ハッピー・バースデーまでの葛藤(友だちのいない火曜日 その2) | しちにんブログのブログ

ハッピー・バースデーまでの葛藤(友だちのいない火曜日 その2)

 無気力が服を着て歩いています。こんばんは。すずちうです。

 アメブロの使い方や使われ方に、まだあんまりうまく馴染めていません。使い方もそうなんですけど、それよりもむしろ使われ方みたいなもののほうにうまく適応できてないなみたいな感じがします。なんとなく内輪の交流向けな全体の作りとか、いろいろ気になることはあるんですけど、何よりも困惑しているのが、
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です。
 アメブロのデザインって、そのへんの詳しいことには疎いので、もしかしたら設定をいじれば変えられるのかもしれないですが、基本的に、かなり文章を短く区切ってこまめに
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しないと、右はじまでびっしり文が詰まってしまって、すごく見た目のバランスが悪いし、ビジュアル的にすごく読みづらいなと思うんです。というか、たぶんアメブロって、書くひとが細かくいちいち
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することを前提につくられてるんだなー。という点にすごく戸惑ってますね。たぶんケータイからアクセスしたときのこと、あるいはケータイから更新することに主眼が置かれてるからなのかなーと思うんですけど、ぼくのような、長文系ブロガー崩れにはちょっと使いづらいなーとか思いました。あと関係ないですけど、「改」の字はゲシュタルト崩壊しやすいですね。個人的に。

 まあ今後の書き方使い方に関してはおいおい考えてゆくとして、今年の2月は、ひとの誕生日を祝う機会が多かったです。といっても、友だちがいないので、お誕生日パーティが続いて大忙しだったとかそういうわけではなくて、ただ単に、ネット上で知ってる人たちのお誕生日が、なぜか2月に多かったという程度のことです。
 本来ならふつうに「誕生日おめでとう」「ありがとう」で済む話なんでしょうけども、ぼくはちょっと誕生日というものに関して、ずっとひねくれた意見を持っていて、あんまり人の誕生日を祝ったり、また自分の誕生日を祝われたりするのが好きじゃないんですね。というか、端的に言ってしまうと、意味が分からない。いつまで中二っぽく斜に構えてるんだとか言われそうですけど、でもやっぱり誕生日というものを祝う理由がよくわからない。理由がわからないから、どうやって心をこめたらいいのわからない。そして、そんな「おめでとう」を聞かされても、ほんとに言われた相手も、嬉しいのかどうか。口では「ありがとう」と言っているけれども、実は(めんどくせえな……)(どうせ社交辞令だろう)とか思われてるんじゃないかと思うと、なかなか言えないんですね。だから自分の誕生日も明かしてないです。21歳の誕生日も、平常通りに過ごしました。
 それに、ぼくが主に駐留している「twitter」という場所には、「アルファついったらー」という、何千何万ものフォロワーを抱えるすごい人たちがいらっしゃいまして、そういう人たちの誕生日になると、何百という「おめでとう」リプライが行って、そしてアルファになれるような人たちはたいてい人間ができているから、ひとりひとりにサービス精神にあふれた「ありがとう」のリプライを返していくのです。アルファじゃない多くのひとも、「おめでとう」「ありがとう」には手抜かりがありません。やってる本人は本当にうれしいからそうしているのだと思うのですけど、やっぱり面倒そうだなーとか、迷惑かもしれないなーとか思ってしまって、やっぱりうまく言いだせないんですね。どっかしら虚礼じみてしまわないかと思うと。

 で、そもそも誕生日というものをお祝いする/される理由ってなんだったっけ?みたいな話に立ち返ったときに、ある人が、「一年に一回くらいは、思考停止イベントが必要なんだ」と言っていたことが思い出されます。ざっくり言うと、「理由なんてないんだ。いや、むしろ理由がないことこそが理由だ」みたいな話です。
 一年に一回くらい、なんの合理的な理由もなく、存在を肯定されるイベントがあってもいいじゃないか。なるほどごもっとも。この話を見て、ぼくの中でいろんなことが氷解しました。あんまり節操なしに「おめでとう」をまき散らすのはどうかと思うけど、「いい機会だから」くらいの感覚で、「おめでとう」を言えばいいのかな。と。



だらだらと三百六十五日じゅうあなたの誕生日を祝いたい

 ていうか、このレベルの葛藤って、ふつうのひとは小学校高学年くらいで通り過ぎているのかもしれない。