Vガンダム考察 カテジナ・ルース アンチヒロインの肖像

Vガンダム考察 カテジナ・ルース アンチヒロインの肖像

人が闘争本能のままに生きるのは進化のためにしている事
それは悪ではないのだから

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とりあえず、まとめ(とっちらかったカテジナをまとめるのは非常に難儀)

《カテジナはとっちらかって、矛盾していて不完全》

カテジナ─「殺し合いは大人たちだけですればいいんですよ!!」
戦争に対して嫌悪を見せる一方で、戦争という殺し合いにどっぷりのめり込んでいく

戦況を見極める冷静さや判断力を見せる反面
MSを操縦出来る事に嬉々として「リガ・ミリティアの連中の鼻をあかしてやれる!」
なんて子供の様にはしゃぐ

自分自身の欲求と本能にとことん素直であるくせに
言ってる事は矛盾が多くて素直じゃない
…敵としてウッソと初めて対峙した際には、
ウッソのせいでこうなったと責任転嫁したかと思えば、
マリア主義のために戦っているんだと主義者が言いそうな台詞を吐いてみたりする

なんだかんだ言っているけど結局、自分のしたい様にしているだけ

《~心にひそむ影~違和感・不確かさ》

1章で記した、カテジナの軸となっているもの
大人(親)への嫌悪感と反発心 孤独感 コンプレックス(自己嫌悪) 変身願望

「何もわかっていないお嬢さん」と自分を見下すリガ・ミリティアの大人達への反発
だけど見返す力も持たない自分へのコンプレックス

露骨に反感を見せるカテジナと、リガ・ミリティアの主要人物であるお爺さん達の関係は良好とは言えず、そこに自分の居場所がない事をカテジナは感じていた

カサレリアでウッソに再会した時、カテジナはこう言っている
カテジナ─「カミオンのお爺さん達のやり方では、地球は永遠に絶望的よ」
カテジナ─「このままではね…私達前に進めないのよ」
*地球は…私達…といった言い回しで大局的に物事を考えているかの様に表現しているが、要はリガ・ミリティアにいても自分には希望がない、前には進めない(進化できない)という事

自らの居場所を模索する様に迷いながらもクロノクルについて行ったのは
「優しかった」から
(社会的な)主義や理念のためでもなく、そうせざるおえない様な深い事情
(ありがちなパターンでいうと不幸な生い立ちとか暗い過去)なんてものもなく
ただ、クロノクルが「優しかった」から 理由としては実に幼稚である

子供の頃に「知らない人について行ってはいけない」と誰でも教えられるだろう
カテジナはクロノクルに惹かれるがまま、ほいほいついて行ってしまう…
行きあたりばったりの成り行きまかせで、「スパイしてみる」なんてテキトーな事を
ウッソに伝えているが、どこまで本気でヤル気なのか本人もわかっちゃいない
あまりに無防備というか向こう見ず
「行っちゃいけません!」と止めるウッソは常識的には正しい

リガ・ミリティアに望みを見い出せない←リガ・ミリティアを離れる理由
クロノクルが優しかった←ザンスカールに渡った理由

そして、その後の選択・・・強化プログラム→MSパイロットになり戦場へ
そこには、また別の理由がある

「他者から求められる自分」と「自らの求める自分」そこに感じる違和感
本当の自分を理解してもらえない孤独感 それじゃあ本当の自分って何?

「自らの求める自分」と「現実に在る自分」そこに感じる違和感
閉鎖された田舎町に在る、ちっぽけで不確かな自分

ウーイッグの空襲でカテジナが見たのは、大きな力によって簡単に踏み潰される
力なき命の末路
力を持たない弱いものは踏み潰され、力を持つ強いものは踏み潰す
動物の生き方としては本質であると言える「弱肉強食」という世界

だから「踏み潰される側」ではなく「踏み潰す側」にまわった
「弱肉強食」という世界において、強食の側にまわろうとするのは生き残るための動物としての本能である

~選択~何もせず殺られるのも嫌、強者に守られるだけの弱者でいるのも嫌
(どちらも強者に見下された存在である)

「地球を汚染してしまった人類が、宇宙に移民する時代になっても、
地球上と同じ様に戦争の歴史を繰り返していた
それは新しい環境に適応しようとする、人の本能がさせている事だと思いたい」
(第2話オープニング:ナレーション)

人間(動物)は闘争の中で進化していく、カテジナが選んだのは殺し合いという闘争の中で、自らを進化(変化)させるという道なのだ

カテジナ─「私はザンスカールが目指しているものを見たいのよ! オールドタイプの古い人達の作った世界が変わっていくものを!」
古いものから新しいものへ=オールドタイプからニュータイプへ=弱者から強者へ

変わっていく世界が見たい=変わっていく自分が見たいという事
「自らの求める自分」の実現を目指した
ザンスカールとクロノクルは、その実現に必要な「巣」となる
新しい自分を産みだし育ててくれる居場所 カテジナが求めた「真の強さ」
だけど、ザンスカールもクロノクルも「巣」としては不完全なものでしかなく
結果、その「巣」は崩壊する

本能と欲求の赴くまま…暴走の果て ちゃっかり生き延びたカテジナ・ルース
壊滅したウーイッグで生き残り、全滅したモトラッド艦隊でも生き残った
その凄まじいまでの生命力としぶとさ 目が見えないくらいでへこたれるとは思えない
堕ちるとこまで堕ちたなら あとは這い上がればいい
彼女ならきっと逞しく生きていってくれる そう思う



*あとがき*
つたない文章を読んで頂いてありがとうございました
これからもVガンダムとカテジナを考え続けて行くと思います
その都度修正したりつけ足したりする事もあるかと思いますので、ご了承ください

考察などと偉そうに冠していますが、あくまで個人的な解釈、推察、見解、妄想、願望、によるものです
忘れてたので、改めてカテジナとウッソについて追記

ウッソ・・・
子供っぽい理想をカテジナに押し付けるだけで、カテジナの本質を認めようとしない

ウッソ─「ウーイッグのカテジナさんでしょう?あなたは家の2階で物思いに耽ったり、盗み撮りする僕を馬鹿にしてくれていればよかったんですよ!!!」
ウッソはカテジナに「ウーイッグのお嬢さん」である事を求める
自分の思い描く理想の姿である事を求め、自分の理想とは異なるカテジナを否定する

最終戦に及んでも、「お前がカテジナさんを変えてしまった!」
「あなたの弱さがカテジナさんを迷わせた!」
と、クロノクルを責めるウッソ
ウッソからすると、カテジナは本当は自分の理想通りの人であり
変わってしまったのはクロノクルのせいだと言いたいのだろう

だがそうではない 最期までウッソはカテジナの本質を否定し続ける
その否定がカテジナの心に嫌悪を生み、憎悪を生んだともいえるのに…

カテジナ・・・
ガキの甘ったれた理想像に付き合わされるなんてまっぴらごめん
カテジナ─「男の子のロマンスに、何であたしが付き合わなければならないの!!!」

ウッソに限らずカテジナはある種の男に嫌悪を見せている
わかりやすいのがブロッホだ
彼は登場するや「女子供に本物の戦いというのを見せてやります」と息巻く
その言葉にカテジナは露骨に嫌な顔をしている

そもそもの要因は父親にあるのだろう
お前のためだと言って自分の考えを押し付ける
言う事を聞かないと感情的になって暴力を振るう典型的なダメ親父である

ウーイッグでのカテジナと父親とのやり取り
父親に対して見せた嫌悪と反発はカテジナの内面を象徴するものであったと思う

女を尊重せず見下す男への嫌悪と反発

例えばオデロ、彼の言動には随所に女を見下した性質が伺える
それ故にエリシャに「あなた女を馬鹿にしてるでしょう?」と非難される
オデロ─「ウーイッグのお嬢さんは嬢ちゃんをやってりゃいいんだーっ!!」
そして、それ故にカテジナに殺される

ウッソは「ウーイッグのお嬢さんはこうあるべき」=「女はこうあるべき」と説く
それは子供じみた理想を押し付けているだけの事であっても
カテジナからすれば、女性を尊重せず見下す男と同一なのである

ウッソに対するカテジナの言動の中で、よく見られるのが
「バカにして!」「バカにするのか!!」という台詞

カテジナという人間の個を認めようとせず否定し続けるウッソは自分を見下す存在
ウッソに敗れればウッソの言ってる事が正しくなってしまう
(それはカテジナをお嬢さんという枠に抑え付けようとする男達に屈服する事に他ならない)
…だからウッソを倒さなければならない
カテジナがウッソを倒す事に執着した一因である

《否定…そして執着》

それにしても何故ウッソがそこまで
カテジナが「ウーイッグのお嬢さん」である事にこだわったのか??

ウッソは実に物分かりの良い出来た子である
リガ・ミリティアの大人達になんだかんだ丸めこまれ 
戦争の道具にされても、大して文句も言わない
再会した父と母が、どこかそっけない態度でも我がままを言ったりせず
そもそも、幼いウッソを捨てた両親に対してレジスタンス活動が忙しかったと言われただけで納得し、ろくに恨みごとをぶつけもしないのだ
シャクティが暴走し母が捕まってもシャクティを責めるどころか
「シャクティだって僕達を助けるつもりでおじさんの所に行ったのに僕が連れ出して来てしまった 謝らなくちゃいけないのは僕の方かもしれないんだ」
なんて言っちゃうくらい寛容である

なのに、そんなウッソがカテジナの事になると人が変わる
カテジナの選択に理解を示そうなどといった様子は微塵もなく
頭ごなしに否定する「おかしいですよ!カテジナさん!!」

本当ならウッソがカテジナにぶつけた想いは、母や父に向けられるべきものなのだ
「僕の母さんでしょう?僕の母さんでいてくれていればよかったんです!」と
それなのに、その想いは再会した母にも父にも向けられる事はなく、
カテジナに向けられるのだ?何故か?何故だろう…???

(以下、あまり考えがまとまっていないのですが…)
ウッソは母に求めるはずの(求められなかった)理想をカテジナに求めた

思えば、ウッソの回想シーンに出てくる母は、優しく子供を愛撫する姿ではない
まだ幼いウッソがケガをして泣いていても突き放す様に厳しく指導する姿だ 

ウッソのパソコンにあるカテジナの写真…笑顔の写真は1枚もない
(むしろ盗み撮りに気付いている写真では不快な表情さえ見せている)
盗み撮りしていた頃から冷たくあしらわれていたであろう事が想像できる

ウッソはカテジナに、自分を突き放す母の姿を重ねていたのではないか?
まだ幼い頃に母が自分をおいて居なくなるというのは
当然ながらウッソの心に深い傷を残したはずだ

それでも母は立派な仕事をしており、そのために自分をおいていかざるおえなかったのだと自分を納得させてきた
(この辺は、18話でのマーベットとウッソのやり取りから推測出来る)
しかしそうなると、人間「はけ口」が必要になる

だから「ウーイッグのカテジナさんでしょう?あなたは家の2階で物思いに耽ったり、
盗み撮りする僕を馬鹿にしてくれていればよかったんですよ!!!」となるのだ

カテジナと恋人同士になりたいわけではない
ただカテジナに「ウーイッグのお嬢さん」でいて欲しかった
手が届きそうで届かない距離感で憧れていられる人でいて欲しかった
母にぶつける事の出来なかった「自分の母でいて欲しかった」
という想いをカテジナへの憧れに置き換えてきたのだから

そのカテジナが母と同じ様に自分の元を去り、
しかも敵の軍人である男といってしまうなんて…
そしてMSに乗り、戦場で殺しまくるカテジナが彼女の本来の性質であるなんて
到底、受け入れる事が出来なかったし認める事が出来なかったのだ

※憧れの対象に選んだ相手が、実は「危なっかしい暴走ちゃん」と気がついた時には遅かった…(外見だけで女を選ぶと痛い目に遭うというイイ例である)

追加12章につづく
ウッソは『皆を守るために戦う』
子供向けのヒーローアニメの主人公としてはパーフェクトな存在

ウッソは完ぺきに主人公としての役割をこなす
シャクティは、主人公に守られるヒロイン役を
クロノクルは、主人公と因縁のあるライバル役を
リガ・ミリティアは、主人公を支える仲間の役を
ザンスカールは、ギロチンやローラー作戦で悪役を演じる

しかしカテジナだけが反旗を翻し、与えられた役を演じる事を拒む

ウッソ─「僕は…僕は…カテジナさんにも、マーベットさんにも、皆にも…
死んで欲しくないんです!!」(第5話)
この台詞に対するカテジナの反応
「あの子勘違いしてるのよね」(第6話)からの
「信念を貫く子供など、薄気味が悪い」(第49話)になるわけだが

ウッソはまだ13歳、シャクティはまだしも
大した知りあいでもないリガ・ミリティアの人達を守るために命を懸けて戦うのだ
親切にしてくれるお姉さん達が次々と死んでいっても
目の前で母の首が飛んでも、やっと会えた父に戦争の道具の様に扱われても
初恋の人にボロクソに罵られて殺されそうになっても
ちょっと落ち込んだら次の瞬間には『皆を守るために戦う』を繰り返す

カテジナ─「正義を振りかざしているつもりの子供など、消えろ!!!」

Vガンダムという作品は、子供向けヒーローアニメという形態をとりながら
カテジナ・ルースというキャラクターによってそれを否定させているというわけだ

完璧な主人公も、お姫様的ヒロインも、格好良いライバルも
正義の軍団も、悪の軍団も 全てはまやかし、という事

カテジナ・ルースが反旗を翻したのは
「ウーイッグのお嬢さんは、お嬢さんでいればいい」と言うウッソやオデロ
「何もわかってないお嬢さんは、ひっこんでいろ」という大人達
そして「ヒロインはヒロインらしく、ヒーローに守られていればいい」
と言う視聴者に対してなのだ

だからこそ、エンディングで当たり前の勧善懲悪的表現で物語を締めくくったのが
最後は無難にまとめちゃったね、と思えてならないのです…


追加11章につづく
エンディングに関しては、正直あまり意味を感じていません
「作品として終わらせるために必要だった」という事であろうと受け取っています
例えば「イデオン」のエンディング(因果地平)もそうなんですが、
作品として(商業的な理由も含めて)取った形が、ああいう表現になったという事
輪廻転生も勧善懲悪もまやかしに思えてしまうのです

《カテジナの罪》 

すごい悪女とかマジキチとか言われるカテジナだけど
戦争しているんだから殺し合うのは当然 MSに乗ってるんだから敵を倒すのが当然
戦争は人と人との殺し合い
どんな主義・主張を掲げたところで、そこに正義なんてものはない

おかしくなっているのはカテジナだけじゃない ボロボロ人が死んでいきます
一番殺しているのはウッソです
カテジナ─「戦いをして犯した罪は、償わなければならないのよ」
ウッソ─「僕は罪なんて犯してません」
罪なんて犯してないと言い切るこの言葉に、
ウッソという人間の人間味の無さが感じられる

カテジナの罪だけが重いのでしょうか?
カテジナだけが業を背負わなければならないのでしょうか?

終戦後、アムロもカミーユも代償を払ったのに何故ウッソは笑顔で元の暮らしに戻れたのか?全ての罪と業をカテジナに負わせた様に思えてならない
 (代償を払ってない様に見えるだけで、マーベットも子供達も被爆してるって含みはありますけどね…)

カテジナ─「まやかすなぁ──────!!!」
世界はまやかしで溢れている 
故郷ウーイッグも、リガ・ミリティアも、ザンスカールが目指した新しい世界も
それでも生々しいほどに人間であったカテジナの生き様を
「悪」と呼ぶか「人の本能」と呼ぶか…

本能というもの
人が闘争本能によって殺し合うのは進化(変化)のためにしている事
本能のままに生きる事は悪ではないのだ

追加10章につづく
ウッソ─「クロノクル、あなたの弱さがカテジナさんを迷わせたのが、まだわからないんですか!!」
クロノクル─「お前のような少年に何がわかる!女王の弟にされてしまって、カガチなどとも戦わなければならなくなった、この私の苦しみが!!!」
ウッソに責められたクロノクルは否定出来ずに泣き言を返している

ウッソ─「お前がカテジナさんを変えてしまった!!」
クロノクル─「彼女の望んだ事だ!」
返した言葉が「彼女の望んだ事」というのは、ちょっと言いわけがましい感じもする

もちろんカテジナ自身がそう望んだ事は間違いないと思うし
カテジナの望むまま、その想いに応えたという意味では
クロノクルはカテジナの言う様に「優しかった」のだろう

ただ結果的にカテジナを強化人間という戦争の道具としてしまった
(その自覚があるからウッソに責められても否定できない)
クロノクルの優しさは弱さであったと言える

クロノクル─「母親、父親のエゴというものは、時には子供を殺す事もあるという事、想像して欲しいものだな」
ウッソの母に言ったこの台詞、クロノクル自身にも当てはまる
クロノクルのエゴ…
それはカテジナの想いに応えてあげたいという優しさであると同時に
クロノクル自身の弱さから来るエゴであったとも言えるのだ

じゃあ、カテジナがああなってしまったのは、結局のところクロノクルのせい?
…クロノクルはきっかけであるだろうけど原因ではない

例えばクロノクルと出会ってなかったら…

リガ・ミリティアのクルーとなり、ホワイトアークでウッソ達と共に戦い
後に仲間となる、同じ年齢のトマーシュと恋に落ちたりなんかしちゃって
最後はカサレリアで皆と仲良く暮らした?

あり得ない話しじゃないけど…なんかしっくりこない
それだとカテジナという人の本質を無視している気がする

なんていうかカテジナは、クロノクルと出会う以前から
既に人間の負の部分ていうのを見せていたと思う

カテジナは、ああ生きる事しか出来なかったんじゃないか?
だからクロノクルと出会わなかったとしても、
やはりカテジナは自分自身も自分の人生も破滅させる方に向かったんじゃないか?

リガ・ミリティアでもザンスカールでも、どっちでもいい
たまたまクロノクルという男がいた
自分の欲求を受け入れてくれる男である だから、その男を愛した

そして欲求の赴くまま本能の赴くまま、カテジナは我が道を突き進んだ
そういう生き方しかカテジナには出来なかったのだ、と思う


9章につづく