失敗したくない幼少時代ー澤登和夫1 | さわとんのブ〜ログ。今。

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5年半のうつ病、マンション最上階からの飛び降り、大腸全摘出、、、その後カウンセラーとして起業し、気づけば早10年。。「ありがトン(サンマーク出版)」、「人生をやめたいと思ったとき読む本(東洋経済新報社)」等の著者さわとん(澤登和夫)が、今、思うこと。今。

こんにちは。


みなさんは、
自分の人生について振り返ったり、
書いてみたことはあります?


ぼくは何度か振り返って
まとめたことがあります。



自分のことを振り返ると、
今後の人生へのヒントがたくさん
詰まっていることがわかります。




やっぱり、

いつになっても自分は自分

ですから。




これから20回で、
ぼくが生まれてから現在までの
ストーリについて
シェアさせてください。





今日は幼少期から、
結婚・栄転までを書きます。







昭和49年3月29日、ぼくは澤登家の
初めての子どもとして生まれました。




↑あだ名は「キューピーちゃん」)



第二次ベビーブームのピークに生まれたぼくは、
妹と9歳も年が離れていることもあり、
一人っ子のようにかわいがられて育ちました。




小さい頃は、みんなよりも体も小さくて
恥ずかしがりやでした。





「みんなと一緒」が一番、
「普通」が一番、と思っていました。

「失敗したくない」、
「仲間はずれにされたくない」
という気持ちも強かったです。





小学校時代、
授業中に手を上げて発表することは
ほとんどありませんでした。

先生に指されても
「考え中です」、「前の人と同じです」
というのがお決まりの答えでした。

実際は答えがわかっていたのですが、
間違えた答えを言って
馬鹿にされるのがこわかったのです。





小学3年生のときに、妹が生まれました。


生まれた日にクラスのみんなが
お祝い会をしてくれたこと、
今でもよく覚えています。








中学生の頃から、
「偏差値」をかなり意識するようになりました。




↑中学時代は、3年途中まで坊主強制)




偏差値が上がっていくことに喜びを感じたり落ち込んだりと、
数字の上下に一喜一憂していました。


「これという取り柄がない自分でも、
偏差値ならみんなに勝てるかもしれない」


いつの間にか、偏差値さえよければ、
大学を出て社会人になってからも
幸せな生活を送れるような気がしていました。


↑高校2年生








1年浪人しましたが、
志望大学に合格することができました。



(↑早稲田大学入学式、両親と)



大きな目標を達成したことで、
自信も出てきました。


正直、これで自分の人生は無理をしなくても
うまくいくような気もしてきました。


小さい頃は劣等感ばかりだった自分が、
今度は少し優越感を持つようになっていました。  


↑カラオケ、当時から好きでした)




ただ、周りのみんなと
比較しているということは相変わらずで、
守られた枠の外へ自分から
出ることはできませんでした。





23歳で静岡の
大手物流会社に就職しました。


↑新入社員式典にて:NHKより)



入社4年目、それまでの成績が認められて、
業界最大手の船会社への出向が決まりました。

2000人の社員の中から抜擢されました。  



時を同じくして、
4年間お付き合いしていた女性と結婚。



栄転、結婚、
仕事もプライベートも順調で
人生順風満帆だと思っていました。  



「よし、がんばっていい成績を残そう」  



↑上段右から二人目)



意気揚々と新しい職場での生活を
スタートしましたが、
待っていたのは想像を超える激務でした。。。





今日はここまでです。


随分と写真が多くて、
自分好きなんだろうなぁ
って思われそうですが

「自分のことを伝える」

ということについて、
読んでくださった方にとって何かの
きっかけになればなぁとも思っています。


典型的なうつ病-澤登和夫2 

に続きます