神武天皇が大和の地を征服した時、地元の長髄彦と安日彦が反抗した。この安日彦が津軽に流れついて、十三湊を根拠地とする安倍氏の祖となったと言う神話がある。この安倍氏の後裔に安東氏、秋田氏と続く。
この安倍氏は十三湊を根拠地として海上交易に従事する安東氏のルーツであり、まさに縄文時代から活動する海人族安曇氏であった。
参考
① 十三湊を根拠地とした安倍氏について(wikiより)
④ 遅くとも弥生時代初期から青森県あたりにマグロ漁師(海人族安曇氏)がいた(参考)
⑥ 十三湖と十三湊、美しい条里制地割の開拓地、水田、街並み
十三湖
十三湊
10 663年の白村江の戦いに参戦した安曇比羅夫と蝦夷征伐の阿倍比羅夫は同族(参考)
11 武内宿禰(蘇我氏の祖、海人族安曇氏)と東北地方(参考)
12 中世、十三湊を根拠地として海上交易活動した安東氏、室町時代、日之本将軍を名乗った(参考)
津軽半島日本海に面する十三湖。かつてここには十三湊(とさみなと)という殷賑を極めた貿易港がありました。中世、三津七湊(さんしんしちそう)の一つに数えられ、この地を支配する安東一族は遠く中国大陸や朝鮮半島まで交易を行い繁栄します。ちなみに三津とは安濃津(三重県津市)、堺津、博多津、七湊とは十三湊、三国湊(福井県坂井市)、本吉湊(石川県白山市)、輪島湊、岩瀬湊(富山市神通川河口)、今町湊(新潟県直江津市)、土崎湊(秋田県秋田市)をいいます。
三津以外は皆日本海沿岸に集中している事に驚かされますが、中世日本の大動脈である瀬戸内海と同じくらい日本海航路が繁栄していた事がしのばれます。
安東氏は大規模な水軍を有し、北海道や樺太、シベリア沿岸まで交易路を拡げていたといいます。一般には室町時代、十三湊を襲った大津波によって湊は一時的に滅んだといわれていますが安東氏の日本海交易自体は他の湊によって続けられました。むしろ安東氏が衰えたのはもっと別の理由だと思います。南部氏との抗争、被官であった蠣崎(武田)氏の独立、南部被官であった大浦(津軽)為信独立にかかわる周辺紛争、そしてなんといっても安東氏自体の檜山安東氏と湊安東氏の対立などです。
一時は、現在の青森県、北海道を領土とし樺太やシベリア沿岸部にまで交易権を拡げ日乃本将軍、蝦夷管領とまで称した。
13 俘囚長の安倍氏の子、安倍宗任は伊予に配流されたが、現地で力をつけたために再度、宗像に移され亡くなった。子孫は九州の海賊、松浦党で再度力をつけ、さらに山口県長門市湯谷にたどり着いた(
参考)。