喧嘩をやってきて気付いたことがある
それは、喧嘩をしてる人間は世の中の流れを読み取る能力が発達するということだ
なぜか
世の中は基本、他の人間と争うことで成立している
他の人間と争うことで文明が生まれ、社会が作られた
そこで誰もが他人より『上』を目指して戦っている
とは言え俺から言わせると、所詮それらは『遊び』に過ぎない
スポーツにしたって、会社にしたって、突き詰めて言えばどれだけ金を儲けることができるかという『遊び』でしかない
もちろん、その遊びを誰もが本気になってやってるのは否定しない
でも所詮は『ごっこ』なんだよ
それに比べて喧嘩は他人と争うということを遊びに置き換えたものじゃない
置き換えずにただ殴り合う
肉体で傷つけ合う
なぜなら、他人と争ってどっちが上か決めるのが世の中だから
そういう前提が確実にあるから
だったら殴り合えばいい
俺は遊びで他人と争おうとは思わない
常に本気で争いたい
なんで遊びに置き換えなきゃいけないんだ?
俺はシンプルにいく
勝ちたいから殴る
そんな直の生き方をしてるからこそ、『戦い』を自分の肌で直接的に感じてるからこそ、世間の遊び同然の争いがママゴトのように感じてしょうがない
だから、周りの人間には見えないものが見えてくる
感じられないものを感じ取れるようになる
遊びではなく常に本能で傷付け合うことにより、感覚が他人よりも遥かに鋭敏になっていく
他人が永遠に気付かないままのことを俺は気付ける