ブログ書くの本当に久しぶりになってしまいました。
気がつけば2018年も終わりじゃないですかー!!
時が経つのが早すぎる!!
6月生まれの息子もあっと明日あっという間に生後半年を過ぎ、もうすぐ7ヶ月。
離乳食の食いつきはあまり良くないものの、おっぱい星人、更に夜泣きが始まって、夜もよく飲むので、体重は9kgを超えて、ぽっちゃり赤ちゃん街道まっしぐらです。
でももう可愛くて可愛くて❤︎❤︎
あたまが重いのかおすわりはまだ安定しないけど、ムチムチすぎる足で、もうつかまり立ちしちゃう?!くらいの勢い。
その足をムニムニ触るのが至福のとき笑
更に上の子は4歳女子で、自分で大体のことはできるし、話せば分かるようになったし、物事の吸収力が半端なくて見ててびっくりするし面白い。勿論まだまた可愛い時期でもあります。
たまに今が人生で一番幸せにで、後から振り返ったら今を懐かしく思うんじゃないかって思って泣けてくるくらい、、、笑。
でもまぁ2人育児は中々大変で、家事もしないとだし、子供たちにも自分にも時間をかけてあげられない日々でした。
そして、子供たち一人一人の時間をもっと大事にしたい、またもっと余裕が欲しい!と思い、住み込みのヘルパーさんを雇い始めて、かなり肉体的にも精神的にも楽になりました。
せっかくこの子供が小さくて大変な時期にシンガポールに住んでいるのだから、その恩恵を受けようと思い、いろいろ悩んだけど雇って本当に良かったと今は思います。
もちろん家に常に家族じゃない人がいるので、気になることは多々あるけどね
さてさて前置きが長くなりましたが、もうこのブログはオフィシャルでもなくなったし、読んでくださる方がいるかは謎だし、どうしようか迷ったけど、自分自身への記録、そして同じような状況の方(2回連続流産)へ、少しでも励みになればと思い、前回の流産話の続きだけは完結させたいなと思います!
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以下はタイトルの通り、少し前に書いた記事になります。
投稿しようかと思いつつ、無事に生まれてきてくれるまで不安があったので、結局下書き保存で思いとどまっていたものです。笑
妊娠中の記録記事がいくつかあるので順番にアップしようと思います。
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前回の記事の、続きです。
1回目の流産が分かった後、帰りの車の中で泣いて、でも娘のお迎えがあったので、娘の前ではいつも通りに振る舞いました。
まぁ目が真っ赤だったので、一時保育の先生には「どうしたんですか?大丈夫ですか?」と言われたけど、、、当時1歳8ヶ月の娘には泣き腫らしたってことは分からなかったんじゃないかな、、、
娘を見て、「あぁ、私にはこの子がいる。この子がいてくれてほんとうに良かった」と思いました。
これが第一子出産前だったら、、、きっと何倍も辛かったんじゃないかな、、、。
改めて娘が元気に生まれてきてくれたことは奇跡でしかないということを身をもって知りました。
そして、、、
長女出産後2回目の妊娠は、長女が2歳になったお誕生日当日に分かりました。
すぐに戻ってきてくれたのかなぁと思ってとても嬉しく思う反面、また流産したらどうしようという思いも無きにしもあらずでした。
そして、最初の検診。
この時は最初から胎嚢が小さめでした。。。
そしていつ始まるのかとビクビクしていた悪阻が一向に始まらない、、、
過去2回の妊娠経験から、悪阻がきたら一気に食べられなくなるから今うちに食べておこうと思ってモリモリ食べていたけど、結局悪阻がくることがなく、私だけ太って終わるという、、、苦笑。
この時は、結局胎嚢は大きくなって卵黄嚢も見えたけど、赤ちゃんが確認できず妊娠8週目で稽留流産と確定しました。
卵黄嚢が胎嚢に対して異常に大きくなっていて、いろいろ調べていたら、そういった場合は流産することが多いそうです。
だから私の場合は(あくまで私の場合)、妊娠初期で赤ちゃんの心臓が動いている時は悪阻があるみたいです。
逆に赤ちゃんの心臓が止まってしまった時は、悪阻も同時に軽くなったし、そもそも心拍が確認できなかった時は、悪阻は起こりませんでした。
この時は、夫は既に海外にいて単身赴任だったのですが、流産が確定した後すぐに赴任先に行く日程を決めました。
家族3人で暮らしたかったのと、あと何か早く日本から出たくて...。
結果、海外引越しの準備で本当に目が回るほど忙しくて、悲しみに浸る余裕が無くて良かったかもしれません。
じゃなかったら続けて2回も流産という事実に途方に暮れるしかなかったかも、、、。
この時は、自然に出てくるのを待とうと思っていたのですが、待っていても自然に中々出て来ず、結局妊娠10週目の時に、掻爬手術をしました。
1回目の流産の時も掻爬手術をしたので、まさか一年で2回も手術することになるとは、、、。
2016年、、、私にとってほんと魔の年でした(-_-)
確か後厄の年だったかな、、、。
この経験はね、、、経験しないに越したことはないと思います、、、だって本当に辛かったから、、、
でも、当たり前の日常が実はたくさんの奇跡の重なりであること、命の重さ、そんなことを身を持って感じられた出来事でした。
また、人は自分がその立場にならないと、本当の悲しみや辛さは分からないものなんだなぁと深く感じた出来事でした。
私も経験するまでここまで辛く悲しい思いをするとは正直分かっていなかったと思います。
そして、悲しみって残念ながら時が解決してくれるものでもないんですね。
勿論時間が経てば四六時中考えることはなくなるけど、ふとした時に寂しさや何で?って気持ちの雲がモヤモヤと心の中にかかってしまうことがあって。。。
思い出して泣くことだって少なくなかったです。。。
今回の妊娠が順調に数週を重ねるに連れて、過去の辛さが段々と薄れていき、そして出産と同時に消えました。