きのうのオンエアで、とうとうおとり様が亡くなりました。

 

撮影は2か月前でしたが、あの時のことは今でもよく覚えています。

 

おばばさまである草笛さんには3年前の「ロスト・イン・ヨンカーズ」という舞台で共演した時から

親しくしていただいています。

 

映像で共演させて頂くのはこれが初めてで、側にいてずいぶん勉強になりました。

 

おとり様の最後の撮影の日、朝からなんだか悲しかったのは、

おばばさまを失うおこうの気持ちが、もう草笛さんが撮影現場に来なくなるんだという、

共演者としての寂しさとないまぜになっていたからだと思います。

 

おこうは侍女として戻って来てからも、ずっとおばばさまに頼っていました。

というより、おばばさまがいたから、無理にでも戻ってきたのだと思います。

 

だから、おばばさまのお世話をするのが嬉しくてしかたなかった。

侍女というポジションもかえって嬉しかった。

 

でも、いよいよ最期かというあの日、敷居を隔てて廊下に座った時、

(実際、初めて廊下に座ったのですが)

板に直に座る足の甲があまりに痛いことに驚きました。

 

侍女になる、ということは、実際こういうことなのだと、おこうも身をもって悟ったかもしれません。

 

(侍女になったことを後悔することがあったとすれば、この瞬間だったでしょうか(笑)。

横では佐助さんがやはり足を擦りながら、「痛いんですよ、この身分は」とおっしゃっていました(笑)。)

 

さて、足が痛いのもさることながら、

やはりおばばさまの側に行きたいのは、抑えられない感情です。

 

実はリハーサルの時に、松さんはじめ数人が、

「おこうさんはおばばさまと仲良しだから、ここに来るべきなんじゃないはてなマーク」と

言ってくださったんです。

 

松さんとは二度ほどしか一緒のシーンがありませんでしたが、

なんだかいつも胸の真ん中にずぼっと球を投げてくる佳乃さんの言動には突き動かされます。

 

それでもまだ私も決心がつきかねていて、監督も迷っている風情でしたが、

その後話し合って、いざと言う時に耐えられず走ってくる、という動きになりました。

 

放送が終わった今もなお、それがベストの選択だったのかは分かりません。

 

いつでも、どんな時でも、時代劇は想像の範疇のものでしかないし、だからこそ、

作っている私たちが、より深くより細やかに感情をつむいでいくしかないのだとすれば、

 

撮影の間もずっと抱いていた、寂しくて悲しい気持ち。

それを何とか表現に持っていくしかないのです。

 

そしてそれは、おこうのものであると同時に、長野里美のものであり、

完全に役と自分が同化してしまった日なのでありました。

 

最愛のおばばさまとドキドキ