【床本】道行朧の桂川 | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫




■桂川連理柵
道行朧の桂川




白玉しらたまか、何ぞと人のとがめなば、露と答へて消えなまし物を思ひの恋衣、それは昔の芥川。

これは桂の川水に、浮き名を流すうたかたの、泡と消え行く信濃屋の、
お半を背なに長右衛門、逢瀬そぐはぬ仇枕、結ぶ帯屋の軒も早、
今宵限りに月影の、流れにつれて行く身には、妻にも名残り押小路、哀れは後に遠ざかる、

町を離れて漸々ようようと、

背なをおろしてとりどりに、姿つくろふ心根は、まだ娘気の跡や先、死にゝ行く身は骨よりも、心細道犬の声。

「アレ壬生寺みぶでらの鐘の数、九ツこゝに北南、東寺の塔や朱雀野しゅしゃかのの、火影かすかに三筋町」

身にむ風に誘はれて、

「コレお半、こゝが三条愛宕道あたごみち、露の命の置き所、草葉の上と思へども、道々も言ふ通り、俺こそ死なねばならぬ身の上。四十近い身をもつて、十四やそこらの小娘と、一緒に死んだら義理知らずと、世間の人の笑ひの種、親御の恨みお絹が思惑、とかくそなたはながらへて、亡きわが跡を弔ふてたも。頼む」

とばかり言ひ残す、袖は涙のにわたずみ。

お半涙のつゆちり程も、

「お前の無理ぢやあるまいけれど、わたしや嫌いな、そんなその様な、胴欲な。年もいかいで恥かしい。この腹帯はどうせうえ。殿御を先へながらへて身二つになり、大胆ないたづら者ぢや悪性な、不心中なと人さんの笑はんしても大事ないか。そりや可愛ひのぢやない、憎いのぢや。小さい時からお前をまわし、祇園参りや北野さん、物見見物後追ふて、手を引かれたり負はれたり、裸人形を無理言ふて、買ふて貰ふたかんざしの、透かしたらして甘やかし、可愛がられた親たちより、人が尋ねりや長さんが、たんといとしと言ふた時、やんがて女夫にならんしよと、乳母や丁稚になぶられて、恥かしかった下心。定まり事とあきらめて、一緒に死んで下さんせ」

と、恋を立て抜く輪廻の絆、抱きつくづく顔と顔、
男もとかう涙の縁、

「ともに沈まんこなたへ」

と、手に手を取りの声告げて、もはや桂に月のあし、

「アレ、アレアレ後ろにの光、見咎められぬその内に、いざや最期」

と諸共に、石を袂に糸と針、繻子しゅすの帯屋と信濃屋の、娘々と呼ぶ声に、見つけられじと足早に、転けつまろびつうしがせの、水上へとぞ、急ぎ行く。









三味線


文楽ざんまい