★【加藤和】エピソード3〜確かな礎となった2008年〜 | JSB 佐藤三兄弟のスイミングスクール オフィシャルブログ ~Embodies the Dream!~

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私達JSBは水泳経験や性別、年齢、障害の有無など、いかなる要素も関係なく、すべての人の水泳における夢と目標を全力でお手伝いします。


今回は大学進学から2008年の北京オリンピック選考会について書いていこうと思います。

高校3年生になって、大学進学について真剣に考えるようになりました。
オリンピック選考会が、大学進学後すぐの4月にあったので、私の中では今まで一緒に頑張ってきたコーチとオリンピックに行きたいという思いが強く、地元を離れて大学に進むという考えにはならなかったです。なので、中高通っていた学校の短期大学に進もうと決心しました。短期大学に通いながら水泳をすることについて、学校の先生も本当にそれでいいのかしっかり考えなさいと、放課後に廊下に呼ばれて言われたのを覚えています。今でも、本当にこの選択をしたことが良かったのかはわからないけれど、後悔はしていません。

そして、2008年の北京オリンピック選考会ですが、結論からいうと、200メートル個人メドレーで2位でしたが、派遣標準記録を突破することができず、400メートル個人メドレーでは3位で北京オリンピックに出場することは叶いませんでした。
そしてこの北京オリンピック選考会が終わってから、しばらく水泳に向き合うことができなくなります。自分が何のために水泳をしているのかがわからなくなったからです。 今までは、水泳が好きで目標をクリアしていくことが楽しかったですし、伸びない時期や練習が嫌だと思っても、泳いでいる時間は自分らしくいられました。 
でも、北京オリンピック選考会後、大きな目標がなくなり、これからどう水泳に向き合っていけばいいのかがわからなくなりました。 
選考会前から、地元でオリンピック選手が出るかもしれないとテレビなどが取り上げてくれて、 色々なところから頑張ってねと声をかけてもらったり、身近な人たちから期待しているよと言われるようになり、違和感がありました。応援してもらっていることは単純に嬉しかったのですが、私は自分や家族、コーチのために結果を残す、楽しいから水泳を続けているのに、いざオリンピックに行けるかもしれないってなったら、今まで関わりのなかった人たちにまで過剰に応援してもらうようになっていったことが、自然とプレッシャーになっていたのだと思います。
心の中では、派遣標準記録が切れるか切れないかギリギリのラインだということは理解していたし、自分の気持ちと周りの期待の差がすごく大きいことに違和感があったのだと思います。そして、4月の選考会が終わってそのあとにあった2つの試合を終えて、もう心が限界に来ていたので2週間くらいお休みをもらいました。しかし、そのあとも練習をする目的がわからず、無断で練習を休んだりしてコーチや母に激怒され、喧嘩しての繰り返しの日々がしばらく続きます。2008年の他の試合は目標もなくただ出場するだけでした。一時期は、プールも見たくないし、コーチにも会いたくないし、家族とも話したくない状態だったので、そこから抜け出すまでには随分と時間がかかりました。
ではどうやって抜け出したかになりますが、そもそも苦しいのって水泳がまだしたい。オリンピックに行くためにまた頑張りたいと心の中で思っているからだと気がついたからです。でも、今回の挫折の苦しさをまた経験する恐怖と、もう一回辛い練習を続けなきゃいけない覚悟を持てずにいたんだと思います。オリンピックに未練もなく、辞めたいんだったらすぐに辞めていたと思い ます。いつも両親からやるならやる、やらないならやらない。中途半端はやめなさい。と言われ て育ちました。心の中でまだ水泳をしたい。4年後のオリンピックに行きたいと思っている気持ちが時間が経つにつれて少しずつ大きくなっていき、4年後のロンドンオリンピックに向けて考えていくようになります。

きっとそばで見ていた両親は心配して、もどかしい時期だったと思います。初めて母と思いっきり 喧嘩して言い合って、話しても喧嘩になってしまう母はよく手紙を書いてくれました。でもまっす ぐ向き合ってくれる母の手紙は苦しくて、あまりちゃんと読まずに机の中にしまっていました。 今では母からもらった手紙は宝物になっています。父は何も言わず優しくいつもそばにいてくれま した。どんな時も、和は大丈夫だよ。と信じて心に寄り添ってくれた両親に感謝しています。

水泳と向き合ってまた目標を持って頑張れるようになるまで、2年弱かかったと思います。10年間 ずっと一緒に合宿や遠征に行ってくれたり、一から泳ぎを教えてくれたり、コーチもたくさん勉強 してたくさんのことを与えてくれました。一緒にオリンピックに行く夢は叶わなかったけれど、 コーチに出会わなければ確実にロンドンオリンピックには出られていません。たくさん迷惑かけ てたくさん苦しませたこともあるだろうけど、ずっと一緒に戦ってくれたコーチに心から感謝して います。

短期大学に進学していたので、2年生になってからまた進路について考えていくようになりました。 山梨学院大学に編入学をするという選択肢を選んで、少しずつまた水泳を頑張ろうと思えていきますが、編入学に至った経緯やロンドンオリンピックまでのことはまた次回、書いていこうと思います。




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