★【加藤和】エピソード5〜水泳人生の集大成となったロンドンオリンピック〜 | JSB 佐藤三兄弟のスイミングスクール オフィシャルブログ ~Embodies the Dream!~

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今回が最後になります。 最後は、ロンドンオリンピックについてです。

ロンドンオリンピックの選考会について、まずは書いていきます。
選考会の3か月前くらいに体重が激減し、ベスト体重のマイナス4キロになってしまいました。2個メの方が狙いやすいなと感じてはいましたが、4個メも2個メも出るつもりでいました。ですが、最後の調整合宿で、監督から4個メに出るか出ないかは自分で決めていいと言われて、選考会は4個メのレースが先にあったので、4個メは棄権して狙っている2個メに絞ることにしました。
選考会初日の4個メで棄権したことを知った人から、体調を心配されたり色々な憶測がありましたが、、、結果論かもしれないけれど、私はオリンピックに行くことだけを考えた時、2個メだけに出場する選択をして良かったと思っています。4個メをメインに考えて高校生からずっと泳いでいたので、4個メの方がもしかしたらオリンピックの結果を狙えたかもしれないし、2個メだけに絞ることに抵抗があったのも事実だけど、その時にできることを考えた時、オリンピックに行けるか行けないかのギリギリにいた私は、2個メだけに絞ることが最善の選択だと思いました。

2個メのレースは4月4日に予選・準決勝があって、5日に決勝のレースがありました。
予選はいつも通り、調子を確かめながら、体が動くように泳いで、準決勝では派遣標準記録を切れるように泳ごうと思いましたが、少し力んでしまって派遣標準記録が切れず、泳ぎ終わった後は北京の時のようにまたダメなのかなって思ってしまいました。その夜は、北京オリンピックの選考会の経験もあったので、緊張で寝られないことも想定内で、4日の夜は寝られなくても横になって休めるだけ休もうって気持ちがありました。もちろんあまり寝られなかったですが、想定内だったのであまり焦らず過ごすことはできたけど、起きる時間に体を起こしてからは会場に行くまで、ほぼ泣いていました(これは初めて話します笑)。なぜなのかわからないし、今思えば大げさだけど、もうオリンピックに行けなかったら人生終わりって本気で思っていました。でも、家族や信頼しているマネージャーさんのおかげで、なんとか会場に行くまでには気持ちを作ることができました。もう、ここまできたら泳ぐしかないし、とにかく思いっきり今できる100パーセントのレースをしよう。そう思えたのは奇跡的なくらい、気持ちが沈んでいる時間の方が長かったです。

会場に入ってからは、とにかくいつも通りに過ごす事を心がけてアップなど会場で過ごします。
決勝レースの順番がこの日は女子の3種目しかなくて、1バック、2バタ、2個メの順番だったので、前の2種目ですごい盛り上がるレースになり、この後に泳ぐのはほんとに嫌。って入場前に本気で思ったのを思い出しました(笑)。入場前は緊張で心臓が飛び出そうでしたが、もうこの思いをするのは最後かもしれないから楽しもう、そう言い聞かせてなんとか平常心を保っていたように思います。入場してからはいつも通りの流れで、スタート台に立った時も、足震えてないって冷静に思った記憶があります。何回も何回もイメージトレーニングして練習してきたので、一つ一つ気をつけながら丁寧に思いっきり泳げました。派遣標準記録も切れてなんとかロンドンオリンピックに出場することができました。このレースは完璧にイメージ通り泳げたと思う最初で最後のレースでした。

オリンピック本番は、準決勝までしか進めなくて悔しかったけど、できるだけの全てのことをした 結果だと胸を張って言えたし、何よりレースが久しぶりに楽しいと感じられました。予選も準決勝 も、イギリスの選手が隣で、会場が盛り上がり、プールまで揺れているような感覚で、泳いで初め て、オリンピックと他の国際大会との違いを実感しました。オリンピックでは、決勝まで行くという目標は叶わなかったけれど、水泳人生の最後にオリンピックに出場するという長い夢を叶えて、 水泳人生を終えることができて本当に良かったと思います。

オリンピックの後、大学4年生だったのでインカレがありましたが、10日前にぎっくり腰になり、1週間まったく泳ぐことができず、軽く感覚を取り戻す感じで3日ほど泳いで、大学最後のレースに出ることになりました。結果は2個メは3位で4個メは8位だったと思います。そのあと地元代表で国体に出て引退を決めました。引退した理由ですが、とにかく2008年から2012年が精神的にきつすぎて後4年間続ける覚悟ができなかったことが大きな理由です。もちろん悔しい気持ちもたくさんあったけど、それよりもやりきった気持ちの方が大きくて、それだけ水泳のことを考えて生活してきたんだなと思います。苦しくても、悔しくても、自分の目標がある限り、進み続けなきゃいけないことは辛いことが多いけど、楽しいこともあります。苦しいことからは逃げずに、目標がある限り、最後の最後までやれることを頑張って行くことが自分のためになります。何があっても、どんなハプニングがあっても、自分の気持ちに正直に進んでいきましょう。

水泳をしていなかった両親からいつも言われていたことは、大きく泳ぎなさい。泥臭く。そして祖父がいつも言っていた、人事を尽くして天命を待つ。この3つだけでした。この3つは私が水泳を引退するまで心に留めていたことです。そして2011、2012年の私の目標は信じるです。自分はできると信じて言い聞かせて、やるべきことをやっていくことがどれだけ大変で辛いことなのか、たくさん経験してきました。でも、自分のことを信じないと前には進めない。間違ったことをすることがあっても、受け入れて、許して前に進むことがとても大切だと思います。
そして、最後の最後までオリンピックに出られるって信じてくれていたのは監督と地元のコーチと家族だけだったと思います。多くの人が厳しいって思っていても、一番近くにいてくれた監督、 コーチと家族が信じてくれていただけで私は本当に救われたし、こんな私でも信じてくれたことに本当に感謝しています。

出会いは誰にでもあると思います。その出会いを最大限成長する出会いにできるかは、自分次第です。目の前にいるコーチから最大限のことを教えてもらえるかは、選手の努力次第だと思います。教えられたことをやっていく、そして考えて成長していく姿があればコーチは必ず次の引き出しを与えてくれます。たくさんのことを吸収する気持ちで、貪欲に水泳に向き合ってください。

過去にとらわれすぎずに、今辛いと思うことがあっても、必ず前より成長しているはずです。成長 していると思えるところもしっかり見て、今できることを自分のペースで、自分の本当の気持ちに だけは嘘をつかないように、何よりも水泳を楽しんで、目標に向かってください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。 緊急事態宣言も解除になりましたが、まだまだ思うように進まないことがあると思います。 またレッスンが再開できた際には、皆様とお会いできる日を楽しみにしています。 引き続きお体に気をつけてお過ごし下さい。




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