日高町と原発の歴史(下)
こうした原発推進の動きに「待った」を掛けたのが、
54年3月に起きたアメリカのスリーマイル島(TMI)原発事故でした。
一松町長は同年4月に環境調査を凍結。5月、漁協は総会で受け入れ決議を撤回しました。
原発への不信感が住民に広がったこのころから、
原発推進派と反対派の衝突は、さらにエスカレート。
55年10月、町議会は原発を推進するため、環境調査促進を議決、町長は環境調査凍結を解除。
町民たちは同年12月、「日高町原発反対連絡協議会」を結成しました。
関電は翌年の2月から7月まで小浦で陸上調査を行い、
59年6月の漁協の総会は審議に至らず流会。
以後、漁協の総会では壇上に詰め寄った組合員が逮捕されるなど、原発問題はヒートアップしました。
原発問題は当然、町の枠を超えました。
周辺市町村の医師や教諭らは「日高原発反対30㌔圏内住民の会」を結成。
漁協の総会では調査問題は廃案となりましたが、町は漁協に再度協力を要請。
平成2年9月の漁協総代会は紛糾し、閉会後の理事会で組合長は「今後漁協としては原発問題に一切取り組ま
ない」と表明したことで、流れは反原発に大きく傾きました。
同月に行われた町長選では「原発に頼らない町政」を掲げた志賀政憲氏が反対派に推されて出馬し、初当選。
それまで毎年の町の予算に上がっていた「原発視察費」(年間500万円)をカットするなど、
原発問題を一掃しました。
14年10月、志賀町政を継承し、町長選で現町長の中善夫氏が初当選。
すぐに原発立地計画の即時中止を関電に文書で申し入れました。
その後、阿尾地区の原発建設予定地だった湿原地約13万平方㍍について、
所有者から町に対して買い取りの要請がありましたが、町は拒否。
寄付を得て、湿原地が町有地に登記完了したのが、まだ5年前、平成17年3月のことです。
反対派の男性は
「利権というのはホンマに人を変える。町の活性化のためというけど、純粋に町のことを考えて賛成していた人がどれだけいたか。今思えば、原発も強引に進めすぎた気がするな」と、こぼしました。
福島第一原発の事故後、原発安全神話は崩壊。反対派には多くの応援の声が寄せられ、
「命をかけてやって来たことは正しかった」と認識したと言います。
一方で賛成派の女性は
「和歌山もほかの場所からのエネルギーの恩恵を受けてるんやし。どこかがやらないとアカンという気は今でも持ってるよ。これだけ過疎化が進んだら、ほかに活性化の手だてがないわ」ときっぱり。
地域を真っ二つに割った問題のしこりは今なお残されています。
大阪の隣県であり、中南部は過疎化が進んでいる和歌山県。
保守王国という政治的背景も加わり、原発立地には最適の地といわれてきました。
現在、御坊市では使用済み核燃料の中間貯蔵施設建設の話もあります。
30年以内に発生する確率が30~40%と言われている東南海・南海地震。
国の「東南海・南海地震等に関する専門調査会」から発表された、
東南海・南海地震が同時発生した場合の被害想定によると、
和歌山県の津波による全壊棟数は1万4300棟にものぼります。 (終わり)