TM NETWORKと音楽と解放 | 魂職支援の自然美容専門家|神智美和

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なぜか、先日のウツ

↓似顔絵師☆ウツ
http://ameblo.jp/sei-miya369/entry-11316272845.html

に続き、TM NETWORKを邂逅させられています。

セラピストとして自分を分析して見ると、TMが解散した後、なんか淋しくなっちゃったんだけど、その感情をちゃんと感じてあげてなかったみたいです。

(いや、それ以上になんか出てきそう・・・恐っ)

でもね、恐いとか、嫌だって感情が出てきたときは、新たな「可能性の」扉がそこにあるっていうサインなんですよね☆

カウンセリングで虐待の記憶とかが出そうになると大泣きすることにも立ち会いますが、いいんです、いいんです、感じてあげられなかったから、今泣いているんだから。
恐かったってこと、あの時恐かったってこと、親が恐いなんて認めたら生きていけないから、だいたい封印してる。
でも、今は大人だから、冷静に感情を体験しながらも、封印しないで認めてあげられる。
それが浄化。


それはともかく、かなり色んな層の未完了の感情が表に出てきている(浄化の過程)なので、支離滅裂になりそうだし、かなりの雑談なので(笑)、興味のない方はここで立ち去ることをお勧めします(^^;

さて、ここからは本当に読みたい人だけいらっしゃるということで、すすめます。


解散コンサートは連日確か3日間(もしくは初日と最後)行って、てっちゃーん!!!
などと叫びまくってノドから血の味がし出して(笑)体力使い果たして熱を出した、若かりし頃(笑)。

今は全ての出来事をありのまま、受け容れて体験してしまうので(できないことも、まだまだあるけど)風邪すらひかない調和状態を維持しているし、 私のいでたちからも「落ち着いている」「誰とでもうまくやっている」という見立てをして下さる方が多い中、信じていただけないかも知れませんが、さっき 言ったことは紛れもない事実です(笑)

確か、休暇を取ってコンサートにいったのに、その後も熱で休暇を取った新社会人の頃、バカすぎます(笑)
当時の上司の優しさに感謝ですね。
あの時チケットを取ってくれた友人のママには感謝してもしきれません。○ちゃんのお母さん、ありがとうございました!!


その後、だんだんと音楽からフェードアウトしていったのは、本当に子育てだけが理由だったと思っていたけど、どうもそうじゃないかも知れないことが見えてきました。

他のFANKS(TMのファンの人ね)も、突然の(だったっけ)解散にショックで、思いを封印していたって言う人、結構多くて
私もそうだっ
と今頃気付きました(^^;

解散した覚えのないバンドのメンバーが、「また音で遊ばない?」って誘ってくれたのが6月。
これも、偶然ではなく解放のタイミングなのかも知れない。

今までは、目立たないように弾いてきたけど、自分はクラシックピアノしか出来ないっていう思いがあって。
ジャズはクラシックの訓練が邪魔になるし、ボーカルなんて小学校の合唱団(いつも優勝する厳しい所でしたが)の発声練習以来、まともにしてないし(笑)
という状態ですが、JazzにJ-POPにロックと、何でもmixの健康のためのバンド、楽しいです♪

音楽への思い、TMへの想い、色々封印してきたんだなぁ。
って、分かります。

今はJazzピアノのアドリブに苦戦していますが、、、コードの概念が私にはないので、まずそれをインプットするとして、その中で音を動かしても、なんかクラシックっぽくって全然かっこよくない。
なんか許せない(笑)
でも段々何となく分かってきたので、それっぽく出来そうかも。
とはいえ、引き出しが少なすぎるから、大半をコピらせていただきますが・・・

話を戻して、たぶん、好きだって、知ってしまうと辛かったんだと想う。
TMも音楽も。
他の色んな事も。

そして自分と全然向き合ってこなかったというか、自分の力を本当に発揮するという事から逃げまくっていたんだなぁと、分かってきました。


そんなわけで今は、ヒマさえあればウツの声をずっと聴いて、今まで止めていた想いを味わっています(^-^)。大分浄化されたかな。

今更ながら気がついたんだけど
あの頃から(今もだけど)ずーーーーーっと、ウツのこの声に癒されていたんだって。

ウツの声が大好きだーって感情を、全然感じられてなかったようです。
こんなに支えられていたのに。

なぜかボーカルがいなくて私がボーカルもやることになったので(笑)<ムボー
とはいえ、声を誉められる事は多いので、私なりの、声、うまく使いこなせるように歌ってみようと思います。

なんていうと「ライブ見に行きます」と言われるんですが、健康のため、おじさんたち(あっごめん>メンバー)が集まって、音で遊んでいるレベルなので、まだ聴いていただくのに耐えられるかどうか。。。(笑)

それでも、今は瞬間瞬間をこうして味わって、やっていけてるから、とても幸せです。

あの頃は小室さんの孤独感に響き合っていて、周りが見えてなかったから、ちゃんと体験してあげてなかったんだね。

小室さんファンは、彼が宇宙人過ぎて心配してる人も多かったっけ、魚が食べられないだの、かつおぶしはお好み焼き?とかにかけると動いて気持ち悪くて食べれないとか(笑)
よくわかんないくらい凄い偏食で顔色は青白く。そんな美しさが好きだったけど、血のバランスは大丈夫なのか?とかかなり心配な偏食。

当時の私は偏食ではなかったけど、精神的にまさにそんな状態だったし、人に心を開けないというか、そんなところが響きあっていたことが分かる。
(私が勝手に、そう見立てて、響きあってただけですけど)
今はKcoさんが居てくれて本当に良かった。

私の当時は感情的には完全に封鎖されていて、表面上地球人と合わせて生きていくために、本当の気持ちを押し殺して生きていた頃でした。
思考停止じゃないと地球人でいられなかったから。

だって、宇宙意識レベルの目覚め状態でいたら、自殺してしまいますよ。
実際何度も自殺したら楽かしらと思ったこともあったけど、「肉体を殺してはいけない」と、物凄いブレーキがかかっていたので、肉体だけ生きていれば、とりあえずいいのだと、ひたすらそれだけに集中してきました。

だから、友達らしき人も、いるにはいたけどそれ以外は景色同然でした。
例えばクラスで揉め事が起きる。学級会とかで(笑)揉め事を皆で解決していきますよね、話し合って。
そんなの話し合うことにも全く興味がないから、無表情で真っ白い顔をして(やや貧血気味)人形のように無表情でずーっとぼーっと、終わるのを眺めていただけでした。
感情を閉じていたので、私が謝らなければならない場面も理解出来ず、

「謝ろうよ!」とクラスメートが暑く学園ドラマしてるときも、真っ白い顔でボぉーっと、ただこの時が早く過ぎてくれることを願っているだけでした。

喘息であまり呼吸が出来ていなかったのも大きかったかも知れないです(笑)<今は完治

そんな私にあいそをつかしてクラスメートは離れていきましたが、私はそうなると、ようやく「景色」が静かになるので、落ち着いた。

誰も必要としていなかった反面、本当は一番、人の温かさを必要としていた。
なんか自分だけじゃなく、人類全体のカルマみたいなのも背負ってしまっていたのかもね。

そんな中でも、仲の良い友人というのはいて、今でも何人かは一緒にお茶したりするのだから、ご縁って不思議ですね。

私、彼女があまりに可愛くて(笑)、素直に育っていてうらやましくて、かなりいじめたんだけど(汗
大人になってから、あんまりきれいで純粋でうらやましかったから、いじめちゃったごめんって謝ったけど(むしろそんな風に思ってもらっていたなんてと喜んでくれていたみたいだったけど)、そんな彼女が当時のクラスメートの中では残ってくれている。

そうはいいながらも、表面上は、まぁ普通でしたので、それなりに友達もいましたが、殆ど何も覚えていません。
地球人としていきていくには感情を封印するしかなかったのでした。

例えば、今ここで化学物質たっぷりの洗剤を流してしまうなんて、地球の負担を思うと到底出来るものじゃない。
これが宇宙意識。

だけど、そんなこと考えず、目先のお皿がきれいになるから~ってことだけにフォーカスして、刹那の意識を生きるのが地球人です。
(当時の多くの、もしくは私の周りにいた人たちの)

注:私は正真正銘地球人で、ちゃんと赤ちゃんから地球人として生まれて普通に日本人として育っています。

ただ、生まれた直後に湧き上がった怒りの感情がかなり強くて、何が何だか分からなかったのですが
今の人類以前の人類が滅亡した時に、自分達が滅びるしかないところまで追い込んでしまった出来事に対するものだったようです。
本当の原因を知りたい、そう思って地球人に改めて転生したのに

いざ地球人として生まれてみたら、あの頃の遺跡は海に沈んだり、風で崩れていたり、ましてや、なぜあそこに、今の人類が知らない人類の遺跡がある かを知っている人なんていなさそうだったし(実際にいないし)、すべての痕跡が終えなくなっており、あの頃の叡智は一体どうやったらもう一度アクセスでき るのか・・・・!!!!!
(今はもうアクセスする必要などない事を知っています、あれは別な人生だから)

と・・・

既に何が起きて滅亡したのかを分析できない悲しみ、やるせなさ。

耐え難い吐き気、吐いても吐いてもどうしようもないような怒りを、赤ん坊の時に持ってしまっていました。

吐く様に叫び泣いていたから、育てにくい子、夜泣きが凄いといわれ続けていました(笑)
でも、家の中の波動を整えておけば、赤ちゃんはよく飲み、よく寝て機嫌よく育つもので、生まれ持った性格のせいではないということを3人育てて証 明したけれど、そのことに気付かないまま育児していたら、私の子だから、遺伝してるから、育てにくい子、と思って育てて、育児放棄していたかもしれませ ん。

今思えば、育児そのものこそが、解放のプロセスであり、子供達を育てるという魂の約束を果たすために必要な成長のプロセスであったことが分かります。

中学生の息子は、一瞬一瞬を本当に味わい尽くして生きる事が出来ています。
私は中学の事なんて殆ど覚えていないので、その話をすると

「ママは、ちゃんと生きてなかったからでしょー」なんて言われちゃうんだけど(笑)
「そう、閉じてたからねー」
「俺は違うもん、バスケが好きだし、友達もみんな好きだし」
当時の私が手に入れられなかったものを全部持ってる。


さて、その怒りに包まれていた赤ん坊の頃、といっても本当に生まれたてで体が自由に動かせない頃、2ヶ月も経っていない頃でしょうか。首が据わってない頃です。

そんな状態で地球人として生きていくのは困難だったので、地球人として必要な感性だけを開き、後の感性は封印し、ただ周りの状況に反応し、目先の事が楽しければ楽しいとして、そうじゃなければ悲しんでみたり、そんな程度の意識レベルで生きる事にしたのでした。

地球人ってそういう意識レベルでしたよね(笑)
原発事故があって、自分の命が天秤にかけられて、ようやくいくらか覚醒してきましたね。


話を戻して、それと同時に、三次元的には母と姑の感情的なものが影響しており、家中が母がいくら私に影響しないように気を配っても、人の心にわい た感情というものは、必ず波動となって充満するものなので、私は幼い頃に自分の中にあった「怒り」を、そのせいだということにした。
実際に母との関係で物凄い葛藤があったことは確かで10年がかりで解放していき、少しずつ人の心を取り戻してきました(笑)

今では、対人恐怖症だったり人付き合いを苦手とする人に嫉妬されるか、解放カウンセリングを頼まれるくらい、私自身が全く対人関係を結べてなかっ たことなど、誰にも信じてもらえません。自分自信もその頃の自分は生まれ変わったように、分からなくなってしまっていますし(^^;

実際、生まれ変わったようなものなので、本当の自分を生き始める前の自分の記憶は、あまりありません。
ただ、肉体を殺さないためにだけ生きていた。
体を殺さないためにだけ、生きていただけだったから

本質の自分で生きる事は、許されなかった。
もし、本質の方で生きたなら、母がキッチンで台所用洗剤を使う時点で、地球と響き合って大泣きしていなければならなかっただろう。

本当の感情を感じる事を、許していなかった。

あっ、そっか、これか!

だから今、感じているんだ。

そんなわけで、しばらくはTM三昧(というより、ウツの声を味わうこと)になりそうです(笑)

音楽が好きだったことも、思い出すプロセスのようで、ちゃんと自分が出来る事を、ちゃんとやるという当たり前のこと、今まで逃げていた部分に向き合う時のようです。

ちなみに、音楽を再開して「絶対音感」が一生モノでないことも分かってしまいました・・・あーん不便!楽譜描くときとか、不便過ぎる!!

この話はまた今度。