっというまだったようです









ぼくは弔辞を読むことになりました





きっとそれは学級委員長をやっていたからで、学校の先生たちの選定で








弔辞の文章なんて、
考えられませんでした








友達が死ぬということが
どういうことなのか分かりませんでした




今にも彼がひょっこりと現れて、あの喧嘩の続きをしてくれるような気がしていました







現実味がありませんでした






小説を読んでいる時のほうがよっぽど現実的な感情が溢れる気がしました








だから、
夜中の3時までかけて書いた弔辞は
結局、
ありふれた
まとまった
綺麗な文章になりました




その弔辞に、
ぼくたちの思い出や感情はありませんでした










葬式がはじまり、

やがて
弔辞を読む番になりました





会場は狭く、先生やなんだか良く知らない大人たちは会場に入っていたのに、生徒たちは、弔辞を読むぼく以外は皆会場の外でした


おかしいだろう、と腹立たしくなると同時に、とても肩身の狭い思いがしました








弔辞を読むために棺の前に立ちました





そこでようやく、


横たわる彼の顔が見えました






ふわふわと夢の中にいるようでした



彼の顔はとても綺麗に化粧がほどこされていて、まるでこれから舞台で踊りだすかのように整っていました



普段の彼の顔ではありませんでした









悪い冗談だと思いました









自分がきちんと読めたのか、あまり覚えていません




会場の暗い照明と、蝋燭の煙の匂いと、マイクで拡散される自分の声と、蝉の声だけが記憶にあります












棺を運びだすため、ぼくたちは外に出ました








女の子は泣いていて、男の子はなぜか、そんな女の子に怒っていて、皆の感情が安定しない所へ




雨が降りました




全く晴れていて、




その会場の周囲は全く雨など降っていないのに、




固まり、肩を寄せ合うぼくたち3年生のところだけに、


雨が降りました























1年後、高校1年生

ぼくは初舞台を踏みます







その時



ぼくは初めて知りました








彼が



人形遣いになりたくて

勘十郎さんに「弟子にしてください」と言っていたことを











彼が生きていれば


ぼくは彼とふたり、同級生同期の太夫と人形遣いのコンビになっていたでしょう








初舞台の夏休み公演


小鍛冶



ぼくは見台の中へ彼との思い出の写真を入れて舞台にたちました














咲寿大夫は、



今でも




彼と舞台にたち続けます