「どうしたらいいかわからない」は。
「どうしたらいいか分からない」って思うときって、
「分からない」んじゃなくて、「べき」と「したい」で葛藤してるとき。なんだよね。
「したい」を選ぶと(親や世間や友達や知人やその他大勢に)怒られそう、非難批判されそう、ってなんか感じてる。
でも本当は人が、じゃなくて、
その奥にある自分自身の恐れのせいで決められないだけ。
「したい」それは、悪いことのような気がしてるあなた。
「したい」それは、自分勝手なことのような気がしてるあなた。
「したい」それは、我儘なことのような気がしてるあなた。
「したい」それは、とても無茶なことのような気がしてるあなた。
「したい」それは、とても非現実的なんじゃないかって気がしてるあなた。
「したい」それは、道徳的に間違ってるような気がしてるあなた。
「したい」それは、大人としてダメな気がしてるあなた。
あなたがそう思ってるから、人にもそうされる、そう思われるって感じてしまって、それが怖いんだ。
だからって、
そういう自分を許さないとダメとか、
変えないとダメ、
なんじゃなくて、
「ああ、私、そんなこと思ってたんだなあ」とか、
「ああ、そうかあ」とか、
じっくりと、
気づくことに気づいて、
しみじみ感じる、
かみしめる、
だけでいい。
何かしようとか、
説得しようとか、
設定を変えようとか、
考え方見方を変えようとか、
それに
「悪い」
「間違い」
「変えるべきこと」
というレッテルを貼らず、
ジャッジせず、
せっついたり、
押したり引っ張ったり、
焦ったり急かしたりせず、
「ああ、私、そんなこと思ってたんだなあ」とか、
「ああ、そうかあ」とか、
じっくりと、
気づくことに気づいて、
しみじみ感じる、
かみしめる、
だけでいい。
心を無にしてただ淡々とそれを感じて、
かみしめて、
眺めて、
いたら、
気づいたら、終わってる。
最高最善に、全部が変わってる。
それが、「マインドシフト」で「SOU」。