★【加藤和】エピソード4〜大きな転機となった山梨学院大学への編入〜 | JSB 佐藤三兄弟のスイミングスクール オフィシャルブログ ~Embodies the Dream!~

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今回は編入学してから大学生活について書いていこうと思います。

もう一回オリンピックを目指していこうと思った時に、地元に残って水泳をするには正直厳しい環 境にあったことが編入を決めた大きな理由でした。
高校3年生の時に山梨学院大学の監督が地元の短大に行くと決めていた私に、編入もできるよと言ってくれていたことを思いだし、短大2年生になって監督に連絡をして見学と練習に参加させてもらうことになりました。正直、私には苦手な練習が多くてきっと山梨学院大学に入ったら、きついだろうなと思ったけど、苦手な部分を伸ばせるチャンスでもあるなと思い、編入学をさせてくださいとお願いしました。大学の監督は試合の時にプールサイドにいるのを発見するとすごく安心感がありました。緊張していても、不安なことがあっても、存在だけで心強い気持ちになる。私にとってはそんなコーチでした。迷惑しかかけていないですが、最後まで信じてくれていた監督に本当に感謝しています。

水泳部の練習は本当に苦手な練習が多くて、チームメイトには『ベストはわたしより速いのになんで練習は遅いの』なんて言われたこともあります。苦手だけど、これでも頑張っているんだけど なと思いましたが、自分のできることを考えて取り組む毎日が続きます。大学の水泳部の中でも途中から入ってきたわたしに優しくしてくれて、人数が多い分、いろんな価値観の人がいて、楽しいこともあったし、理解されなくて苦しいこともたくさんあったけど、どんな自分でも受け入れてくれて支えてくれたチームメイトには本当に感謝しています。 
誰とやるのか(コーチ・チームメイト)、どこでやるのか、何を目標にしてやるのかはすごく大切なポイントだと思います。私は監督の指導を受けたいことが一番にあり、環境は都会ではないけれど水泳に集中できるとても良い環境でした。そして、大学生活を送ってみて感じたことは、大学生になるとそれぞれ得意なこと苦手なことがはっきりしてきます。私はショートサイクルで泳ぎ続ける練習が得意だったけど、ウエイト、懸垂、スピードを出す練習はとても苦手だったので、正直しんどかったですが、自分の中では成長していったし、みんなよりできなくて頑張ってないみたいに言われることの方が多かったですけど、自分が自分に必要なことをしっかり理解して、努力するブレない気持ちは誰よりもあったと思います。自分の強み、弱みをしっかり理解して、同じ練習の中でも、自分の目標に向かって考えて練習することが大事だと思います。がむしゃらに与えられたことをこなしている人も、もちろん努力はしていますが、自分に必要な努力が何かを理解できていなければ、無駄な努力になってしまうこともあると思います。例えばテスト勉強をしている時に、先生にここはテストに出ないよと言われているのに、とにかくテスト範囲だから勉強するみたいなことです。確かに無駄ではないけれど、テストで点数を取りたいという目標なのであればそれは必要のない努力になるのだと思います。オリンピックまであまり時間のない中で必要なところを理解して努力するのはとても大事なことだったと思います。 私の強みを引き出して丁寧に教えてくれた地元のコーチのおかげで、私は自分に必要なことが明確にわかっていたからこそ、考えて練習することができました。そして、私の弱みを強くしてくれてオリンピックに連れて行ってくれたのは大学の監督です。理解してくれていたチームメイトがいなかったら、本当に途中でくじけていたと思う大学生活でした。

大学に編入学して最初の年の日本選手権で200メートル、400メートル個人メドレーで優勝するこ とができて4年ぶりの日本代表に入ることができました。すでにこの時は2010年になっていたの でオリンピックまで2年というところまで来ていて、ようやく北京オリンピックの選考会前のよう
に泳げるようになってきていました。気持ちも前向きになってきていたけど、いつも心の中には北 京オリンピックの選考会のことが離れなくて、不安がずっとつきまとっているような感覚でした。

そして2011年になり、東日本大震災が3月11日に起こって、生きた心地がしない日々を過ごすことになります。 ですが、東日本大震災があって、私の心に大きく変化がありました。地元に帰って何かできることをしたいって気持ちがあったけど、地元も大きな被害があったので帰れる状況でもなく、何もできないもどかしさが続いて、帰りたいし、何かできることがしたいと家族に伝えた時、『心配しなくて大丈夫だから今は水泳を頑張りなさい』と言われました。その時、私はオリンピックに出て少しでも喜んでもらいたい。苦しい気持ちが一瞬でも忘れられるように、結果を残すことが唯一私にできることだと思いました。北京オリンピックの時、支えて応援してくれた家族、地元のみんな にできる唯一の恩返しをしよう。すべて犠牲にしてでも何が何でも叶えようと心に誓いました。そのあともたくさん乗り越えなきゃいけないことがあったけど、支えてくれたチームメイトのおかげて、ロンドンオリンピック選考会を迎えることができました。

今回はこれで終わりますが、最後に監督が私に伝えてくれたことで、心に残っている言葉を書いて 終わりたいと思います。それは、『自分の足を自分で引っ張らないようにしなさい。』という言葉です。本当に大学時代は気持ちの浮き沈みが激しく、自分で自分の足を引っ張ることがしょっちゅ うありました。監督に言われたその一言が今でも心に残っています。とにかく辛いことがほとんどの大学生活で逃げたり頑張れたり苦しかった日々でしたが、理解してくれる監督とチーメイトのおかげで良い結果で水泳人生を終わらせることができました。

次回はロンドンオリンピックについて書いていこうと思います。



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