何故、和服は呉服店で売られているのか? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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和服は呉服店で売られていますよね!

三国志の呉の国より古く、日本の縄文時代末期、中国の春秋時代の終わりころ紀元前400年頃、呉の遺民が海を渡って、北九州の吉野ヶ里あたりに渡来した。この時頃から、絹織物の呉服が北九州で織られたのであろう!

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博多織、博多織の歴史は鎌倉時代からと古くは無いが、弥生時代からの呉服の歴史が博多織を作り出したのであろう!


参考

① 呉服について

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② 弥生時代の絹製品の出土

玄界灘以南の北部九州にある14の弥生遺跡から絹が出土しているが、本州・四国・南九州からの弥生遺跡からは絹が出ていない。弥生時代の銅剣・銅矛・銅鏡・鉄製武器及び絹の分布からみると、玄界灘以南の北部九州が多い。

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布目順郎「絹と布の考古学」雄山閣


③ 魏志倭人伝の記述

魏志倭人伝は弥生時代から古墳時代の過渡期の記述であるが、弥生時代末期の倭国大乱後の北九州については邪馬壹国の下にあり、倭人の着る幅広い布が呉服の反物によく似ている。

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④ 古墳時代までの絹製品の出土状況

弥生時代は北九州に限られるが、古墳時代に入ると全国に広がっている。



邪馬壹国は戦国時代末期、斉の渡来人が作ったが、和服は呉の渡来人が作った。