豊竹咲寿太夫
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平成26年文楽公演チラシより
双蝶々曲輪日記
引窓の段
秋。石清水八幡宮からほど近い八幡の里に、南与兵衛の家はありました。
与兵衛の妻のおはやは元遊女でした。
父十次兵衛の後妻の実子は相撲取りの長五郎です。
与兵衛の家はもともと代官でしたが、職を取り上げられています。
その与兵衛が代官所に呼び出されて留守にしているところへ、長五郎が人目を忍んで訪ねてきました。
家では母とおはやが秋の神事の準備をしていました。
長五郎が実子だということは与兵衛もおはやも知りません。というのも、母がこの家に後妻に入る前に、長五郎は養子に出されていたからです。
おはやは長五郎と面識がありました。
訪ねてきた長五郎に、母は「与兵衛が代官所から戻ってきたら、引き合わせて兄弟の盃をあげよう」と喜びました。
しかし長五郎は「相撲取りというものは勝ち負けによってどうなるか分からない身の上だし、これが別れになるかもしれない。赤の他人だと思い、倅だと思わずにいてくれ」と言いました。
母は、そんなことを言わずにここにいて、と言いました。
そして、母とおはやは長五郎に食事をしていくよう勧めました。
長五郎は胸も塞がる思いで、欠け椀で一杯だけ食べて帰ります、と二階へ上がっていきました。
やがて与兵衛が帰ってきました。
呼び出された代官所で、与兵衛は庄屋代官に任ぜられ、名前を父の十次兵衛に改めることになったのでした。
早速、武士としての内々の打ち合わせがあるため、二人の武士に伴われて家へ戻ったのです。
与兵衛と共に来た武士の名は平岡丹平と三原伝蔵といいました。
彼らの兄弟が殺され、犯人がこの辺りに逃げてきたという情報から、この土地に詳しい与兵衛に夜の捜索を頼むということでした。
殺された彼らの兄弟というのは、平岡郷左衛門と三原有右衛門。
与兵衛はぴくりと反応しました。
ご存知か、という問いに、聞いたことがあるようにも思うと返し「その犯人は何者」と尋ねました。
「犯人は濡髪の長五郎」
驚きの名前に、母とおはやは動揺してしまいました。
与兵衛は二人の武士に、まずは楠葉や橋本を探してみるといいのではと進言し、二人はその言葉に従って家を出て行きました。
おはやは、長五郎を捕えるのは本気かと尋ねました。
おかしな尋ね方をする、と与兵衛は言いながら、これはお上からの仰せで先ほどの二人はこのあたりに詳しくないことから夜の捜索は任されたのだと説明しました。
おはやは怪我でもしたらお母さまが悲しむと言いました。
まるで長五郎を庇うかのようなおはやの物言いに、与兵衛はいぶかしみます。
母が与兵衛に長五郎とは知り合いなのか、と尋ねました。
与兵衛は長五郎と会ったことがある、と作成した人相書きを母に見せました。
二階で様子をうかがっていた長五郎、そっと一階を覗きました。
手水鉢の水に姿が写り込んでいることに気付きません。
人影が写り込んでいることに気付いたのか、与兵衛が手水鉢を見、二階の方を見上げました。おはやは素早く、天井にある部屋の採光の為の「引き窓」をぴっしゃり閉じました。
途端に室内は真っ暗になりました。
何をする、と女房に尋ねます。
おはやは、そろそろ日も暮れるし灯をともしましょう、と答えました。
すると、日が暮れたのなら任された捜索をする番だ、と与兵衛が立ち上がりました。
おはやは、日暮にはまだ少し早かった、と再び引き窓を開けました。
与兵衛が持っている人相書きは周辺の村に配るということでした。
母はその人相書きを売ってほしい、と頼みました。
その様子に与兵衛は、母が二十年以上前に実子を養子に出したと聞いたことがある、と持ちだし、そのご子息はお元気なのか、と母を見ました。
母はそれには答えず、人相書きを売ってくれと言い続けました。
悟った与兵衛、武士として腰に差していた大小の刀を置くと、丸腰となれば元のとおり町人、商売として話をしよう、と言いました。
与兵衛の役目は、と心配する母に、自分の役目は日が落ちてからなので、と与兵衛は答えました。
そうして与兵衛は、自分が捜索しない道をわざと声に出して言いながら、家を出ていったのでした。
堪えかねた長五郎は二階から降りて表へ駆け出そうとしました。
追いかけて捕まる覚悟、と言う長五郎を母は止めました。
母が人相書きを売ってほしいと願ったのは、与兵衛が見逃すのかどうかの胸の内を暗に確かめるためでした。
その答えとして人相書きを売ってくれた与兵衛の情けを無にするような長五郎の行動を嗜めます。
逃げられるだけ逃げて、生きられるだけ生きてくれ、と母は長五郎に懇願しました。
夜をやり過ごしても、夜が明ければ秋の神事の放生会で人通りが多くなります。
見た目を変えなければいけません。
母が長五郎の大前髪を剃り落とそうとすると、姿を変えてお縄についたら「命惜しさにそんな事までして」と言われるのは無念、やはりこのまま与兵衛に渡してくれ、と長五郎は拒みました。
どうしても縄にかかるのなら先に死ぬ、と母は剃刀を自分に当てました。
長五郎は慌ててそれを止め、姿を変えることを受け入れました。
国立劇場Instagram 2021年9月8日より
しかしこのほくろは長五郎の実父譲りのほくろ。
まるで形見のようなものです。剃り落とすことはためらわれました。
母とおはやが躊躇していると、表口から「濡髪捕った」と声があり、手裏剣が投げ込まれました。
長五郎の顔にあたり、その拍子にほくろが潰れてしまいました。
今のは確かに与兵衛の声。
これも与兵衛の情けなのでした。
長五郎は与兵衛の心があまりにも忝く、母の慈悲心に逃げようとここまで外見を変えたけれども、四人も殺した科人としては助かる見込みはないので、他の者の手にかかるくらいならば母に縄をかけられて与兵衛のもとで捕らえられたいと願いました。
母とおはやもそれを呑み込み、引き窓から垂れる縄で長五郎を縛りました。
夜の闇もすっかり深くなっていて、与兵衛は十次兵衛として長五郎を捕える役についています。
母は「長五郎を召し捕った」と声をあげました。
与兵衛が家に入ってきます。
手柄、と言いながら、おはやに今は何時かと尋ねます。
夜中になったところでした。
すると与兵衛は、さきほど七つ半(5時ごろ)を聞いたと言うのです。
もうすぐ夜明けになり、そうすると役目が終わるので長五郎を捕らえられなくなる、と引き窓にまで伸びている縄を切りました。
するとその勢いで引き窓が開き、月の光が差し込みました。
「南無三宝夜が明けた」と与兵衛は長五郎を離しました。
秋の神事、放生会とは捕らえられた生き物を放す儀式。
与兵衛は長五郎に「恩に着ることなく勝手に行け」と言いました。
鐘が鳴ります。
九つの鐘、つまり深夜の鐘です。
その鐘を六つまで聞いて「残りの三つは母へ差し上げる」と言いました。
「拙者の命を差し上げる」と長五郎が言おうとしたところを、与兵衛は「さらばさらば」と促しました。
そうして、長五郎は八幡の里の家を出て、落ちていったのでした。
とよたけ・さきじゅだゆう:人形浄瑠璃文楽
太夫
国立文楽劇場・国立劇場での隔月2週間から3週間の文楽
公演に主に出演。
その他、公演・イラスト(書籍掲載)・筆文字(書籍タイトルなど)・雑誌ゲスト・エッセイ連載など
オリジナルLINEスタンプ販売中
豊竹咲寿太夫
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