【床本】矢橋の段 | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫





■源平布引滝
矢橋の段






急ぎ行、


来る人と野に立つ人に物問へば先ヘ先へと教ヘられ、心も関の明神もよそに見なして走り行く


小まんは御旗肌に入れ、そこに隠れ、こゝに忍び、葵御前や爺親に追付く足も石場道、
渡しも幕れて船もなく、矢橋の浦に着きけるが

秋の月さへ曇る夜の朧月影、浜伝い追駈け来る侍は高橋判官が家来、塩見の忠太、手の者引連れ

「ヤア待て女、おのれ木曽の先生義賢に頼まれ源氏の白旗かくし持ったる由、降参の下部が白状急いで白旗渡せばよし、さないと忽ち粉微塵、覚悟ひろげ」

と呼ばはったり


小まんは身固め帯ひきしめ

「草津石部の間では百人にも千人にも勝って万と付けられて、人も知った手荒い女、覚えもない事云ひかけて後で難儀を仕やんな」

と弱味を見せず云放す

「ヤア不敵な女、何程包み隠しても訴人あれば遁れぬ遁れぬ、ソレ家来ども懐へぐっぐっと手を入れて、どこもかしこも捜せ、捜せ」

「畏った」
と家来の大勢、取ってかゝって懐の白旗取らんと組付くを

「しつこい方」

と引外し、首筋取ってえのころ投げ、腰骨背骨踏んず蹴られつさしもの大勢持てあぐんで見へければ

忠太いらって

「ヤア女と思ひ用捨すりゃ付上ったるひっ切りめ打ち放して奪取れ」

と下知に従ひ茅の穂先
小まんも『こゝぞ命の際』と用意の懐剣逆手に持ち『寄らば突かん』と目を配る

「シャ小ざかしい踏込め」

と女一人にへろへろ武士、切ってかゝれば、
ひらりとはずし、
なぐれば
飛んで此方を突き、持ったる旗の威徳を借り男勝りに働けど、大勢に切立てられ『もう叶はぬ』と覚悟を極め

「ヤレ待ってたべ白旗渡そ、この場の命助けて」

と懐の御旗をば差上げ見すれば


忠太は笑壷

「ヲヽさもあらんソレ家来ども助けてとらせ」

と立寄って取らんとするを
袈裟にすっぱり

「ソリャ赦すな」

と大勢が一度にかゝれば
『叶はじ』と青味切ったる湖へざんぶとこそは飛込んだり

「ヤレそっちへ失せた、此方へ」

と追駈け回れど陸と海

小まんはもとより水心、浮いては沈み沈んでは姿を隠す月夜影、


島ある方へと