映画「コヴェナント~約束の救出」を観る | 世日クラブじょーほー局

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 サブタイトルの「約束」とは、アフガン駐留米軍の現地協力者に対する米国移住ビザ発給のこと。2021年8月、米軍は20年にわたるアフガンでの軍事作戦を終了し、完全撤退。その後、同国は再びタリバンの手に落ち、300人以上の協力者とその家族が殺害され、今なお、数千人が身を隠しながら生きている。この米国が晒した弱さと信義の失墜は、翌年のロシアによるウクライナ侵攻を誘発したばずだ。本作は米軍撤退の3年前の設定。

 

 物語の中核はこうだ。タリバンとの交戦で負傷し歩けなくなったジョン・キンリ―曹長(ジェイク・ギレンホール)と彼と行動をともにしていた通訳のアーメッド(ダール・サリム)。アーメッドは自作した担架にキンリ―を括り付けて引き摺ったり、住民から手に入れた手押し車に乗せて引いたりして、はるか遠方に位置する米軍基地への帰還を目指す。タリバンをかいくぐるためあえて人目につかない山道を選んだが、それでも幾度も危機は訪れた。そして偶然、米軍に発見される瞬間まで、キンリ―を看病しつつ、救出したのだ。その距離実に100キロ(途中、車も使ったが目に付き安いためほどなく手押し車と交換)。

 

 このアーメッドの難儀たるや想像を絶する。途中、手押し車の片輪が窪みに嵌って進まなくなり、その場で、大の男が天を仰いで涙にむせび鼻をすするシーンが印象深い。体力、気力とも限界に達し、愛する身重の妻の姿が浮かんだに違いない。あてはないが、一人逃げようと思えばその方が容易に決まっている。いわんやアーメッドはもともとタリバンの仲間だったが、息子を殺されて寝返った経緯があり、キンリ―はそれを疎ましく感じていたのだ。しかし、しばらくして奮い立ち、渾身の力を振り絞り脱出。また歩を進め始める…。

 

 時は過ぎ、気付けば病院のベッドの上にいたキンリ―。そして、軍からの勲章授与の話も。しかし本当の英雄はアーメッドだ。肝心の彼は、タリバンからその首に高額の懸賞金が掛けられ、家族とともに行方をくらましたという。移民局に問い合わせるとまだビザは降りておらず、数か月要するとの返事。それまで彼の命の保証はない。命の恩人に報いること、「約束」を果たせずに、良心の呵責に圧し潰されそうになるキンリ―。かくなる上は自分がひとり、再びかの地に赴き、彼を連れ帰る…。上官に半ば強引にビザ取得を依頼し、妻の提案で自宅を抵当に入れ資金を捻出、現地の民間警備会社との契約にこぎつけアフガンに向かうキンリ―だったが、早速、出端をくじかれる羽目に…。

 

 「コヴェナント」とは、「絆」「誓い」「約束」の意味だとエンドロール前にスーパーが流れる。「約束」は守らなければならない。「誓い」は果たさなければならない。「絆」は、維持し深めなければならない。これらをまとめて「信義」と表現してもよい。人間は、時にこれを命に代えても守らなければならない。もしこの原則に背けば、キンリ―がそうであったように、良心の呵責が発動し、耐えがたい苦悶の果てに自己破滅を招くであろう。これを肉体的苦痛に比肩できようか。もしこのことが実感として湧かない向きがあるなら、人生を根本から問い直す必要に迫られよう。

 

 思うに、人間は自分が人間として生まれたことの意味を、人生を通じて証明しなければならない存在だ。絶対に”禽獣として”生まれてはならなかったのだということを自ら証明しなければならない。本作はこれを端無くも見せてくれた。なお、キンリ―が再びアフガンに向かうには、幼い二人の子の従順と妻の献身が不可欠だったが、家族はどんな時も彼と共にあったのだ。
 

(監督)ガイ・リッチー

(キャスト)

ジェイク・ギレンホール、ダール・サリム、アントニー・スター、アレクサンダー・ルドウィグ、シーン・サーガル、ボビー・スコフィールド、エミリー・ビーチャム、ジョニー・リー・ミラー